※恋人設定
困った。
俺には最近、恋人ができた。彼はひとつ年下の後輩で、名前をデュース・スペードと言う。
彼の存在自体に困っている、というわけではない。むしろ、毎日一目会えただけでも嬉しくて、こんな気持ちを教えてくれたことに感謝するばかりだ。
では、何に困っているのか、というと。
……逢引について、だ。一般的に、恋人という関係になったのなら、偶には逢引のひとつでもしてやらなければならないと、頭では分かっている。そのために時間を作ることだって、出来る。だが、実際問題、俺はこれまで誰かと恋愛関係になったことはなく、どこにどうやって連れていけば逢引として正解なのかと、ぐるぐる頭を悩ませているばかりだ。
ふと、談話室の机に何かが置かれているのに気づいた。これは、雑誌か?
恐らく親父殿あたりが読んだまま置きっぱなしにしてしまったのだろうな。
あの人はなんでも出来るのに、何故、家事だけはどれも壊滅的なのかと溜め息をつきながら雑誌を手に取る。
すると、そこに書いてあった文字がふと目に留まった。
『日帰り可能温泉宿特集!!』
「……温泉、か。親父殿をお連れしたら、喜んでくださるだろうか……」
そこまで考えて、良いことを思いついた。親父殿をお連れする前、温泉の下見に、デュースを誘ってみてはどうだろうか。
宿の雰囲気などを確認するついでに、デュースとの逢引も出来て一石二鳥ではないだろうか。
そうと決まれば、善は急げだ。デュースから逢引の予定に了承を取るため、デュースへと電話をかけた。
マジカメのメッセージの方が相手の都合には合わせやすいかと思ったが、俺はスマホなどの機械に不慣れだからとデュースにいつでも電話をかける許可を貰っている。
『はい! デュース・スペードです』
「デュース。いきなりすまないな。今、時間はあるか?」
『大丈夫ですよ。どうしたんですか?』
「今度の休日、共に出かけられはしないだろうか」
『えっ……それって……もしかしなくても、デート……ってこと、ですよね!? 行く行く、絶対行きます!』
電話先からでも分かる、嬉しそうに弾む声音にこちらまで嬉しくなってしまう。
「ふっ、喜ぶのが早いな、お前は」
『だって、シルバー先輩とのデートですよ! 僕でも誘ってもらえるんだって、めちゃくちゃ嬉しいです!』
「……まったく」
一呼吸置いて、話を続ける。
「実は今度、親父殿を温泉宿へお連れしようと思ってな。その下見として、お前と共にそこへ赴ければ、と思った」
『と、泊まりですか!?』
「……日帰りもできる、らしいが……。布団や食事の様子などを見るためにも、泊まりの方がいい、だろうか?」
『うーん……そうですね! せっかくなら、お泊まりしたいかも』
「では、そのように。詳しい日時はまた、追って伝える。……楽しみにしている」
『はい! 僕も、楽しみにしてますね! それじゃ、名残惜しいですけど……失礼します!』
ツー、という音がして、電話が切れる。……喜んでくれて、良かった。
詳しい予定を打ち合わせて、少しの休暇を頂こうと、俺も小さな旅行の手配をすることにした。
それから、逢引の当日。
闇の鏡の利用許可とそれぞれの寮からの外出および外泊の許可を頂き、鏡の間に集合する。
「今日はよろしくお願いします、シルバー先輩!」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
今回はなんとか寝坊せずに済んで良かった。……どこから聞きつけたのか、今日デュースと出かけるということを知っていたセベクが叩き起こしに来てくれたお陰でもあるのかもしれない。
まあ、いい。デュースとセベクが、そんなことを話せるくらい仲良くなっているようで、何よりだ。
「へへっ、楽しみだな~、シルバー先輩とデート!」
デュースは、にこにことして、見るからに浮かれている。……こんなに喜んでもらえるのなら、もっと案を練るべきだったろうか。
共に温泉宿の下見をする、ということ以外、何も考えずに来てしまった。
……とはいえ、行ってしまえばなんとかなるだろう。鏡の前に立ち、デュースに手を差し出した。
「それじゃ、行くか。デュース」
「はいっ!」
闇の鏡を通り抜け、目的の場所へと到達する。眼前に広がる美しい紅葉が俺たちを迎えた。
「わあ……風情があって綺麗ですね!」
