未来

 ――なんかもうまずい。本当にまずいよな。同室の仲間たちの寝息が響き渡る深夜のベッドの中、デュースは一人、心の中で言葉を発していた。なぜなら、この頃自分がシルバーを好きになりすぎていることを自覚しているからである。二、三か月ほど前、デュースはあえてフラれるためにダメ元でシルバーに告白し、それが受け入れられ、あれよの間に恋愛関係となってしまった。恋人となってからのシルバーは優しく、甘く、どこまでも格好いい先輩の姿を崩さない。かと思えば厳しさも忘れず、自分が甘えているときには成長のため、愛を持って叱ってくれる。デュースにとってはまさに理想の恋人であった。
 だからこそ時折、デュースは不安になるのだ。自分はシルバーに何を返せているのかと。こんな自分よりシルバーにはもっと相応しい人物がいるんじゃないかと。また、母親には恋人ができたとしか伝えていないが、何を思われるだろうと。いくつもの不安がデュースの脳裏をよぎる。その中でも一際強くデュースの頭を占めるものがあった。
 
 ――いつか来る、未来の別れが。

 

 翌日、冬の北風が本格的になりウィンターホリデーも近づいてきた今日この頃。陸上部に所属するデュース・スペードは、この日、悪天候のため体育館でのトレーニングを行うことになっていた。陸上部がする雨天時の練習は、スタミナをつけるためバスケ部など他の運動部が練習する体育館の外周をひたすらに走るというものだ。そして、屋外で行われる通常の部活よりやや早めに切り上げられるのが常であった。部活終わりの号令を受け、タオルで汗を拭い、水とスポーツドリンクで水分補給をする。それから彼は体育館を出た。
 さて、体育館の外にはそんなデュースを待つ影があった。それはデュースと同じく雨天により部活が早く切り上がったシルバーだ。生き物が関わる部活である馬術部に所属する彼は、陸上部よりもずっと早く部活終わりの号令がかかっていたため、スマホ等の連絡機器で先に帰るというメッセージを送ることも一度は検討した。しかし、同寮であり部活も同じとする弟弟子のセベクからお前は一日二回程度しか恋人と同じ時間を過ごす機会がないのだから貴重な時間は大事にするべきだと説得され、今に至る。シルバーは普段あれほどマレウス様の傍を離れるなと告げているのにとこのセベクの発言を多少意外に思ったが、セベクなりにいろいろと慮ってくれてのものだろうと考え何も言わないでおいた。
 やがて灰色の空の下、体育館の外で待つ影と体育館を出た影の二つはかち合う。
「あれ、シルバー先輩!? もしかして待っててくれたんですか!?」
「ああ」
 驚きの声をあげるデュースの背後からは同じ部活のジャックが現れる。彼はシルバーを見つけるなり「お疲れ様です」と挨拶すると、デュースの背中を押し去っていった。一年生は相変わらず仲がいいなとシルバーが告げると、半分くらいはからかってるだけだと思います、とデュースは口を尖らせる。その態度こそ仲が良いと思われる理由なのだが、それは知らないといった様子で。
「……それより、馬術部はもう終わってたんじゃないですか? もしかしなくても、待たせちまいました……よね」
「確かに、多少は待つ時間もあったが……。お前のことを考えていれば、閃きのような時間だった。気にしなくていい」
「そ、そうですか」
 シルバーのストレートな物言いに、デュースは照れを感じる。どうしてこの人は喋る度僕を好きにさせるんだ、と。ともかくこれ以上先輩を待たせちゃいけない、と彼は帰り始めることを提案した。
「じゃあすいません、お待たせしました! 帰りましょう!」
「ああ」
 体育館の出口を抜けようとしたとき、デュースは空模様に比べ自らの手元が空いていることに気付く。
「あ! しまった、傘を忘れてきた……。雨が降ってることは分かってたのに……」
 待っていてくれた先輩には悪いけど、校舎の方にひとっ走り行って取ってくる間先に行っていてもらおうとデュースは考える。しかし、シルバーは別の方法を考えていた。なぜなら、己の手にはひとつの傘があるのだから。
「なら、一緒に入っていけばいい」
「一緒に……って、それ、あ、相合傘、ってことですか?」
「……やはり、狭いだろうか?」
「い、いえ! でも、先輩、濡れちゃうんじゃ……」
「かまわない。入るといい」
 半ば強引に腕を引き、シルバーは己の傘にデュースを招き入れる。デュースはといえば、シルバーの強引な一面に向けて、先輩こういうところもあるんだよな、と微笑ましく思っていた。
「はは、じゃあ遠慮なく……お邪魔します!」
「ああ」
 雨の降る帰り道を二人は歩く。足元の水たまりが跳ねないようにか、はたまたもう少しだけ一緒にいたいと思ってのことか、普段よりも緩めた歩調で。静かに降る雨の中にいるせいか、普段よりも自分の鼓動が大きく聞こえる。先輩に聞こえていませんようにと祈るデュースは誤魔化すように口を開いた。
「なんか、ちょっと不思議な感じですね」
「何がだ?」
「い、いや、その……最近先輩の隣にいるとき、手を繋ぐ機会が多かったから、そうじゃない日もあるのがなんかほら……すいません、僕、何言ってるんだ……」
 忘れてください、とデュースは赤い顔で俯く。シルバーは傘の柄越しに横目で恋人を見て、穏やかにほほ笑んだ。
「すまない、忘れてやれない。今日のように静かな雨の中で聞くお前の声はなかなかに心地良い」
「……先輩、そういうのサラッと言えちまうの、ずるいです……」
「そうか、悪いな」
 先輩の方がよっぽど雨みたいに綺麗な声してるのに、と呟いたデュースの言葉は、それこそ雨音に溶けていく。今日は手も触れていないのに、こんなにも切なく愛おしい時間を過ごせるなんて、と、デュースは改めてまた不安と恋情を胸によぎらせた。

