※ドルパロ(ギャラリーもしくは小説本棚に設定が置いてあるアイドルパロディの世界線のシルデュです。そちらを読まないと意味が分からないことがあるかもしれません)
※時系列:ドーム後、交際宣言後
※パロディにつき一部呼び名変更あり:リドル寮長→事務所長、トレイ先輩→トレイさん、など)
※作中に強い言葉を使った誹謗中傷表現および流血表現があります。苦手な方は気を付けてください。
※わずかにリドエー要素あり
※サイコホラーっぽい要素あります。ちょっとでも怖いものやヤバめの人描写が苦手な人は気を付けてください。
大丈夫な方はスクロール↓
「いてっ」
今、俺たちは自宅のリビングでファンレターの開封をしていた。その中でデュースが痛みに声をあげる。
「大丈夫か? 紙の端で手を切ってしまったのか?」
「そんなとこです。シルバー先輩、絆創膏もらえますか?」
「ああ」
デュースに頼まれ、救急箱から絆創膏を取り出す。デュースの指を消毒し、テープを巻き付けてやると、ありがとうございますと礼を言われた。
「僕、ちょっと買い物行ってきますね」
「今からか? もう夜も遅い、俺もついていくぞ?」
「やだな、女の子じゃないんだから。大丈夫ですよ。すぐそこのコンビニ行って帰って来るだけなんで! 心配いりません」
そう言ってデュースは俺がついていく間もなく、忙しなく出ていく。俺は、それでもやはり心配だったので、せめてこの部屋から見える範囲までは見守ろうとバルコニーに出た。
マンションの入口から出ていくデュースを見守って、その先。デュースはすぐにスマートフォンを取り出して、誰かに電話をしているようだった。そして、電話に夢中なまま少し先まで歩いていって、そこで留まる。どうやら、バルコニーから見守っていた俺には気付かなかったようだ。……先ほどからの様子を見るに、何か、俺に聞かれたくない話でもあったのだろうか。前、何かの番組で少しだけ講習を受けた読唇を試みてみたくなるが、手前に植えられた木が邪魔で唇はよく見えない。それに、実際やってみたところで素人がかじっただけの技術では何かが分かるわけでもないし、俺に聞かれたくない話ならば下手に詮索するのも良くはない。
けれど、こうしてデュースが時折俺に何かを隠すような態度をしていることは気にかかっていた。……デュースのことを、信じていないわけじゃない。昨日だって、今日だって、いつも通りおはようのキスも、おやすみのキスもして、俺の言葉に照れてくれて、おかしな態度なんてなくて。それでも、俺の心はいつも、大切な人の傍にいられることが脅(おびや)かされそうで不安なとき、大きく揺れ動いてしまうんだ。
デュースは電話を終え、宣言通りコンビニへ向かったようだ。俺は、身体を冷やすのも良くないと思い、暖めた部屋の中へと戻った。そこには、デュースが読んでいたファンレターが机の上に置き去りになったままになっている。
デュースに届いたファンレターは、デュースの大事な私物だ。勝手に触るのも良くないだろうと思い、そのままにしておこうと思った。けれど、手紙の端にちらりと見えたあれは……刃物? 見間違いじゃないかと思いつつも、警戒して手を伸ばす。可愛らしい封筒と、好意的なメッセージが書かれた2枚の便箋の下に、挟むようにしてカミソリの刃が入っていた。そしてその下、3枚目の便箋には、上下に好意的なメッセージが書かれているが、真ん中にだけ、デュースに向ける批判的なメッセージが書かれている。……ご丁寧に、4枚目と5枚目の便箋もあって、そちらにも好意的なメッセージが書いてあって、真ん中に挟まれた便箋だけに、デュースに向ける悪意が凝縮されていた。……なんてことだ。デュースは、この悪意の刃で怪我をしたのか? だとしたら、何故、俺にそのことを黙っていた? その答えは、批判的な便箋の文字の中にあった。
『元ヤン。社会のゴミ。世間に迷惑しかかけられないクズ野郎』
『お前なんか、シルバーくんにふさわしくない』
『アイドル気取ってないで今すぐ死ね。消えろ』