「ああ、そうだな。親父殿をお連れするまで、この景色が保っていると良いのだが」
ヴァンルージュ先輩喜んでくれるといいですね、とデュースは言う。……初デートが父との旅行の下見だと告げられて、内心どう思っているだろうかと不安に思う日もあったが……杞憂だったようだ。良かった。
デュースは俺と同じように、俺の家族を大事に思ってくれている。そのことが知れただけでも、もう既にここにデュースと来られて良かったとそう思い始めた。
おかしなことだな。まだ、宿の入り口に立っただけだというのに。
「入口あそこみたいですよ! 入って受付しましょう!」
「ああ」
先ではしゃぐデュースを追いかけるように、宿へと向かう。受付へ進むと、異国情緒の溢れる服装のスタッフが俺たちを出迎えた。
「いらっしゃいませ。ご予約の2名様でいらっしゃいますね、お部屋の用意が出来ております。こちらへどうぞ」
「ああ、ありがとう」
案内に付き従い、連れられるまま館内を進む。館内の建築は紙や木で出来ていて、俺たちには見慣れないものばかりだ。
「この宿は、ここよりもずっと遠い、東の国の建築様式で造られているのです」
「そうなのか」
「ええ。初めてご覧になられますか?」
「……たまに、文化だけを見かけることならあるが……まだ、本物は見たことがない」
「そうでしたか。でしたら、どうぞお楽しみください」
後ろからちょこちょことついてくるデュースも、物珍しそうに館内を見回している。
「ね、先輩。監督生が言ってた景色とちょっと似てます、ここ」
「そうか。アイツの故郷は、東の方の文化に近いのかもしれないな」
そんな雑談をしていると、やがて俺たちが間借りする部屋に辿り着いた。
「おお、綺麗だ!」
「風流だな」
「障子と襖の部屋でございます。寝る時はベッドではなく、お布団を敷きますので」
「OFUTON……聞いたことがあるぞ。KOTATSUの仲間みたいなものだって」
「あらあら、お詳しいですね」
「ダチが詳しいんです!」
そうして、デュースはスタッフと談笑を始めた。……すごいな。デュースはもう、スタッフと打ち解けて盛り上がっている。誰とでも気さくに話せ、人懐っこい性格は俺にはないものだ。
デュースはいつも自分には魅力や才能なんてない、特別な力なんてない、だからもっと頑張らなければと口にするが、俺から見れば、デュースなりの眩いばかりに光り輝かん力があるように思える。
「あら、お話が楽しくて、すっかり話し込んでしまいましたね。それでは私はこれで失礼します、ごゆっくりどうぞ」
「ああ、案内ありがとう。感謝する」
一礼をして、障子というらしい引き戸の扉を閉め、荷物を降ろした。
「この後どうしますか? お風呂は夜から、らしいですし……散歩がてらこの辺り見てみるのもいいですよね」
「そうだな。特に何も決めずに来てしまったから、そのような過ごし方でもいいだろう」
「せっかくだから、たくさん楽しみましょう!」
僕こういう旅館について監督生からたくさん話聞いてきたんです、とデュースは息巻いている。随分、この日のことを楽しみにしてくれていたようだ。
「ふっ、そうか。それでは、お前に任せてみるのもまた一興、だな」
「はいっ! どんと来いです!」
それから俺たちは、しばらく周囲の散策をしてみることにした。
周囲は宿を中心に発展しているようで、あちこちに植えられた紅葉の合間にたくさんの出店や屋台が立ち並んでいる。
「時計の街での祭を思い出すな」
「ははっ、確かに。ウチの街もこんな感じで、出店たくさんでしたね!」
ここにはどんな食べ物があるんですかね、とデュースは喜んで探索を始めようとする。
その足元に段差があったのを見つけて、つまずいたデュースを咄嗟に支えた。
「はしゃぐのはいいが、危ないぞ。足元にも気をつけろ」
「は、はい! 気を付けますっ!」
ぱっと離れて、駆けていく耳が真っ赤だ。……可愛らしいな。
くすぐるような笑いが込み上げてくるのを抑えながら、デュースを追いかけた。
前を歩いて行くデュースを追いかけた先で、デュースがふと足を止めた。
いったい何の店に目を取られているのかと思い覗き込めば、ああ、なるほど。
こいつは確かに、デュースが目を取られるわけだと納得をした。
デュースが足を止めたのは、『ひよこ饅頭』というノボリの上がった露店だ。