 さらにまた後日。すっかり晴れた天気の中、デュースの足は例によって昼休みにシルバーと会うことになっている空き教室へと向かっていた。頬を撫でる風が冷たい。それは外の気温が低くなってきたせいか、それとも自分の頬が期待に熱くなっているせいか、デュースにはまだ分からなかった。
「失礼しまーす……って、あれ?」
 空き教室の中、扉を開けるとデュースはすぐにシルバーの姿を見つける。しかし、今日の彼はいつもの凛とした立ち姿ではなく、机に肩を預け、ぐっすりと眠っている様子だ。
「先輩、寝てるんですか?」
 デュースが話しかけるも、シルバーは目覚めない。起きるまで起こそうかと考えたデュースだったが、同時に、これをチャンスだとも思った。
 シルバーはいつも、自分は顔に出る方ではないようだからと言葉を尽くしてまっすぐに好意を伝えてくれるが、自分はすぐに照れて恥ずかしがって、そういったことの半分も返せていない。そんなのは情けないし、公平ではないと思っていたのだ。だって、自分から好きだと言って告白して、シルバーはそれを受け入れてくれたのに。
「……ちょっとくらいなら、いいよな」
 そうだ、伝えられるうちに伝えておかなきゃダメだろ。デュースは眠るシルバーの隣に座り、彼が自分へともたれかかれるように肩を寄せる。シルバーのまつ毛が落とす影が近くて、やはり鼓動が跳ねた。この音で先輩が起きませんようにという祈りは届いたようで、シルバーはまだ目覚めない。もたれかかる肩の重さに少しの優越感を抱いたあと、デュースはまるで懺悔のように手を組み告白し始める。
「先輩。俺、先輩のことが好きです。あの日、先輩が俺を受け入れてくれてから、めちゃくちゃ大事にしてくれて……。毎日、先輩を好きになってる。前からもそうだったんですけど、格好良くて、頼りになって、……ふとした瞬間、本当に綺麗で。かと思ったら、こうやっていきなり眠っちまったり、それで、起きてるときは意外に頑固だったり、強引なところもあって……でも、それが嫌じゃない。そういうの全部、嫌じゃないんだ。……シルバー先輩が、大好きです」
 なんて、起きてるときに何回でも言えたらいいのにな、と苦笑いでデュースは呟く。すると返るはずのない返事が隣から返った。
「……そうだな、遠慮せず言ってくれればいい」
「えっ、あっ、シルバー先輩、起きて……っ!?」
 シルバーは眠たそうに目をこすりながらもたれていた身体を起こす。シルバーは一応起きたとはいえ、まだ寝覚めの途中と言った具合だ。デュースの告白が夢の中で聞いた己の願望か、喜ばしい現実のものなのかを分からないでいる。
「ああ。お前を待っている間に、眠ってしまったらしい。……ところでさっき聞いた告白は、夢だろうか、現実だろうか」
「ええっと、その……現実、です」
「そうか、良かった」
 シルバーは一瞬だけ嬉しそうにほほ笑むが、すぐに通常のクールな表情に戻る。
「今日はいいことが聞けたようだが、すぐに起こしてくれても良かった」
「すいません、なんか勿体なくて」
「……お前は俺と過ごせたかもしれないが、俺がお前と過ごせていない」
 わずかに拗ねたような口調を見せるシルバーに、この人こんな一面もあったんだな、とデュースの鼓動は再び胸を打つ。
(……俺、毎回こんなにドキドキしてるなんてバレたら、先輩からなんて思われるか……)
 デュースは跳ねる鼓動と熱くなる頬に静かにしていてくれよと祈りながら、平静を装う。
「じゃあ、今度は僕が先輩の隣で眠らないと、ですね」
「………………」
「先輩?」
 シルバーはデュースの言葉に何を思ったのか、彼をじっと見つめる。その態度にデュースが疑問を持ちかけた瞬間、シルバーはデュースの腕を引き、長椅子の上に押し倒した。
「あまりそういうことを、軽はずみに口にするものじゃない」
「え、あ、先輩……!?」
「……静かに」
 シルバーの指がデュースの唇をなぞる。これはキスの合図だと理解したデュースは、初めてそうしたときのようにぎゅっと目を閉じた。
(う、うわ、これって、まさか……)
 シルバーの左手がデュースの右手に指を絡め、頭の横に押し付ける。まずはデュースの額に、次は左頬に、右頬に、最後は唇に、優しいキスが何度も落とされた。
「ん……っ!?」