それを見た瞬間、俺はすべてを理解した。目についた文章は、とても……とても、それがデュースに向けられたとは思いたくない文章だった。どうやらこれは、俺に極端な好意を向ける人物から送られてきたもののようだ。ファン……では、ないか。少なくとも、デュースにとっては。そういった人物から届く悪意的なものは事務所の方であらかじめ弾かれているはずだが、4枚の便箋と少しの好意的な文章で巧妙に隠してあったために、通常のファンレターと思われ、中央の便箋と、これもまた巧妙に隠してあったのだろうカミソリの刃は見落とされてしまったらしい。
廊下から、わずかにバタバタと急ぐような気配がして、やがて間もなく玄関の戸を開ける音がする。
「シルバー先輩っ、」
とても慌てた声で玄関からデュースが叫ぶ。俺は、封筒と便箋を元の形に戻し、ひとまず玄関先までデュースを出迎えた。
「デュース、どうしたんだ? そんなに慌てて」
「いえ、ちょっと財布を忘れちゃって! それで急いで戻ってきたんです」
知らなかった。デュースは、こんなにも嘘が上手かったのか。……きっと、デュースが忘れたのは財布ではない。先ほどのファンレターだろうから。
「それなら、俺が取ってこよう」
「や、大丈夫ですよ! 他にも持って行こうと思ってたものあるんで、自分で取ってきます!」
そう言ってデュースは俺の横をすっと抜けていき、リビングへ入ると、己のカバンに、イヤホンケースと、やはり先ほどのファンレターをそっとクリアファイルに入れて、持ち出そうとする。
俺はそれを、リビングの出入口に立って、制止した。
「あの、なんで通せんぼしてるんですか……?」
「……本当に、心当たりがないか?」
俺が問い詰めると、デュースはあちゃー、と気まずそうに目を逸らした。
「何か……見ました?」
「ああ。とても、悲しいものを見た」
それなら、とデュースは諦めたように溜め息をついた。
「……シルバー先輩も一緒に来てください。これ、すぐに事務所まで引き渡すことになってるので……」
デュースに着いて、事務所までの道を行く。道中、ただ黙って並び歩くのも気まずかったので、まずは勝手に私物を見てしまったことへの詫びをしようと思った。
「デュース。まずは、勝手に私物に触れてすまなかった。……そのままにしておこうと思ったのだが、便箋の隙間から刃物のような光が見えて……つい、疑問に思ってしまった」
「それで、見つかっちゃったんですね……」
あはは、とデュースは笑う。
「笑いごとではない」
俺が語気を強めると、デュースは肩をすくめた。
「……いちいち怒ってたら、キリないですよ、シルバー先輩。これが初めてじゃないんですから」
「何?」
「シルバー先輩には、こうやって心配かけちゃいそうだから、今まで言ってなかったですけど……。まあ、こうして事務所が確認してるファンレターに混じってくるのは稀ですけど、ブログのコメントや、ダイレクトメールだったり、SNSのリプライなんかで直接悪口言ってくる人も、珍しくないです」
俺は、SNSやインターネットの類は得意ではないからと言って、そう細かくチェックはしていなかった。だが、そうしている間に知らないところで、デュースがそんな悪意に晒されていたのを知らずにいたなんて。思わず、己の無知不勉強を恥じる。
「でも、先輩」
くるりとデュースは俺を振り向く。月を背後に、今この場には似つかわしくないほどの笑顔を作ってみせた。その顔を真剣にしていきながら、デュースは語る。
「僕に批判的な意見が来るのは、考えたら当たり前のことなんです。そりゃ、今回はちょっと過激でしたけど……。僕が昔、人に迷惑をかけてきたのも、本当のことだし、今、それを隠さずに活動してる以上、迷惑をかけられた人たちからは、腹を立てられたって仕方ない」
それに、とデュースは続けた。
「……シルバー先輩を、僕がとっちゃったのも本当のことですしね」
へへ、とデュースは笑う。それでも、それでも俺は……。
「それでも、俺は、お前に悪意を向けて欲しくないし、傷ついて欲しくない。……俺のこの願いは、我儘なのだろうか?」
足を止め、拳を握りしめてうつむいていると、デュースが俺の手を握り、コツンと額を合わせた。
「ありがとう。そう、思ってくれる人が傍にいてくれるから、僕は頑張れます」
顔をあげようとした俺に、だけど、とさらにぎゅっと強く手を握って、デュースは続ける。
