*含まれるもの
・ネタバレ(ホワイトラビットフェス・星送りほかイベスト、メインスト7章の重大なネタバレ)
以上、大丈夫な方はスクロール↓
――朝から、嫌なことばかりだ。返ってきた小テストの成績は最悪だし、錬金術の実験は失敗するし、何もない廊下ではすっ転ぶし、おまけにざあざあ降りの雨が降ってきたのに傘を忘れた。これで、どこが優等生って言うんだ? ため息をついていると、僕の前に誰かの影が落ちる。その影の持ち主は、大きな傘を差しかけたシルバー先輩だった。
「どうした? 浮かない顔をしている」
「シルバー先輩」
なんでもないです、朝から嫌なことばっかりで、ちょっとヘコんでただけです、なんて誤魔化しても、シルバー先輩はじっとまっすぐに僕を見つめてくる。……お見通し、なんだろうな。この先輩の綺麗な目には、きっと、どん底な僕の姿も、しっかりと映ってるんだろう。
「……なんていうか、今日は失敗続きで。やっぱり僕、ダメダメだな、って。こんなんじゃ優等生には程遠いなって、改めて……なんか、そう思っちゃって」
「前にも言ったと思うが……、未来への不安を消してくれるのは、愚痴ではない。たゆまぬ努力だ。そうして、お前はその努力をしてきたと思う。俺は、その姿を見ていた。少しばかり不調だからと言って、落ち込むことはない」
「先輩……」
どうしてこの人は、いつも僕の欲しい言葉をくれるんだろう。叱って、励まして。暖かく見守ってくれるんだろうな。
「ありがとうございます、励ましてくれて」
「ああ」
「ちょっとは元気出た気、します」
「それなら、良かった」
それじゃ僕も急いで寮に帰りますね、と走りだそうとすると、シルバー先輩に腕を掴まれた。
「なんですか?」
「傘はどうした?」
「忘れちゃって……。だから、走って帰ります」
「……」
シルバー先輩はぐいと僕の腕を引いて、僕を自分の傘に入れた。
「え?」
「傘くらい、俺が差してやる。だから、落ち込んだ日に、冷たく身体を濡らして帰るような真似はするな。もっと、気持ちが暗くなってしまう」
行くぞ、と歩き出すシルバー先輩に腕を引かれるまま、歩いて行く。……どうしてだろう。いつも、この人は、暗い雨が降る僕の心に、いつもこうやって、傘を差しかけて、そして、雨上がりの水溜まりに反射する太陽みたいな、キラキラした光で、僕の気持ちを照らしてくれるんだ。
……困ったな。こんな風にされたら、僕、きっと、この人のことを、好きになっちまうな。大好きな先輩を、困らせたりしたくないのにな。なんて、そんなこと思ってる時点で、もう先輩のこと、好きなんだろうけどな。
*
街灯が灯るほど薄暗い雨雲の下を、デュースと二人で歩いている。たったひとつの傘の中で。何故、今、こんなことになっているのか。
――土砂降りの軒下で、浮かない顔をして俯くデュースを見つけた途端、黙って歩き去ることはできなかった。傘を差しかけて、冷たい雨から守ってやるべきだと思った。
俺は、最近、デュースに対して、分からない気持ちを抱いている。デュースは強い人間だ。何度折れても、挫けそうになっても、何度でも諦めず這い上がる根性を持っている。だから。俺が過保護に守ってやる必要はない、はずなのに。それでも、つい、守りたい、助けたいと思ってしまう。
傍にいて、支えになってやりたい、と。それは友情なのか、親愛の情なのか、それとも後輩という存在が出来たことで、いっぱしの兄貴風でも吹かせているのかと、仮になればと名付けてみた感情はどれもしっくり来ない気がした。だが、それはそれでもいいと思った。その感情がどんな名前にせよ、きっと俺はデュースのことを大事にしたい存在だと思っている、それは変わりのないことなのだろうと分かっていたから。
しかし、分からないままではいられなかった。ひとつの傘に入り、距離がいつもよりぐっと近くなり、時折、手の甲が掠めて触れ合えば、ドキリと鼓動が鳴るのが分かった。
隣にいる存在に、妙な動悸を覚えている。ぽつぽつと話しかけられているが、上の空になってしまい、なかなか言葉が頭に入ってこない。……ちゃんと、声を聞いていたいのに。
