青空の下、麓の街の石畳を踏んで歩いていると、どこからかリィン、ゴォンと鐘の音が聞こえてきた。
「あっ、見てください。あれ、結婚式してるみたいです!」
色とりどりの風船が青空に飛んでいくのを指さして、僕は隣を歩く銀髪の先輩に顔を向ける。先輩は、僕の視線と同じ方にある教会を見て、そのようだなと頷いた。
「いいなあ、結婚式」
「羨ましいのか?」
「……実は、ちょっと」
シルバー先輩に尋ねられて、僕は素直に答える。他の奴にならからかわれるかもしれないけれど、シルバー先輩なら茶化さないで僕の憧れを聞いてくれる気がしたからだ。
「結婚って、自分がこの人だって決めた大事な人と、ずーっと一緒にいるって約束するってことじゃないですか。それ、いいなあって」
「そうなのか」
「はい。……ハートの女王と王様も、そういう仲良し夫婦だったんだって聞いて。実はちょっと憧れてたりなんかして……」
僕には似合わないと思うから、あまり人にこういう話はしないんですけどね、と頬をかいていると、シルバー先輩は言った。
「似合わない、なんてことはないだろう。お前は、傍にいる人を大切にできる人間だと思う」
「そ……そう、ですかね? だったらいいな……」
「大丈夫だ。自信を持て」
「……そうですね! ありがとうございます!」
でも、自信を持ったところでまずはそういう風に思える相手を見つけるところからですよね、気が早いな僕、と苦笑いすると、シルバー先輩がとんでもないことを言い放った。
「なら、俺とするか? 結婚」
「……はい?」
ん、どういうことだ? 結婚? できるのか? 男同士で。いやそもそも、僕、先輩と付き合ったり告白したりしてたっけ。そこからだろ。
「僕ら付き合ってましたっけ……?」
「そのような確認をしたことはないな」
「ですよね!? じゃあなんでそんなこと言い出したんですか!?」
「相手が欲しいのかと思って」
「だ、誰でもいいってワケじゃないです……。ってか、先輩はいいんですか?」
「俺はいい」
「え?」
俺はいい、ってどういうことだ? なんでだ、先輩。何か事情でもあるのか? あ、こういうのドラマでよくあるよな。イケメンすぎてモテちゃって、縁談断りたくて偽恋人探してる、とか。
「何か、結婚相手とか探す事情でもあるんですか……? お見合いとか来てて断りたいとか……?」
「違う」
「じゃあ、えっと、なんで?」
混乱する僕に、シルバー先輩はただ淡々と言った。
「お前のことが好きだから、俺がその席を貰おうと思ったまでだ」
他の誰かと結ばれる前に、とシルバー先輩は最後に付け足した。混乱した僕の頭は、もっと混乱した。混乱して、それで、絞り出せた答えは。
「とりあえず、結婚の前に、お付き合いからだと思います……」
そんな一言だった。
「それもそうだな。では、改めて願おう」
シルバー先輩は一歩進んで僕の手を取り、手の甲にくちづける。
「結婚……という形にはならないかもしれないが。そうした将来の約束を前提に、俺と交際してほしい」
「え、そんなガチのヤツで来るんですか」
「ああ。本気だ。デュース、この申し出を受けてくれるか?」
綺麗なオーロラ色の目が、僕のことをじっとまっすぐ見つめている。僕は、この目、この顔に、すごく、すごく弱い。
「……じ、じっくり、少しずつ、様子見ながらなら……ないこともない、です……」
「分かった。ありがとう」
結局僕は断り切れず、シルバー先輩の気持ちを受け入れることになった。
そんな成り行きでシルバー先輩と付き合うことになってから、数日が経った。とは言っても何かが大きく変わったってわけじゃない。シルバー先輩が、廊下で互いの姿を見かけたときに、手を振ってくれるようになったとか、あったのはそんな些細な変化くらいだ。
とりあえず僕も手を振り返したり会釈したりしているが、なんだかそれだけでも妙に照れくさい。っていうか、シルバー先輩が僕のことを好きだったなんて、全然知らなかった。本当に知らなかった。だって、先輩のまわりにはもっと強くて素敵な人がたくさんいて、僕なんか目に入れてないだろう、目に入れていたとしてもちょっと仲の良い後輩とか、その程度でしかないだろうって思ってたから。
あれ、これじゃ僕の方がシルバー先輩のことずっと好きだったみたいじゃないか? いや、好きだったが! それはあの、なんていうか憧れの人みたいな気持ちで、ああなりたいなって気持ちで、だからって別にシルバー先輩の気持ちが嫌だとか受け入れられないとかそういうわけじゃないんだが、むしろ嬉しいくらいなんだが、なんていうかほら……ああもう分からない!!