「それでも、正面から受け止めてやっていくしかない。僕は、何も間違えずにここまで来たわけじゃないから。僕が間違った道を選んだとき、迷惑がかかった人からの批判は、受け止めます。それがどんなに、馬鹿で愚かに見える道でも、それが僕のやり方なんです」
分かってくれますか? とデュースは言った。それはとても、強い意思を持った言葉だ。……俺が、己のエゴで折っていいものではない。
「……お前の意思は分かった。だが、俺にも言いたいことはある」
デュースに握られている手を、己の手ごと取ってしまう。先ほどデュースが傷つけられた指に、絆創膏の上から傷口に触れないようにキスをした。この傷口を塞ぐ小さなガーゼのように、彼に向ける悪意の刃による傷を、どうか癒してやれたらと祈るように。
「お前は、いつもそうだ。いつもそうやって、どんな悪意や困難にも挫けず、結局、ひとりで立ち向かおうとしてしまう。それでも、誰かの悪意によってお前が傷つけられれば、俺は悲しい。お前をそういうものから守り切れなかった自分に、腹も立つ。……そう感じることは、せめて、どうか許してはくれないか。お前は、そういった悪意や批判を真摯に受け止め、戦う覚悟ができているのだとしても……、お前が本来、俺に守られることなどない、強い存在なのだとしても」
「……シルバー先輩は、本当に優しい人ですね」
デュースは俺のことを抱きしめる。デュースが自分から抱きしめてくれるのは、それも外では、本当に珍しいことだった。交際宣言をして、週刊誌に俺たちのことがいくら撮られて良くなってからも、ちゃんと仕事とプライベートのケジメはつけないとですからね、と言って、外出中や収録中の接触は控えていたから。
デュースの声が、俺の耳元でささやいた。強く、芯のある声だった。それなのに、俺の耳にはその言葉がとても優しく響いた。
「もしかすると先輩には、僕がいつもひとりで勝手に挫けてないみたいに見えてるのかもしれない。でも、違うんだ。もし、僕がそんな風に強く見えているのなら、それは、僕を信じてくれた人たちがいたから、なんです。僕が不良をやめて、一から全部やり直して、アイドルを目指そうってなったとき、きっかけをくれたのはクローバーさんで、こいつはきっと更生する、って、信じて庇ってくれたのは、シルバー先輩だった。他にも、応援してくれた人たちはいる。母さんだったり、僕をよく補導してた警察官の人だったり、たくさんのファンの子だったり……。そうやって、僕を信じてくれた人たちがいたから、折れずにここまでやってこれたんです。普通は、はじめの頃のローズハート事務所長みたいに、不良なんか信じられない、って思うはずなのに……。僕は、僕が変われるって信じてくれている人たちを、裏切りたくない。だから、どんな険しい道でだって、挫けないでいられるんです」
「デュース……」
「それに僕は、良い方にも悪い方にも流されやすいやつだって、よく言われるから。それなら、シルバー先輩が今は良い方向に引っ張ってってくれてるんだろうな、って。だから今日まで真面目にやってこれたとこもあるんだろうな、って、そうも思うんです」
だからシルバー先輩は、そのままでも、一緒にいてくれるだけでも、十分すぎるほど僕の助けになっているんですとデュースは笑った。
……意外なことかもしれないが、デュースはあまり己の胸の内を打ち明けない。本人は、どうせ顔に出てると思うから、と言って笑うが、人の心なんてそう単純なものではない。だから、こうして、デュースの心の内を曝け出されると、俺は、どんな顔をすればいいのか、分からなくなるんだ。
「……デュース」
いろいろな気持ちを言葉にできず、ただデュースをぎゅっと抱きしめる。そうしていると、後ろから声をかけられた。
「あ~……盛り上がってるとこ悪いんだが、そろそろいいか、二人とも?」
「クローバーさん!」
俺は声と気配に驚いて、デュースからパッと身体を離す。いつの間にか事務所の近くまで来ていたようで、件の手紙を受け取りに来たトレイさんが俺たちを探しに来ていたようだった。デュースは慌ててトレイさんに駆け寄り、事情を話す。
「すいません、今回は出がけにシルバー先輩に見つかっちゃって……。事情を説明してたんです」
「ははっ、それはそれは、ずいぶん熱い事情説明だな。……まあ、からかうのは程々にして……事務所に入っていけよ、二人とも。冷えただろう。紅茶くらいは出すぞ?」
