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これはたった一人、いつか俺が愛した人へ贈る、ひとときの物語だ。
それは、いつか若き日に過ごした、青い空の下。
木漏れ日の陰で心地良さそうに寝息を立てていたのは、ひとりの後輩。
群青色の短い前髪を、そよ風が心地良さそうに揺らす。
そのように穏やかな景色を、過ごしていた。今でもまだ、忘れられない、尊い時間だ。
あの頃、俺には恋慕う人があった。ひとつ年下の後輩、デュース・スペードだ。
彼が真面目で人の好く、懐っこい性格だったのもあって、俺たちは些細なきっかけさえあれば、すぐに仲良くなった。
そのきっかけと言えば、夜空に星の降る祭のことだったと思う。
彼が願い星の回収に来たことでデュースと知り合いになっていた俺は、彼の様子を気にかけていた。そして、彼は、見事、流星の夜空の下に、スターゲイザーの役目を果たしてみせた。
その頃から俺はきっと、彼に良い印象を抱いていた。自身と同じように、育ててくれた親のために努力してみせる彼の姿に、好感を抱いていたんだ。
彼の暮らす街へ遊びに行ったり、図書館で一緒に調べものをしたり、そんなことをしている間に、いつの間にか俺の心には、彼のことを放っておけないという気持ちが芽生えていた。
危なっかしく飛び出していく彼に、いつも無事でいてほしく、それでいて、笑顔で、幸せでいてほしいと……思うようになった。
大抵の人が、幸せでいることを願ってはいたが、どうしてまた彼にばかりそのようなことを思うのか、しばらくの間は不思議に思っていたのだが、ある日、その気持ちに合点がいったのだ。
ああ、これは恋だったのだ、と。
そして同時に、俺は知ったのだ。
その恋は叶わないものなのだ、と。
何故なら。何故ならば、俺がそれを恋と知ったのは。
『今頃あの人はどこで何してるのかなって、ずっと気になって、他のやつとなんかいないよな、とかって、気が付いたら、その人のことばっかり考えちまって……。これが恋、ってやつなんですかね?』
『そう、だと思う。……そう、かもしれないな……』
まぎれもないデュースその人が、俺ではない誰かに恋をしていると、気が付いた瞬間だったから。
俺は、それを自覚した後、己を悔やんだ。
可愛らしさと愛しさが余って、何も知らずに恋をするデュースを憎らしくさえ思いそうになったが、それは留まった。
何故なら、誰も悪くない。誰も悪くないからだ。デュースが自由に恋をするのも、俺に愛されたからと言って、俺を愛さないことを選ぶのも、そして、デュースに選ばれた誰かが、その想いに応えることも、……誰も、何も悪くないからだ。
あえて悪いというのならば、悪いのは、デュースへと想いを寄せていたくせに、そのことを自覚すらできず、何の努力もしてこなかった、怠惰な自分自身なのだ。
どんなに穏やかで、愛おしく尊い想いを抱えていたところで、抱えているだけでは駄目だったんだ。相手にも、応えて欲しかったのならば。伝えなくてはならなかったんだ。知らなくてはならなかったんだ。他の誰かのものになってしまう前に。
すべてが、遅かった。すべてがもう手遅れだということを、自覚させられざるを得なかった。
そんなとき、ふと、考えがよぎった。……もし、もしだ。
この先、デュースと、相手の間に、何か行き違いがあって。別れるかもしれない、ということになったら。俺は、一体どうするのだろう?