僕を悩ませてどうしたいんだあの人は! そんなことを考えていると、シルバー先輩の姿が脳裏に浮かぶ。
『お前のことが好きだから、その席を貰おうと思ったまでだ。他の誰かと結ばれる前に』
そうだった……。どうしたいって、将来的に僕とずっと一緒にいたいって思ってくれてるんだった。……それにしたって、結婚は急すぎないか? あ、僕がしてみたいって言ったからか? どういうことなんだ、たまに何考えてるか分からない人だったけど、今回ほど分からないことはなかったぞ。
ってか恋人? 恋人になったんだよな? 恋人とただの先輩後輩の違いってなんだ? キスとかしたり好きだって言い合ったりすることか? でも先輩そういうこと全然してこないぞ。じゃあこれなんだ? 僕たちのこの関係なんなんだ? 『お友達からお願いします』ってやつなのか? だとしたら、どうやってお友達から恋人にステップアップしていくんだ? てかそもそも僕はステップアップしたいのか!?
僕の中の疑問は尽きない。あれからずっと、シルバー先輩のことばっかり考えている。シルバー先輩はこのことを話したらなんて思うんだろうか、なんて思って、既にシルバー先輩に流され始めているような気がした。
「……ずっとシルバー先輩のこと考えてる気がします」
「そうか、嬉しい」
後日、昼休みの中庭にシルバー先輩が落ちているのを見かけたから、とりあえず起こしてみた。先輩はまだ寝ぼけているのか、少しぼーっとしている。
「先輩、また寝てたんですね」
「今日は苦手な授業が多かった。疲れてしまったのかもしれない……気を抜かないよう、気を付ける」
「先輩にも、苦手な授業があるんですか?」
「ああ。魔法史や錬金術の授業は、どうしても眠くなる……。不甲斐ないが、クルーウェル先生の補習に引っかかったことも、一度や二度ではない」
僕はなんとなく嬉しかった。シルバー先輩のことはずっと完璧な人だと思っていたけれど、苦手なこともあるんだなって分かって、親近感が湧くような気がした。だからなのか、手を伸ばした。伸ばしてしまった。
「頑張ったんですね」
よしよし、とシルバー先輩の頭を撫でる。シルバー先輩は目を丸くしてびっくりした顔で、僕の方を見て固まっていた。それを見て僕は、やらかしたことを理解した。何やってんだ僕、先輩相手に!! 調子に乗ってるにも程があるだろ!!
すぐに手を引っ込めて、すいません調子乗りましたと謝ると、先輩は困ったような態度を見せた。
「いや……大丈夫、だ」
気まずい。なんだろう、この気まずさ。完全に間違えた気がする。なんだかお互い顔を逸らしていて目も合わないし、先輩は口元に手を持っていって、眉をしかめてるし、耳元は赤いし……ん? 耳が、赤い?