行きましょうというデュースの後を着いて、事務所へと入る。中では険しい顔のリドル事務所長と、常々時間があれば事務所に入り浸っているらしい先輩アイドル、エースの姿があった。
「やあ。来たみたいだね。デュース、例のものは?」
「これです」
デュースがリドル事務所長にファイルを差し出す。リドル事務所長は絆創膏が巻かれたデュースの指を見て、ぴくりと不機嫌そうに眉をしかめた。
「ウチの大事な所属アイドルに傷をつけてくれるなんて、困ったものだね。もう一度、贈答品のチェック体制を見直す必要があるな」
「今時カミソリの刃かよ、古っ!」
「こら、エース。遊ばない! キミまでケガをしたらどうするんだ!」
「何なに、事務所長、オレのことそんなにダイジ?」
「ああ、大事な商品のひとりだね」
勝手に手紙のファイルを覗いたエースが、リドル事務所長にそれを取り上げられている。エースはそのまま、デュースの指を指差した。
「ちぇ~っ、冷たいんだから。……あれ、デュース、そこケガしたの?」
「ああ。ちょっと指切っただけだけどな」
「ふーん? それじゃシルバー先輩はお冠なんじゃない?」
「その話は、道中済ませてきた」
俺が答えると、エースは意外そうに言った。
「あれ、シルバー先輩、あんまり怒ってないカンジ?」
「何を言う。こう見えても腸が煮えくり返っているぞ」
「こわっ」
「……ただ、デュースに言われたからな。どんな批判も悪意も、正面から受け止める、と。それが自分のやり方だ、と。デュースがそう心に決めているのなら、俺には……悔しくとも、口出しできることではない」
事務所の面々は顔を見合わせる。そして、リドル事務所長が代表するように溜め息をついた。
「あのね、デュース。何度も言うけれど、それがキミのやり方でも、ウチのやり方ではないんだよ。ボクをはじめとするスタッフが、守れる限りキミたち所属アイドルを全力で守る。それがウチのやり方なんだ、それは分かっているね?」
「でも、実際僕に言いたいことがある奴らは……っ」
「……デュース、キミがこのハーツラビュル芸能事務所のアイドルである以上、ボクのやり方に従えるね? 返事は?」
「は、はいっ、事務所長!」
リドル事務所長は出会ったばかりの頃と同じくらいデュースに圧をかけているが、今回ばかりはそれがありがたい。俺も、ある程度事務所が守ってくれるのなら安心だとデュースの助けを求める視線を見ないフリした。今までこういうことがある度、俺に黙っていたんだ。これくらいの仕返しはしてもいいだろう。
「うん、いい返事だ。では、これは預かっておくよ。キミたちも、気を付けてお帰り」
「対応はどうするんだ?」
俺が尋ねると、誰かが答えようと口を開く前に給湯室からケイトさんが現れた。
「や、こんばんは、シルバーくんにデュースちゃん。危うくオレに会わずに帰るところだったね!」
「ケイトさん」
「対応のお返事をするとね、SNS部門担当のオレから言わせてもらうと、こういうのは反応すると、反応してもらえた! と思って余計にカゲキになっていくから、黙って事務所のチェックを厳しくするだけで、あとは何もしないのが正解なんだよ。分かった、シルバーくん?」
「……そういうもの、なのか?」
「そういうもの! ちょっと理不尽に思えるかもしれないけど、人に言った悪口は本人に跳ね返るって言うからね! 相手しないのが一番なんだよ! ……だからシルバーくん、ブログとか番組内でデュースちゃんに手出すな、みたいな注意喚起しちゃダメだからね? そんなコトしたら相手が余計に燃え上がっちゃうからね!?」
ケイトさんにわざわざ名指しで注意される。……そんなにやらかしそうに見えているのか、俺は。
「心配されずとも、既にデュースにも釘をさされているし、そういったものの対応に詳しいケイトさんがやめろと説明してくれたことにまで、下手に手出しをしたりはしない」
「そかそか! なら良かった~。まあ、代わりと言ってはなんだけど、シルバーくん、お家帰ったらデュースちゃんをいっぱい甘やかしてあげてね! やっぱり、どんなに強く見える子でも、限界までが遠いってだけで、ちっとも傷つかないわけじゃないからね」