一歩、一歩と水溜まりの道を歩いてぴしゃりと足元が音を立てる度、手を伸ばしたくなる。ぎゅっと手を握り、抱きしめたくなる。この、激しい感情はなんなのだろうか。どうしてデュースに、そんな風にしたいと思うのだろうか。
考えているうちに、鏡舎に着いてしまったようだ。俺は、デュースが濡れないようにと傘を差しかけながら鏡舎の中に入るよう促す。デュースが鏡舎の中へ入っていったのを見届けると、俺もそれに続いて傘を閉じ、鏡舎の中へと入った。
「今日はありがとうございました、シルバー先輩。お陰で濡れずに済みました」
「かまわない」
デュースは眉を下げて、困ったように笑う。普段の元気な彼とは少々イメージに相違がある笑顔だが、俺は、そうしたこの笑顔が好きだ。まだ俺の知らない一面を見せてくれているような気がして。
「今日は良くない日だって思ってたけど……。やっぱり、良い日だったのかもな、って思ってます。先輩と、会えたから」
なんて僕、何言ってるんですかね、なんて照れてみせるデュースを、俺は、つい抱きしめていた。持っていた傘も放って。
「え、せ、先輩……?」
「……あまり、そういうことを気軽に言ってくれるな。都合良く、勘違いしてしまいそうになる」
デュースの唇を指でなぞり、じっと目を見つめる。デュースは困った表情で顔を赤くしていたが、やがて、目を閉じた。
「……」
拒まれていない。そう直感した俺は、デュースの唇へ、くちづけた。ふに、と柔らかな感触が、お互いの唇に重なったと思う。唇を離して、問いかけた。
「お前は、俺が好きなのか?」
「せ、先輩、こそ……。なんで、こんなこと、するんですか」
「……お前に、くちづけたいと思ったから」
「ぅえ!?」
抱いたままのデュースを逃がさないようにガッチリと抱きしめる。
「俺と会えて嬉しかったと言うお前が、健気でいじらしく、可愛らしかったから、抱きしめたいと思った。悪いことばかりだと言うのなら、それ以上の喜びを与えたいと思った。近くで触れることになって、くちづけたいと思った」
「ちょ、ちょっと待って、先輩、ストップ……!」
デュースの手を取り、自分の頬に触れさせた。デュースの手も、己の頬も、どちらも同じくらい熱いような気がした。
「……俺は、お前が好きなのだろうか、デュース……?」
「わ、分かってなくてやってるんですか……?」
「お前に、特別な気持ちを持っていることは否定しない。だが、俺はこの感情の名前を、知らない。だから、教えてほしい。お前が、それを知っているのなら」
デュースはますます真っ赤になって、目線をあちこちに泳がせるが、最終的にぎゅっと目をつぶり歯を食いしばると、答えた。
「ぼ、僕にも先輩の気持ちが実際どうなのかはわかんないですけどっ! ……でも、恋、とか、好きだ、って気持ちだったら、いいな、って思います。僕は、そういう風に、先輩のこと、好きだから……」
「……そうか。分かった」
縮こまってしまったデュースを、もう一度改めて強く抱きしめる。胸の鼓動と、満足感が湧いてくる。
「好きだ、デュース」
口にしてみたそれは、驚くほど俺の心にしっくりと来た。嬉しくなって、もう一度言う。
「本当に好きみたいだ、デュース」
「わ、分かったから、もう勘弁してください……」
最後にもう一度デュースにキスをして、腕から解放してやる。解放された瞬間へなへなとしゃがみこんでしまったデュースは、終始真っ赤なままだった。
*
『好きだ、デュース』
『本当に好きみたいだ、デュース』
好きだと言う声、デュースと呼ぶ甘い声が、何度も頭の中で反響する。
「嘘だろ……。いや、本当に、夢、だったのか……?」
何度自分の頬をつねってみても、痛い。夢じゃない。ベッドの上でゴロゴロバタバタと暴れていると、ルームメイトにうるさいと怒られた。
「何暴れてんの、デュース。さっきからマジでうるさいんだけど!」
「エース……」
こういうことはエースが得意だろうか? 聞いてみるのもいいかもしれない。いや、でも、なんていうか、僕が恋だとかなんだとか……めちゃくちゃ恥ずかしい!