大小さまざまな大きさのヒヨコが、つぶらな瞳でこちらを見つめている。
ヒヨコや小鳥など、可愛らしい小動物の類が好きなデュースなら、目を取られるのも仕方ないだろう。
「買っていくか?」
「いいんですか!? いや、でも、うう……」
何やら迷っているデュースを尻目に、店主へ2人分のひよこ饅頭を注文する。
すぐに食べるからと袋を断ってそのまま渡してもらい、2匹のうち1匹をデュースへと差し出した。
「ほら。お前の分だ」
「あ、ありがとうございますっ! ……くっ、可愛い……」
「そうだな」
ひよこ饅頭を愛でているデュースの横で、ひょい、と己の分のひよこ饅頭を口の中に放り込む。
「ん、うまい。……ん?」
すると、真横でデュースが青ざめた顔でこちらを見ているのが分かった。……何か、してしまっただろうか。
「そうですよね……食べないと、ですよね……ひよことはいえ饅頭なんだから……うう……」
よく分からないが、デュースは何やら落ち込んでいるようだ。食べないのか、と尋ねると、ひよこさんごめんなさい、いただきます! と元気な挨拶をしてから、デュースもようやくひよこ饅頭を口にした。
ひよこを象っただけの饅頭にまで挨拶をするとは、律儀な奴だ。
そんな風に数々の露店を見回っている間に、いつの間にか日は暮れていた。
部屋に戻るなり夕餉の膳が用意され、二人机に向かい合ってそれなりに舌鼓を打つ。
夕餉が済むと、そろそろ今回の旅行で一番の楽しみとして設定されている風呂の番ということになった。
「ここ、部屋ごとに風呂がついてるんですね! ゆっくりできそうです」
「そうだな。せっかくの風呂だ、もう入ってしまうか?」
「はいっ! たくさん楽しみたいですっ!!」
「では、早速」
食事を済ませた膳を下げてもらい、風呂の準備を整える。
「先に入っているぞ」
「はっ、はい! 僕もすぐ行きますっ!」
デュースは何か少し、緊張でもしているのだろうか。……風呂に入るだけなのに、そんなに緊張することがあるか?
多少疑問に思いながらも、とりあえず身体を洗ってしまおうと、洗面台につくことにした。
「……いい湯だな」
身体と頭を洗ってしまった後、湯に浸かる。少し熱いくらいの温度はちょうどよく、ほう、と安堵の溜息が出た。
デュースは今、少し遅れて身体を洗っているようだ。
(こう心地がいいと、眠ってしまいそうになるな……)
うとうとする眠気を、頭を振って振り払う。風呂の中で眠るのは、危険だ。
冷たい空気が頭を冷やしてくれるであろう露天の方へ行ってみるかと、湯船を移動した。
すると、程なくしてデュースが現れる。
「先輩、露天の方にいたんですね。湯加減どうですか?」
「心地いいぞ。お前も入ったらどうだ? 身体が冷えるだろう」
デュースを湯に誘うと、失礼します、とデュースは湯船に入ってきた。
つかず離れずの微妙な距離に、デュースは座る。
「……遠くないか?」
「そっ、そうですかね!?」
「もっとこちらへ来るといい、何も遠慮することはないだろう」
そう言ってデュースを隣に抱き寄せる。するとデュースはかちこちに身体を強張らせてしまった。
大丈夫かと顔を見ると、その色は赤く染まっていた。
「なんだ。俺と共に風呂へ入るのが、恥ずかしかったのか」
「そ、そりゃそうですよっ! 恋人とはいえ、まだそんな、裸とか見たことないんだし……っ!」
「まだ、ということは、いつか見たいと思っていたのか?」
「えっ、それは、そ、そのっ……!!」
「遠慮するな。もっとこちらへ」
デュースをさらに引き寄せ、膝の間に座らせる。後ろからデュースの身体を抱きしめるように抱え込むと、デュースはぎこちない表情でこちらを上目遣いに見上げた。
「せ、先輩?」
「……ふっ。たまにはいいだろう、こういうのも」
お前を抱いていれば、この湯船でも眠気が来なくてちょうどいい、と告げると、デュースは、僕はドキドキするんですけど、と不満を漏らした。
「俺だって、鼓動は早まっている。分かるだろう? こんなに近いのだから」
「そ、それは、そう、かもしれないですけど……っ」
ちゅ、とデュースの濡れた髪にくちづけると、デュースはもういっぱいいっぱいだというように身体をびくりと震わせた。
「せ、せんぱい……あの……」
「……大丈夫だ。何もしない。ただ、こうした時間も、お前に与えてやりたいだけだ」