「……分かった。それが俺にできることならば、力を尽くそう」
「はは。今度はちゃんと家に帰ってからにするんだぞ?」
「善処する」
この事務所ならば、きっとこれからは大丈夫だな。俺は安堵を覚え、皆にからかわれつつも、別れの挨拶をし、二人で事務所を後にする。階段を下りて、デュースに手を繋ぐかと尋ねると、まだ外ですからと返された。しかし、デュースはくいと俺のコートの裾を控えめに引く。
「……で、でも、部屋帰ったら、ダイヤモンドさんが言ったみたいに……いっぱい、甘やかしてほしい気分、ではあります……」
「……なら、早く部屋に帰らなくてはな」
これくらいならいいだろう、とデュースの手を取り、階段から地上に足をつけさせる。そのときのことだった。背後から、殺気がする。カーブミラーに何かの金属が反射したのを見て、デュースをすぐに抱え上げた。
「うわっ!?」
「すまない、非常事態だ」
デュースを抱えたまま事務所の階段を駆け上がり、すぐにドアとカギを閉めて籠城する。俺の勘違いなら、いい。俺が恥をかいて済むだけだ。だけど、もしも事態を楽観視して、コイツに何かあったら? ……それだけは避けたい。
「えっ何々!? どしたの!?」
「何事だい!?」
「忘れ物……ではないよね。どうしたの?」
ケイトさんの言葉に、外の様子を伺いながら端的に答える。
「リドル事務所長、外に不審者がいる気配がする。俺の気にしすぎかもしれないが、カーブミラーに金属のようなものが反射していた。それから、殺気のようなものを覚えた」
今しがたあったことを報告すると、リドル事務所長はすぐに対応を始める。
「キミは幼い頃から剣道を習っていたのだったね。となると、勘違いとも言い切れないか。金属といえば、カメラもそれに含まれるね。悪質なパパラッチの可能性もある。すぐに警備会社に連絡して、周囲の見回りの強化を……」
リドル事務所長の言葉が終わる前に、事務所のドアが強くドンドンドンドン、と忙しなく叩かれた。
「開けなさいよ!! いるんでしょ、デュース・スペード!! 逃げようったって、そうはいかないんだから!!」
「……警備会社よりも先に、警察を呼んだ方が良さそうだね」
リドルは俺とデュース、そしてエースに奥のレッスン室に隠れているように言いつける。そして、もしも部屋に入ってこられたら、レッスン室にある非常階段から逃げるように、と。そうしている間も、ずっと、事務所のドアはドンドンと絶え間なく叩かれ続けている。レッスン室は防音だから中に入ってドアを閉めてしまうと、外の物音はわずかにしか聞こえなくなった。
「お前、ヤバくない? タゲられてるよ、ヤベー奴にさ」
エースが小声でデュースにささやく。
「そ、うだな……」
さすがのデュースもこんな事態になるとは思っていなかったようで、エースと一緒に顔をうつむかせている。きっと、その顔は青ざめていることだろう。……今、この場で年長者なのは俺だ。俺がしっかりして、二人を守ってやらなくては。
緊張の中、三人で息を殺し、じっと待つ。リドル事務所長たちはもう警察には連絡したのだろうか。一体、いつ警察は駆けつけてくれるのだろう。いざとなれば、俺がこの手で二人を守らなければならない。
……そうして緊張の時間が流れるうちに、何分が経っただろうか。ウー、と遠くからかすかなパトカーのサイレンが鳴るのが聞こえてきた。警察だ。警察が、到着したんだ。
カンカンと誰かが急いで非常階段を上ってくる音がして、ドアの外から声が張り上げられる。
「警察です! 開けてください!」
俺は、駆けつけてきた頼もしい声に安堵する。常日頃から鍛えているとはいえ、得物もなし、援軍もなしで二人を守り切れるかは正直不安もあったからだ。
「助かった、今開ける!」
駆けつけた警察を招き入れようと、非常階段側のドアのカギを回す。
「……待って、開けちゃダメだ、先輩!!」
すると、激しい叫び声と共にデュースが俺をつき飛ばし、俺とドアの間に割って入った。デュースはそのままレッスン室にあった消火器を思い切りドアの向こうに向けて放つ。すると、その煙が晴れた先では、刃物を持っていたらしい女性がその刃物を床に落として、目を塞ぎうずくまっていた。……まさか、先ほどの警察の声は、あの女性のものだったのか!?