「な、なんでもないんだ。気にしないでくれ」
「あっそ~。じゃあ静かにしてろよな!」
なんとか誤魔化すことはできたみたいだ。僕はもう一度、クッションに顔を埋める。……キス、しちゃったな。そういえば。先輩自身も、僕のこと好きなのかどうなのかよく分かってなくてやってたみたいだが……。
『俺は、お前が好きなのだろうか、デュース……?』
困ったように、照れたように、不思議そうに、赤らめた顔で僕に尋ねてくるシルバー先輩の姿を思い出しては、噛みしめる。なんとなく、いてもたってもいられなくて、誰かに話したくて、部屋を出た。
「僕、母さんと電話してくる!」
「いってら~」
通話先の母さんに、恋人ができたかもしれないなんて話を切り出すと、すごく喜んで、どこの誰? どんな人? って食いついてきた。そこで僕はちょっとミスったことに気が付いた。そういえば、シルバー先輩は男の人だ。いきなりそんなこと言ったら、母さん、びっくりしちまうかもしれない。でも、僕は、母さんに隠しごととか、これ以上したくなかった。それに、後から分かって、やっぱり駄目よ、なんて言われるのも、悲しいと思ったから。だから、話した。
「実は、相手は学校の先輩……なんだ。前にも、会ったことあると思うんだけど……シルバー先輩」
母さんはちょっと驚いて、それから、そうなのね、って言った。それから、僕たちのことを心配してくれた。
『デュースのお友達にしては、落ち着いた感じの子だと思ってたのよね。そっかあ、なるほどね。うまくやっていけそう?』
「分からない、けど……。うまくやってけたらいいな、って、思う」
それから、母さんはとにかく頑張れと言って、電話を切った。部屋に戻ると、もうルームメイトは皆部屋の電気を消して、先に寝ていた。
僕も寝ようとベッドに身体を滑り込ませる。朝から最悪な日だったはずなのに、今日起きたことが全部夢じゃなければいいのに、なんて思った。
*
夜、俺は夢を見た。正確には、夢を渡った。デュースの夢に立ち入ることが許されたのだと知覚できて、嬉しかった。
夢の中のデュースは、母親と親しげに電話をしていた。そして、俺の話をしていた。『恋人ができた』と。
けれど、電話先の母君の反応は芳しいものではなかったようで、デュースは「そうだよな……、うん。いつか、分かってくれると嬉しい」と肩を落とした。
――これは、ただの夢だ。だけど、そうせずにはいられなかった。だから、俺は電話を取り、その向こうの母君に告げた。
「大切にします。あなたが不安にならないくらい、いつまでも、ずっと」
夢の中のデュースは、突然現れた俺にぽかんと呆気に取られた顔をしていて、だけど、そのあとすぐにくすりと笑った。
「ありがとうございます、シルバー先輩」
「ああ」
これはきっと、デュースが不安に思っていることが反映された悪夢だったのだろう。ならば、と俺は考え、そこでけたたましい目覚ましの音が鳴った。
むくりと現実世界のベッドから身体を起こし、そして、一言ポツリと呟いた。
「……挨拶、させてもらうか」
*
今日はなんだか、夢見が良かった気がする。何の夢を見たのかは、さっぱり覚えていないんだけど、悪い夢じゃなかったって気がした。だから、授業で当てられて、答えを間違えても、めげずに解答を出すまで挑戦できた。トレイン先生にも、正解を導き出そうとする、その根性はよろしいって褒めてもらうこともできた。昨日と比べて、今日はいい日かもな。なんて思ってた。そしたら、もっといい日になった。昼休み、中庭で寝ているシルバー先輩を見つけたからだ。昨日のことが夢じゃないって確かめるためだと言い訳しながら、シルバー先輩に近づいて、起こした。