 わずかに開いたデュースの口に、シルバーは己の舌を侵入させる。軽く口内を蹂躙したあと、唇を離した。
「せ、先輩……あの……」
 最後に親指でデュースの口元を、そして手の甲で自らの口元を拭い、胸元のボタンをひとつ外してネクタイを緩めた制服の首筋に強く跡をつけて、シルバーはようやくその手を止める。
「……この、先は」
 規則違反になるんじゃ、と呟きかけたデュースの意図を汲み取り、シルバーもうなずく。
「ああ。分かっている。……この先は触れ合えない。まだ、今の俺たちでは」
 だから、もしこの先、互いが無事に学園を卒業した暁には――そう繋がれかけた言葉は、突如として身体を起こしたデュースからのくちづけに遮られた。
「……先輩。僕は……」
「デュース?」
 デュースはシルバーの身体を抱きしめ、背中に腕を回し、その背筋と輪郭を確かめるように指先に力を込める。愛しい後輩の異変に気付いたのか、シルバーもそれを片手で支え、抱き返した。
「もうちょっとだけ、先輩と……こうしてたいです。いつか……」
 僕がこんな風にしていられなくなる日のために。胸元で呟かれた言葉は、そのまま心臓に刺さったのかと思うほどシルバーの心に影を落とした。
 デュースとこうしていられなくなる。それはどういう意味なのか。シルバーの心には動揺が走っている。それでも、今、黙っているわけにはいかない。放っておいて取り返しがつかなくなってからでは遅いのだ、何事も。
「それはどういう意味の言葉だ、デュース」
「……そのまんまです。僕たちは学園を卒業して、それぞれ茨の谷と薔薇の王国に帰ることになる。シルバー先輩はドラコニア先輩の護衛になって、僕は警察官を目指して……。お互い、滅多に会えなくなる。……そしたら、先輩にはきっともっと素敵な人が現れて、僕なんかお呼びじゃなくなるだろう、って」
「デュース……」
 目の前の愛しい後輩は、自分たちの未来に不安を抱いている。未来への不安を消してくれるのは、たゆまぬ努力だ。けれど恋人同士の不安というのは、どちらか一人だけが努力すればいいというものではない。ならばこの不安を払拭してやるのが先輩の……いや、恋人としての仕事だろう。そう考えたシルバーは、デュースの左手を取る。
「……そう、不安にならなくていい。俺は今ここで約束しよう。この学園を卒業し、どれほど距離が離れても、お前への想いを違えないと」
「先輩……」
 デュースが不安を感じているこの場で、マレウスという名を出して良いものか。一瞬だけ、シルバーは迷ってしまう。それでも命を賭した忠誠と恋情が同時に存在する己の心の状態に対してその名を出さないのは、どちらに対しても不誠実だ。考えながらシルバーは続ける。
「この身にマレウス様への忠誠がある以上、すべてを明け渡すことはできないのかもしれない。それでも、俺の心の一部は確かにお前へと捧げよう」
 シルバーは、手に取ったデュースの左手に顔を近づけ、デュースの目を見つめながら薬指にくちづけた。
「……このくちづけを以て、先の未来に送る約束の証とさせてほしい」
 唇を離し顔をあげると、デュースの目が潤んでいるのを見つける。シルバーは、感動屋だが案外涙を流さない意地っ張りな後輩の目元を指先で拭った。
「……まだ泣いてないです」
「そうか」
「でも、ありがとうございます」
 やはりデュースは意地を張る。シルバーが散らばったデュースの前髪を整えてやると、デュースはようやく顔をあげた。
「……あの! 先輩。僕、ウィンターホリデーが明けたら、聞いてほしいことがあるんです」
「それはかまわないが……ウィンターホリデーが明けたら、か?」
「ハイ。その、あらかじめ母さんにも相談しておきたいので……だから、えっと」
 先輩のこと、母さんにも話すと思います。告げられた言葉にシルバーは面食らった。そうか。自分はとっくの昔にリリアに事情を把握されていたからそういうものだと思っていたが、他の家庭では改まって伝える必要があるのか、と。
「……そうか、分かった。色良い返事だといいが」
「はい。……もし、母さんが不思議がっても、俺、ちゃんと分かってもらえるまで話すつもりなので! だから、その……」
 ちょっとだけ、勇気ください。シルバーは珍しく素直に甘えてくる後輩を今日だけは時間の許す限り甘やかすことにした。