女性は目をしばたたかせながらも刃物を拾い、デュースに一撃を喰らわせようとする。俺はもちろん立ち上がってそれを庇いに行こうとするが、ダメだ、間に合わない!
デュースの身体に刃先が届くと思った瞬間、デュースは向けられた刃先に持っていた空の消火器を出し、その身を守った。刃物はどうやら、包丁のようだ。包丁は消火器に深く突き刺さっていて、女性が引き抜こうとしても抜けないようだ。あれがそのままの勢いでデュースの身体を突き抜けていたらと思うと、ゾッとする。
「引いてダメなら……!」
女性は包丁を引き抜くことを諦めたようで、消火器をさらに貫いてデュースに危害を加えようとする。デュースはその勢いのままに向かってくる女性を流れのままにいなし、床に倒すと、手早く倒れた女性の腕を拘束し、それ以上動かないようにと容赦なく背中を膝で踏みつけた。その表情は、俺が今までに見てきたどんなデュースのものよりも、冷たく乾いている。
「なあ。お前の大好きなシルバー先輩は、今どんな顔してると思う?」
「うるさいっ、お前のせいだ、全部お前のせいで……っ!」
デュースに拘束された女性と、バチリと目が合う。俺がどんな表情をしていたかは彼女にしか分からないが、それは恐らく、彼女の期待するものではなかったのだろう。彼女は、俺を見て涙をこぼし始めた。
「どうして……どうして、そんな目で私を見るの……?」
「……っ」
デュースに拘束されていながらも、女性は髪を振り乱して身じろぎ、もぞもぞともがきながら肩で床を掻いて、必死に俺に手を伸ばしてこようとする。そんな彼女に、俺は――恐怖を覚えた。どうして、なぜ。意味が、分からない。人とはここまで、分かり合えないものなのだろうか?
「テメェ、大人しくしてろよな。俺だけならともかく、先輩やエースにまで危害加えるならタダじゃ置かねえぞ、分かってんのか?」
「いっ……」
ギチ、とデュースが腕に力を込めたのが分かる。……この緊急事態だ。やりすぎだ、と言うつもりもないが、その容赦のなさに、ただ、呆気に取られる。
そのとき、バタバタと大勢の足音がして、今度こそ本物の警察官たちが部屋に入ってきた。
「警察です、大丈夫ですか!?」
「アンタら本物の警察!? だったらあそこ、拘束されてる女が不審者ね! 早く連れてって!」
部屋の隅に避難して成り行きを見守っていたエースが、警察に現況を告げる。警察たちは周囲の状況を見回し、エースの報告を聞いて、不審者が部屋に押し入ったものと判断しデュースが拘束した女性を連れていった。駆けつけた警察の大部分が女性と共に去り、デュースはふうー、と長く息を吐く。その目には冷たさがなく、いつものデュースに戻っていた。
「デュース……」
「シルバー先輩、……はは……嫌なとこ見せちゃいましたね、すいません」
「なぜ、お前が謝る。……俺が判断を誤ったせいで、お前もエースも無用な危険に晒してしまった。本当にすまない……」
二人に頭を下げると、エースは言う。
「なんでシルバー先輩が謝んの。悪いのはあの女でしょ? あの状況ならオレもたぶんドア開けちゃうし! てか、デュースお前大丈夫? これ、過剰防衛とかになんない?」
「な、なるかなやっぱり。一応、サツの世話にならない程度にはしたつもりだったんだが……やばいか?」
「少なくとも、あそこにいる警察の人たちはそのまま帰してくれなさそーだよね……あーあ。オレ、今日見たいドラマあったんだけどな~」
「悪いな、エース。巻き込んじまって」
「ま、アイドルやってたら十年に一回くらいは巻き込まれるかもしんないトラブルだよね。今日はみんなドンマイってことで!」
エースとデュースはいつもの調子だ。……いつもの調子に戻って、落ち着こうとしているのかもしれない。あんなに恐ろしい目に遭ったのだから。