「……えっと。先輩。もし、間違ってたらすいません。でも、その……」
「……なんだ。言いたいことがあるなら、早く言え」
「照れてます?」
「……」
シルバー先輩は答えない。でも、うっすら赤くなった頬の色が答えなんだろうと、僕にでも分かった。
「はは。先輩ってば、案外分かりやすいんですね」
ちょっと可愛いかも、と笑っていると、急に地面へ押し倒された。え、いや、なんだ!? シルバー先輩の赤い顔が、すぐ目の前にある。
「……好きだって、言っただろ。触れられて、照れて悪いか」
それから唇に、ふに、と柔らかいものが触れた。え、キス、だよな、これ。
シルバー先輩はそれからすぐに身体を起こし、そっぽを向いて片膝を立てた。僕も身体を起こして、口元を指でなぞる。……や、柔らかかった。キスって、あんな感触するんだな。じゃ、じゃない。浸っている場合じゃない。先輩を怒らせちまったのかもしれない。どうにかしないと。
って、思ったんだけど……。怒ってるわけじゃ、ない? シルバー先輩をよく見ると、むすっとした顔はしてるけど、苛ついた感じとか、なんていうか……。怒気みたいなものは感じない。これ、ひょっとして。
「……拗ねてます?」
「拗ねてない」
拗ねてるな。なんだ、もう。先輩……すごく、普通じゃないか。顔色のひとつも変えず、あんまり淡々と好きだって言うから、何考えてるのか分からない、って思ってたけど、普通に恋して、普通に照れて、普通に拗ねるんじゃないか。なんだよもう、身構えて損した。仕方ないな、と僕は息を吐く。それから、先輩に向けて言った。
「先輩、本当に僕のこと好きなんですね」
「ずっとそう言ってる」
まだそっぽを向きながらも、答えてはくれる。やっぱりただ拗ねているだけなんだな。
「……僕、さっきまでずっと先輩のこと、遠い人だと思っていました。いつまでもどこまでも完璧で、手の届かないような、憧れの人だって。ずっと、僕よりも先を走り続けていくんだろうな、って」
「俺は、そんな大層なものじゃない」
「はい。僕も、今はそう思います」
「何?」
「つっても、悪い意味じゃなくって……。なんていうか、シルバー先輩も普通の、僕たちと同じような一人の人間なんだなって。前よりもずっと、身近に感じてます」
先輩の手にちょんと指先を触れさせながら言うと、シルバー先輩は、そうかと頷いた。眉間の皺が取れたのを見て、僕は先輩のことをからかった。
「これからは、好きなときにキスしていいですよ」
「は?」
「僕が、そうされてもいいと思ったんで」
なんなら今もう一回します? と言ったら、返事はすぐにキスで返ってきた。言葉より行動、な人だな、ったく。僕は目を閉じて、それを受け入れる。そうしているうちに、僕の中にあったごちゃまぜの感情が、この人の傍にいてみたいな、と思う気持ちに変わっていく感じがした。
それから僕らは、たまに時間を作って会うようになった。恋人同士ひとときの逢引、だなんて……まあ、傍から見ればそうなのかもな。人気のない場所で会って、少しだけ話をして、たまにキスなんかして、それからまた別れる。そんなことを何回か繰り返すうちに、先輩からハグされたり、抱き寄せられたりするようなことも増えるようになった。僕はそれを、ただ拒まず受け入れている。そうされることで、シルバー先輩の傍にいてみたい、って気持ちに変わりはなく、なんならむしろ、もっとこの人と一緒にいたいって気持ちが増えて強くなっていくのが、日に日に分かっていくからだ。
照れる気持ちも、そりゃもちろんあるけど……。なんていうか、それ以上に、あの先輩もこんな風にすることあるんだって思うと、なんだろう? 甘やかしたくなる……じゃないけど。好きにさせてみたくなる、よく分からないが、そういう好奇心みたいなものも湧いてきて。この感情の名前を僕はよく知らないけど、たぶん、きっと悪いものじゃないよな。
「先輩、今日はどんな風に過ごしてたんですか?」
「午前中は飛行術の授業があった。今日は風の読み方がとてもうまくいって、リドルを抜くことだってできた」
あ、これは少しだけ得意げな声色だ。ひょっとして僕に格好いいと思ってもらいたかったりして、なんて思って、僕はそれを可愛いなと思う。
「ローズハート寮長、飛行術が得意って言ってたのに……。すごいですね、シルバー先輩」
「ああ」