 それからウィンターホリデーが明け、シルバーは久々にデュースと会うことになる。休みの間もたまに写真やメッセージなどが届いていたが、直接会うことはしていなかった。習慣づいていた昼休みの逢瀬がなくなり、淋しく思う気持ちもあった。なるほど、この気持ちが将来続くことをデュースは恐れていたのだと改めて実感するほどに。
 間が悪いのか顔を合わせられないままウィンターホリデーが明けて初めての昼休みに差し掛かる。自然とシルバーの足はあの空き教室へと向かっていた。教室のドアを開けると、すぐに待ちきれないといった様子のデュースが飼い主の帰還を喜ぶ子犬のように抱き着いてきた。
「先輩! お久しぶりです!」
「ああ、デュース。久しぶりだな」
 ウィンターホリデー前のしおらしい様子が嘘のように元気な後輩を一度抱き返し、教室の中へと入る。入るやいなや、デュースは興奮した様子で報告を始めた。
「先輩、僕、母さんに許可もらえました! だから、先輩にも……今日、言っておきます!」
「ああ」
 ウィンターホリデーが明けたら言いたいことがあると言っていた、あの内容だろう。いったい何を言われるのだろうかとわずかにシルバーの身体へ緊張が走る。デュースの口から告げられたのは意外な言葉だった。
「僕、前に話しましたよね。魔法警察官になりたいんだ、って。……そこに、もうちょっと夢が増えました。僕、魔法警察官になって、魔法士専門の部署に入って……その中でもさらに、茨の谷の支部に配属されることを目指そうと思います!」
「茨の谷に……?」
「はい! そうなんです」
 魔法警察官の中でも、茨の谷の支部は厳しい環境だと聞いている。それはよく考えてのことなのか、とシルバーは口に出そうとした。けれど、デュースが自ら悩み、ウィンターホリデーの期間まで使い、親にも相談して決めたことだ。今さら自分がそこを信じないのもおかしいだろうとシルバーは口をつぐんだ。
「もちろん、今の成績じゃ厳しいのは分かってます。……でも、僕。先輩と一緒にいられて、すごく幸せで……。だからこそ、この関係が学園生活だけで終わりなんて嫌だ。もっと一緒にいられるように、欲しいもの全部手に入れられるように……改めて、突っ走りたいと思います!」
 シルバーはデュースの目を見つめる。どこまでも広がる青空のようにまっすぐな、強い決意の目。俺の好きな目だ、とシルバーは眉を下げる。
「……そうか。ならば俺は何も言うまい。俺にはお前の道を応援することしかできないが、頑張ってくれ、デュース。俺もあの場所でお前に会える日を楽しみにしている」
「ハイ! ……俺、この学園に来て、先輩に会えて……。先輩を好きになれて、良かった。今、本当に心からそう思います!」
「それを言うなら、こちらの台詞だ。デュース。俺はお前のように言葉を尽くし、分かりやすく表現してやることができないが……それでも、お前に会えて良かった。この言葉を口にするときは、心に嘘はなくそう思っている」
 
 こうしてシルバーとデュースの二人はこれからも歩み続ける。数年後に響く、元気な挨拶。
『こんにちは! 今度から茨の谷支部配属になりました、魔法警察官のデュース・スペードです!』
 その言葉が言える日を、聞ける日を、お互いに信じあいながら。
 
*おしまい

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