デュースのうなじに、ちゅ、とくちづける。腰を抱く手に力を込めると、デュースは身体を縮こまらせた。
「……僕、心臓がバクハツしそうです……」
「それは困ったことだな」
さあ、もう少し。身体も心も芯から暖まりきるまで、この腕の中にいてもらおうか。
耳元でささやけば、デュースはもう既にのぼせてしまわないかと思うくらい、林檎のように真っ赤になってみせた。
そんなわけでたっぷりと暖まった風呂から上がり、あとは寝るだけ、という段になる。
寝床には布団という寝具が二つ並べて置かれており、これをひとつずつ使えばいいようだ。
「横になったらすぐに眠ってしまいそうだな」
「でも、布が冷たくて、気持ちいいです」
既に布団の手触りなどを確かめていたデュースは、どうやら身体が火照っているようだ。
のぼせた身体に、冷えた布団の手触りが心地良さそうにしている。
「もう眠ってしまうか?」
「そうですね、たくさん歩いて疲れたし……ベッドには入りたいかな」
「では、照明を落とすか」
スイッチを操作し、照明を落とす。夜間の間接照明だけになった部屋は、薄暗い。
デュースが入っている方の布団とは反対の布団に入り、肘をついて横を向いた。
同じようにこちらを向いて寝ていたデュースと目が合ったので、布団の上からぽんぽんとデュースの身体を叩いてやる。
「……先輩、僕のこと寝かしつけてます?」
「なんだ、お気に召さなかったか?」
「子ども扱いしないでくださいっ」
「ふっ、すまない。つい、可愛くて」
ぷく、と不満そうに片頬を膨らませるデュースの髪を撫でつけると、大人しくなった。
少しだけ布団の中からこちらへ寄ってきたので、抱き寄せるように腕を回してやる。
「……先輩」
「ああ、なんだ?」
「……その。手、繋ぎたい、です」
「分かった」
布団に置かれたデュースの手に、自分の肘をついていた左手を絡める。暖かいな。
「お前の手は、暖かいな」
「そ、そうですか?」
「ああ。……暖かな、木漏れ日のようだ」
枕に頭を乗せたせいか、うとうとと、眠気がやってくる。うつろな景色と意識の中で、おやすみなさい、シルバー先輩、と穏やかに響く声が聞こえたような気がした。
翌日。
「シルバー先輩、起きてください。……起きろっつってんだろ、オラァ!!」
「ん、デュースか。おはよう」
デュースの声に起こされ、目が覚める。デュースの声で覚める目覚めは、良いものだ。
「朝の支度して、ちょっとのんびりしたら忘れものチェックして、チェックアウトしましょう」
「ああ」
まだ回らない頭で、早起きなデュースの言葉を咀嚼する。のろのろと洗面台に向かうと、まだ寝ぼけているなと笑うデュースの声が聞こえた気がして、いつかこんな朝が日常になる日が来るかもしれないな、と気が早すぎる夢想を冷たい水で洗い流した。
チェックアウトの手続きを済ませ、デュースと共に学園への帰路につく。
「なんだかそわそわしているな。どうした?」
「その。シルバー先輩は、楽しかったですか?」
「ああ。もちろんだ。お前と、このような時間を過ごせたことを、嬉しく思う」
お前はそうではなかったろうか、とデュースに尋ね返すと、デュースは、もちろん僕も楽しかったです、と答えた。
「シルバー先輩は、忙しい人だから、あんまりこういう時間取れないかもって思ってたので……。連れてきてくれて、本当に嬉しかったです。またお出かけ、誘ってくださいね! 僕の方からも、機会があれば誘ってみますから」
「ああ。ありがとう。そう言ってくれるのなら、誘って良かった」
「はいっ! それじゃ、次はヴァンルージュ先輩を連れてこないと、ですね!」
「ああ。それが済んだら、またお前とも、改めてどこかに出かけることにしよう」
「楽しみにしてます!」
デュースと談笑しながら、闇の鏡を通り学園での日常へと帰る。
寮に帰ってからも、最初から最後までとても楽しそうにしてくれたデュースの顔を思い返しては、たまにはこのような時間を過ごすのも悪くない、また美しい景色や連れ出したい場所を見つけて、ここにもそこにもデュースを連れて行ってやることにしようと心の内に決意する日々が続くことを、今の俺にはまだ知る由もなかった。
*おしまい
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