嬉しそうだ。僕もなんとなく嬉しい。最近の僕の楽しみは、こうやってシルバー先輩を喜ばせることだったりする。僕の言動で一喜一憂してくれるのが、嬉しいんだ。僕のこと本当に好きだと思ってくれてるんだな、って分かって。実際、嘘をついているわけじゃない。元々憧れの人だったのもあって、格好いいとかすごいって思うのも本当だし、それをどれくらいどんな風に伝えるかは僕の自由だろ。それに。
「デュース」
「……ん」
先輩はキスが好きみたいで、気持ちが昂ると僕にこうして唐突にキスをしてくることがある。僕も嫌ってわけじゃないし、なんならむしろ、してほしいと思うときさえあるから、これはこれでいいかなと思ってるんだ。
……認める。単純だけど、たぶん僕はもうシルバー先輩のことが好きなんだと思う。ハッキリいつからなのかは分からないけど、今はもう完全に傍にいたいって思うし、キスされれば嬉しいし、抱きしめてもらえばドキドキする。
あとはいつ先輩にこのことを伝えるか、だけど……。なんていうか、改めて言うには、どうしたらいいのか。てか、結婚的なことを前提に交際してくれって言われた以上、なんかゴールがそこになっちまってる気がするから、微妙に言い出しにくい。あ、でも、そっか。好きは好きだけど、結婚はまだ早いと思うんで、って言えばいいのか。よし、そうと決めたら、伝えよう。
「先輩」
自分でもびっくりするくらい甘い声が出た。ま、まあいいや。ちょっと照れくさいけど。
「……なんだ?」
顔赤いな……。先輩まで照れないでください、僕の方が照れるんで……。
「好き、です」
一言伝えると、シルバー先輩は驚いた顔をして、まじまじと僕の方を見て、僕の頬にそっと手を触れさせた。あ、混乱してるな。
「……本当に?」
「嘘ついてどうするんですか。それに、好きでもなかったら、こんなに色々されて、大人しくしてませんよ」
僕は苦笑いして、それから言った。
「それでも結婚とかは、正直まだ僕らには早いと思いますけど……。でも、今は先輩と一緒にいたい。もっと傍にいたい、です」
僕からシルバー先輩の身体に抱き着いて、背伸びをしてキスをする。すると、先輩は完全にフリーズ、固まってしまった。
「先輩? シルバーせんぱーい」
見えているかなこれ、と不安になっていると、急に強く抱きしめ返された。く、苦しい。
「せ、先輩っ、息、苦しいです……っ!」
「あ、す、すまない。……嬉しくて、つい」
腕の力を緩めてもらって、ようやく先輩と見つめ合うことができる。何かを言おうとしてるみたいだけど、うまく考えつかないようだったから、目を閉じた。そうすると、唇に向けて柔らかな感触が落ちてくる。そのあったかさだけで、シルバー先輩が伝えたい、全部の気持ちが伝わってくるような気がして、それで……、その気持ちが、熱くて、優しくて。ああ、この人なんだろうな、って、僕の中で、何かがすとんって胸に落ちる感じがした。
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――それから、数年後。あのときと同じように、僕は昂る気持ちをうまく言葉にできないシルバーからキスをもらう。今日は正式な結婚……って形には言い切れないが。それでも、身近な人たちくらいには、この人とこれから一緒に生きていくと決めましたと改めて伝えたいからと、それぞれの家族を招いてささやかなパーティを開く日だ。それで、今は会場に入る前の、最後の打ち合わせをしている。まあ、打ち合わせなんかほとんど済んでいて、あとは覚悟だけ、なんだが。
「今日の気持ち、全部伝えられたか?」
「……分からない。だが、お前になら、これできっと伝わっていると思う」
「はは、思えば、昔からずっとそうだよな。最初の頃から、ずっと」
「ああ。懐かしいな。今思えば、あの頃からお前には俺の気持ちを見抜かれていたのか」
「今日は緊張してるか?」
「……してない」
「ははっ、そういうことにしとく」
してないと言っていると拗ねたシルバーの頭を僕は撫でる。せっかく格好つけた髪のセットを崩さないように、少しだけ。
「なあ。僕からも、伝えたいことがあるんだ」
「……なんだ?」
“出会ってくれて、ありがとう”
耳元でささやいて、僕からもキスを返す。するとシルバーは、黙って僕の手をぎゅっと握りしめた。
そうして僕は、握り返した手と、隣に立つシルバーと一緒に、会場の中へと歩き始める。まだ幼いあの日に約束した未来を、今、叶えるために。
――あの日、あのときに見た色とりどりの風船が飛ぶ青空と同じ色をした空が、僕たちを待っていた。
*おしまい
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