そんな考えを、振り払った。……俺の幸福のために、他者の不幸や破局を願うなど、人として……良くないことだ……。
そう、思っていたのに。デュースは、言うんだ。恋を自覚した、俺に向かって。
『ひょっとしたら、僕ら、あまり相性が良くないのかなって……。別れるとか、そういうことも、考えなくちゃならないのかなって思うんです』
はく、と、息を呑んだ。声が出そうで、出なかった。突然巡ってきた、千載一遇の機会とも言える瞬間だった。
いっそ。いっそこの機会に、告白してしまおうか。お前をそんな顔にさせている、今の相手よりも幸せにするから、俺を選んだらどうだ、と告げてしまおうか。
……だけど。だけど、言えなかった。デュースが、本気で悩んでいるのに。自分の都合ばかりを、さらに押し付けてしまうような男には、成り下がりたくなくて。
だから、デュースには、もう一度よく話し合ってから決めたらどうだ、と。
ひょっとしたら彼らの関係をやり直せるような、そういうことを勧めた。
デュースは、やっぱりそうですよね、と苦笑いして、俺に礼を述べた。
彼が去っていったあとで、俺は、ひとり脱力した。あまりにも、自分が情けなかったから。
『そんな奴よりも、俺の方が笑顔にしてやれる、と……。お前を、幸せにしてやれると、口にすれば良かった、のに』
『本当に、ばかな男だ……俺は』
それからの俺は、デュースを想って、そしてその秘めた想いが誰にもばれぬようにして過ごした。
郷愁を誘う夕焼けに、群青色の髪が振れるのを見ては、胸が締め付けられた。
俺に、ひとつまみ程度の勇気さえあったのならば、伝えられたのだろう。心の隅、憂うこの気持ちを。
今頃、本当ならば、デュースの隣にあって、笑っていたのは。
彼の時間を、淡く愛おしい藤色で染めていたのは、俺の筈だった。
どうして、彼はそんな俺の願いを裏切ったんだ。そんな勘違いを生んだ、恋の花は。誰か知らない人に、摘み取られていった。
……そうした時間を、過ごして。俺は、ナイトレイブンカレッジを卒業した。
卒業するその日さえも、俺の想いは未練たらしく消えていなかった。
空に浮かぶ飛行機雲を見ては、変わりゆく空の色を見ては、時の流れがいつかこの恋という傷を癒してくれることだけをひそやかに願った。
そうして、今。あれから十年の時が過ぎ、大人になった俺は、時計の街へと遊びに来ていた。
なんのことはない。学生時代、来年もこのメンバーでかの祭りへと遊びに来ようと言っていた約束が、毎年更新され続けて、それが今年もまだ続いているというだけだ。
俺は滅多に個人の遊びのような旅行に行くことはないから、大抵この時期の休暇の申請は通る。
それに、……この日は、デュースに会える。あれから10年ほども経っておきながら、まだあのささやかな恋を諦められない自分を情けなく思いながらも、それでも、もしかしたら、今年こそはと考えながら、ずるずると時計の街に通ってしまっていた。
「あ、シルバー先輩、こっちこっち!」
「……デュース」
あの頃よりも、少し大人っぽくなったデュースが俺を呼ぶ。
他の面子は、まだ到着していないようだ。
「他の奴らはまだ来てないみたいですね。先に祭りとかちょっと見て待ってますか?」
「そうだな、そうするか」
ズキズキと痛む胸を作り笑いで抑えながら、デュースと祭りを見て回る。毎年だ。
毎年のことだ。デュースの笑顔を見る度に、この想いが。
何度殺しても、蘇り続けるこの浮かばれない想いが、重なってしまう。
デュースの笑顔を見る度に、俺の想いが、重なってしまうのだ。
彼の見る眩い世界を、俺も隣で見られたら、と。夢想してしまう。
春の夢のように、儚い願いだと知りながら。それでも、毎年、毎日、考えてしまうのだ。
いっそこの記憶さえ、この日に吹く春風が吹き去ってくれたら、と思うくらいには。
「シルバー先輩、どうしました?」
「……なんでもない」
そうして俺たちは、祭りを共に回って、エペルとオルトを待った。彼らは飛行機の時間が遅れているということで、大幅に待ち時間が発生するようだった。
そのうちに、俺たちは互いの近況を報告するようなことになった。
その中で、俺はつい、聞いてしまった。自分が傷つくだけだと分かっているのに。
「そういえば、恋人とは今も順調か?」
幸せでいてほしいのか、それとも未練たらしく、まだ何かを期待しているのか分からずに。
だが、デュースはあっけらかんと答えた。缶コーヒーを傾けながら、なんでもないように。
「ああ、アイツとはもう別れたんです、昔に」