「この後、事情聴取があるらしいです。シルバー先輩、大丈夫ですか? 顔色悪いですけど……」
「あ、ああ。俺は、大丈夫だ。……お前は、平気なのか?」
「僕は……平気です。刃物持った奴と喧嘩した経験もあったから、対処できました。……そんなとこ、できれば先輩に見られたくはなかったですけど……緊急事態だし、そうも言ってられなかったですからね」
「デュース……」
「……先輩に甘えるのは、もうちょっとお預けですね」
へへ、とデュースはなんでもなさそうに笑う。俺は、警察もエースもいるのも忘れて、その場でぎゅっとデュースを抱きしめることしかできなかった。
「あれは確かに、正当防衛が成立する状況だったと思う。ドアの外にいた女性に『警察だ』と嘘を吐かれて、俺がドアを開けてしまったんだ。そこを、いちはやく気付いたデュースが消火器で煙幕を作り、刃物を落とさせた。それでも女性は刃物を拾って危害を加えようとしたから、デュースは消火器で防御し、その流れで彼女を拘束した。相手が刃物を持っていた以上、必要最低限の拘束だったと思う」
俺は、警察による事情聴取で、洗いざらい本当のことを話す。これによって、デュースの正当防衛が成立すればいいと思った。レッスン室の向こうから駆けつけようと様子を見ていたリドル事務所長たちや、その場にいたエースも同じことをかなり口を酸っぱくして言っていたようで、また、エースはいつの間にかこっそりとレッスン室のカメラを回してくれていたそうで、女性が危害を加えようとした証拠が十二分にあるため、デュースの正当防衛はこのまま成立するだろうということになった。
今回は大変だったね、お疲れ様、帰っていいよと警察の方に言われ、警察署を後にする。先に事情聴取が終わっていたらしいエースが俺を待っていた。
「デュースはやりあった張本人だから、ちょっと多めに取り調べがあるみたい」
「そうか……なら、終わるまで待とう」
「何時間もかかるかもよ?」
「かまわない」
「そっか。んじゃ、オレも付き合います。……まだオレ、デュースに、助けてくれてありがとって、お礼言ってないしね。ってかアイツ、凄くない? あんな包丁持ったヤバイ奴相手にさ、すごい冷静に対応するじゃんね、普段のアイツからしたら信じらんないよ!」
「そう、かもしれないな」
それから一時間ほどエースと話しながら待っていると、やがて疲れた様子のデュースが姿を現した。
「エース、シルバー先輩! 二人とも待っててくれたのか」
「まあね~。一応、今回は命の恩人と言っても過言ではないし? ジュースくらいは奢ってやろうかなと思って待ってたワケ!」
「お前命の対価ジュース一本でいいのか……? まあ、僕も恩を着せるつもりはないし、かまわないが」
エースとの会話を終えたデュースが、俺をちらりと見る。
「……待っていた。帰ろう、デュース」
「はい」
デュースに手を差し出すと、デュースは遠慮がちにその手を取った。そのまま手を繋いで歩き出すと、エースはパタパタと自分を手で扇ぎながら、なんかここ暑いねとオレたちをからかってみせる。
「イチャつくのもいいけどさ、さっさと帰ろーよ。寮でじっくり話したらいいじゃん。いろんなことはさ」
みんな、住んでいる場所は同じ芸能人寮のマンションだ。わざわざ別れることもないだろうと、俺たち三人は一緒に歩き始めた。
三人で他愛のない話をしながら、マンションの部屋へと辿り着く。エースが住んでいるのは、俺たちの隣の部屋だ。最も、エースは事務所に入り浸っているのでなかなか会わないが。
「それじゃ、オレ帰って寝るわ。なんか手塞がってたみたいだし、ジュースは今度でいいよね。おやすみー」