「シルバー先輩っ! 起きてくださいっ!!」
「……ん、デュース……?」
「は、はい! デュース・スペードですっ!」
シルバー先輩は、目をこすりながら身体を起こす。
「えっと……」
「………………」
起こしたはいいけど、気まずい。昨日のこと夢じゃないですよね、なんて聞き出しづらい。僕がしどろもどろ、挙動不審になりながら黙っていると、シルバー先輩の方が先に口を開いた。
「丁度良かった。お前に、用があったんだ」
「僕、ですか?」
「ああ。改めて、母君にご挨拶をさせてほしい」
「えっ!?」
なんでですかと問いかけると、シルバー先輩は言った。
「お前が、不安なのかもしれないと思ったから。俺とのことが、母君には受け入れられないのではないかと」
「先輩……」
確かに、昨日母さんと話していたときには、そんな不安もよぎった。でも、母さんは受け入れてくれている。
「大丈夫ですよ。実はもう母さんには、先輩とのことを電話で話しちゃったんですけど……。頑張れ、って言ってくれましたから」
「そうか」
とはいえ、と先輩は続ける。
「お前と関係を結ぶ以上、改めての挨拶は必要だと思う。これは俺なりの礼儀、ケジメのようなものだと思ってほしい」
「先輩……わかりました! えっと、じゃあ……。次の休日、また、薔薇の王国に行きましょう」
「ああ。分かった」
どうやら、僕の夢じゃなかったらしい。シルバー先輩は、僕とのことを相当真剣に考えてくれていた。そして、次の休日。シルバー先輩は僕の家に来て、そして、母さんにこう言った。
『この先不安なこともあるでしょうが、俺は、デュースと真剣にお付き合いさせていただくつもりです。どうか、これからよろしくお願いします』
もはや堅すぎて結婚前の挨拶みたいになっているな、と思う僕をよそに、母さんとシルバー先輩は盛り上がっていた。……恋人と親の仲がいいのはいいことだよな、うん。
それから僕たちは母さんにお土産を渡したり、ちょっと街を見て回ったりしてから学園に戻った。
「先輩、今日はありがとうございました」
「礼を言われるようなことはしていない。こちらこそ、無理を言ってすまなかった」
「いえ、無理なんかじゃないですよ。母さん、喜んでくれてたし……。それに、僕とのこと、本当に真剣に考えてくれたんだなって分かって、嬉しかったです」
「デュース」
シルバー先輩の頬に、手を触れさせる。拒まれないことが、嬉しい。
「別に、誰彼かまわず大事に扱ってもらいたいわけじゃないので、いいんですけど。僕、普段は結構ザツに扱われること、多いから。こんな風に、真面目にしっかりと扱ってもらえるのが、なんか、新鮮で……嬉しくて」
だから、ありがとうございます、とシルバー先輩に身体を寄せると、そっと抱き返された。そっと、と言っても、なかなかの力だけどな。まあ、いいんだ。
「ハッキリ好きだと自覚できたのは、つい最近のことかもしれないが――お前のことは、その前からずっと、俺にとって大切なものだと分かっていた。だから、真剣に向き合う。大切に扱う。俺が、そうしたいと思ったからだ」
「先輩……。ありがとう、ございます。僕にも、大切にさせてくださいね」
「ああ」
「次は僕にも、先輩のお父さんにご挨拶させてください」
「ああ、きっと近いうちに。約束しよう」
「……」
シルバー先輩と、至近距離で見つめ合う。どちらからともなく目を閉じて、そして、また、ふに、と柔らかな感触が重なった。そして、暖かな幸せを味わって、思うんだ。――あの日、傘を忘れて良かったな、って。
*おしまい
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