「そう……なのか?」
俺の持った衝撃とは裏腹に、他人事のようにデュースは答える。
「はい、まあ、恥ずかしい話なんですけどね。ちょっとした行き違いが原因で、大喧嘩になって、そのまま……別れました」
「では、今は恋人は……」
「き、聞かないでくださいよ! いないです。はは、淋しいやつですよね……」
シルバー先輩の方はきっと恋人いるんですよね? 昔からモテてたし、と頬をかくデュースに、気が付けば、俺は叫んでいた。
「……そんなことはない!」
「え!? ど、どうしたんですか急に大きな声出して!」
「す、すまない。……いや、その。恋人は、いない。俺には、その……ずっと、想う人があって、誰の誘いも断っていた」
「そ、そうだったんですか」
今、俺はどうすればいいのか。分からない。分からなかった。突然舞い込んできた機会に、何をすればいいのか、何を言えばいいのか、分からなかった。ただ、ひとつだけ、分かるのは。
「デュース。もし、まだ間に合うのなら、聞いてほしい。俺は、お前のことが――あの頃からずっと、お前のことが好きだった!」
「え、えええ?」
もう二度と、あんな後悔を抱いて眠る夜を過ごしたくない。
忘れようとしても、忘れられなかった。
何年経っても、ずっと、ずっと引きずっていた。
俺の想いに気が付いた誰に呆れられても、ずっと、ずっと。
不幸を願っていたわけじゃない。そんなこと、思うはずがない。
それでも、それでも、ただ。諦めがつかなかっただけなんだ。
そんな切なる願いが、長年溜め込んできた想いの果てが、目の前に転がっている。
それに手を伸ばさない理由が、今、どこにある。
「シルバー先輩、あの、本当に本気で……?」
「……そうだ」
「恋人とかも、本当にいなくって……?」
「いない。ずっと、お前を想って、誰にも応えなかった」
「僕に恋人いるって思ってたのに、ですか!?」
「……そうだ!」
「本気で言ってます!?」
「本気でなければ、こんなとき……、このような場所でこんなことを言いだすものか!」
啖呵を切ると、デュースは、ぽかんと驚いた顔をした後、笑い出した。
「……ははっ。なんですか、それ、アンタ、馬鹿だろ……」
「馬鹿で構わない。そんなことくらいでお前が手に入るのならば、俺はいくらでも道化になろう」
そこまで、とデュースは苦笑いし、そして、とうとう頷いた。
「いいですよ。今、ちょうど恋人欲しいなって思ってたんです。やっぱりこの歳になってきてひとりでいると、少し、淋しくて。だから、シルバー先輩……とりあえず、しばらくよろしくお願いします! この先ずっとになるかどうかは、これからのシルバー先輩次第ってことで!」
こんなんでもいいんですか、とデュースが尋ねる。俺は、積年の想いがようやく叶ったことが信じられず、ただ、呆けてしまいそうになった。
「……いい、どころか。本当に、夢ではないのか? 俺が毎夜描いていた、あの夢を、今この瞬間にも、夢想しているのではないか」
「現実ですよ。ほっぺでもつねりましょうか?」
むに、とデュースから頬をひねられる。……わずかに痛い。これは、現実のようだ。
そもそも、デュースの温度を、間違えるわけがない。この暖かな手のひらの温度は、間違いなくデュースのものだ。
「……本当に……本当、なんだな。嬉しい、デュース。ありがとう。どんなきっかけだったとしても、かまわない。きっと、これから先の未来、ずっと続いていけるように、お前のことを、他の誰よりも俺が大切にすると誓う」
デュースの手を取り、手の甲にくちづけた。デュースは頬を赤くして、ぱっと俺から手を離した。
「そ、外ですからっ。あまり目立つことはしちゃダメですっ」
「……ああ」
ただ、照れているだけなのだと、直感した。嬉しくて、仕方がなかった。
十年来の想いがようやく報われたことを、暖かな春風が祝福してくれているような気がした。
そうしていると、遠くに、知己の姿が見えた。まずは彼らに報告を、とデュースに笑うと、もう言うんですか、と慌てるのが可愛くて、もちろん、これから先手放す気はないからなと答えた。
この春風が、十年もの間、俺の想いを吹き飛ばさないでいてくれたのは、この日、その想いが報われることを知っていたから、なのだろうか。
真実のほどは分からないが、そうだといい、と俺の口元は、笑みを浮かべて。
長い間付き合い続けた胸の痛みと傷に、さよならを告げた。
*おしまい
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