エースはあくびをしながら部屋へと戻る。俺たちも部屋に戻ろうとデュースを振り向く。うつむき、黙っているデュースの様子を見て、急いで部屋へ帰る。玄関のドアが閉まるなり、デュースは俺に抱き着いてきた。俺はバランスを崩して玄関先に座り込んでしまったが、かまうものか。
「……うっ……」
デュースは、涙を流す。……デュースは直接、あの女性と相対したんだ。きっととても、恐ろしかったのだろうな。だが、デュースの涙の理由は俺の予想とは少し違ったらしい。
「怖かった、先輩……っ。シルバー先輩や、エースに、僕の、昔の……ワルだった頃みたいな姿見られて、嫌われるんじゃないか、また怖がられるんじゃないかって思って……!! また、ひとりぼっちで……ワルだった頃の、昔のどうしようもない僕に戻るんじゃないかって思って、それが、刃物なんかより、ヤバイ女なんかより、すごく、すごく怖かった……!!」
「デュース……」
俺は、嗚咽するデュースの背中を撫で下ろす。今のデュースに必要だろう言葉を持っていたのは、俺ではない。それでもいい。デュースが楽になれるのなら、と、彼の言葉をそのまま伝えた。
「……お前を待っている間、エースは、お前のことを凄いと言っていた。刃物を持った危険な存在に咄嗟に対応できることが、いつものデュースからすれば信じられない、と」
「エース、が? そんなこと……」
「それから、『助けてくれてありがとう』とも。……お前からすれば、過去、悪事に使っていた忌み嫌うべき経験なのかもしれないが……。その経験は、今回、俺とエースを助けてくれた。お前のその力は、ふるい方さえ覚えれば……人を守るためにも使うことができるのだと、俺は思う。今回は、とても頼りになった。俺もエースも、お前のことを恐ろしいなどと思わない」
指先でデュースの涙を拭う。しかし、それもむなしくデュースの目からは次から次へと涙があふれてきた。
「せんぱ、せんぱい……っ。僕のこと、嫌いにならないで……っ」
「なるものか……。俺のせいで怖い目に遭わせて、すまなかった。デュース」
「そんなの、せんぱいのせいじゃ……っ」
「……いいや。お前を不安にさせたのはきっと、俺のせいだ。デュース、今日はたくさん、好きなだけ甘えてくれ。すっかり遅くなってしまったが、いいだろう?」
「はい……っ、先輩、せんぱい、いっぱいキスして、抱きしめて……っ」
デュースにねだられるまま、俺は玄関先であるのもかまわずデュースの身体を抱きしめ、何度も口づけた。
それから、俺はその日中、可能な限りデュースの傍にいた。キスも、ハグも、求められるままに求められるだけしてやった。途中、眠ってしまうこともあったが、それでも目が覚めたときデュースが俺の腕の中にちぢこまるようにくっついていて、とても安堵した。これでは、どちらが恐ろしい目に遭ったのか分かりはしないな、と心のうちにひとりごちた。
次の日の朝。俺の隣で泣き疲れて眠っていたはずのデュースは、いつも通り目覚めて、朝食を作り、俺を叩き起こしにきたようだった。一晩ですっかり元通りになったデュースの態度に、俺は大したやつだと嘆息する。
「シルバー先輩! 昨日はありがとうございました、今日からまたよろしくお願いしますっ!」
すっかり『アイドルのデュース』の顔を取り戻したデュースは、カーテンを開けながら日差しを浴びて清々しく笑う。
……本当に、強いやつだ。どんなことも正面から受け止めて、挫けず立ち直ってしまう。
その支えに少しでも俺がなれているのなら嬉しいと、爽やかな朝の光景に眩しく目を細めるばかりだった。
*おしまい
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