後ろ姿

 肌寒い北風が吹き始めた季節。夕焼けと夜が入り混じる帰り道の中、男、デュース・スペードは一つ年上の先輩であり、また同時に己の恋人でもある彼、シルバーを目の前に、深く呼吸をしていた。彼はきゅっと口を結び、目をつり、心の中で己を奮い立たせる。勇気を出せ、デュース!
「先輩、一個だけわがまま言ってもいいですか!」
「なんだ? 俺で叶えられる範囲のことなら聞こう」
 涼やかな表情を崩さないシルバーの口からは優しい返事が返る。だからこそデュースは自分が無理な願いを口にしていないかとためらうのだ。が、デュースはすぐに頭を切り替えた。俺はごちゃごちゃ頭で考えてもしょうがない、とりあえず言ってみてからまた決めりゃいい、と――。
「あの、こういう部活帰りの時間、もしまた一緒になれたらのときだけでいいんですけど! 鏡舎に着くまでの間だけでいいので、その……一緒に帰りたいです!!」
 デュースの言葉に、シルバーは一瞬目を見開いて面食らった顔をし、その後、すぐにほほ笑みを浮かべた。真面目なデュースが改まってお願いをするくらいだから、何か大ごとだと思っていたのだ。だが、それがただ単に『部活帰りのわずかな時間、一緒に過ごしたい』というささやかで可愛らしい願いだったとは。
「それくらいのこと、もちろん良いに決まっている」
「ほ、ホントですか? 先輩、忙しいんじゃ……僕、無理言ってません?」
「無理ではない。一緒に帰るだけならば、多少なり時間の融通くらいはできる」
「……っしゃあ! 良かった! 嬉しいです! 勇気出して良かった……!」
「そうか。そんなに喜ばれると、俺も嬉しい」
 デュースはまるで何かの試合で点数を決めたかのように清々しくガッツポーズをしてみせる。シルバーはそんな元気で威勢の良いデュースを、暖かい気持ちで見守っていた。二人は昼休みに忙しい互いの合間を縫って会うようになった頃から、かなり互いの距離が近くなった。それこそ人前でベタベタと接触はしないが、一緒にいられて嬉しいということを隠さないくらいには。
 こうして共にすることになった今日の帰り道には、そんな二人を見守る影があった。それはシルバーと同じ馬術部に所属する、リドルとセベクだ。シルバーが部活終わりなのであれば、当然同じ部活に所属する彼らも部活終わりなのである。彼らは何も、二人の様子を見守るためにその道にいるわけではない。偶然にも彼らの選んだ道の先にデュースとシルバーがいたので、そして何やら込み入った話をしていたようなので、少しだけ歩調を離して歩いているだけなのだ。だから、会話の内容が聞こえてしまっても気付かなかった向こうの落ち度であり、自分たちはただ偶然そこにいただけであるのだ。だが、それが目の前にある以上は気になってしまうものだろう。リドルとセベクの話題は自然と目の前の仲睦まじい彼らへと関心が向けられた。
「……それでセベク、キミは彼らのことどう思っているの?」
 リドルに話題を向けられたセベクが答える。もちろん、彼の自慢の大きな声で。
「そんなもの、シルバーの自覚が足りんの一言に尽きる!! 最近は昼休みに多少会いに行っているようだが、それまでは意識して会いにも行かなかったそうだ!! 仮にも恋人に対し、なんたる怠慢!! 無様にフラれて若様の顔に泥を塗りたいのか!?」
 リドルはどこまでもブレない後輩の物言いに多少呆れながら、言葉を返す。
「デュースはそんなことくらいで恋人関係を解消はしないと思うけど、うん、まあ、確かに一切能動的に会いには行かないとなると、それは一般的な恋愛関係のルールからは逸脱している状態かもしれないね……」
「ふん、まあ、シルバーがその程度で別れを告げられるわけはない上に、デュースだってそれくらいでシルバーを嫌うとは思えないがな! そうだ、リドル先輩はどうなのですか!?」
「ボクかい? ボクはそうだな。色恋沙汰に浮かれて門限を破ったり、規則違反をしたり、学業を疎かにしたりしない、ルールを守った清い交際を彼らが続けられるというのなら、何も言わない。不純な交友ならともかく、純粋な恋愛に関する規定は今のところないようだしね」
「だそうだぞシルバー、デュース!! 規則違反にはくれぐれも気を付けるように!!」
「話しかけるんじゃないよ、セベク!! ボクたちは偶然にも彼らと同じ道を選んでしまっただけだと言ったろう!?」
 隠れてくれる気があるのか、それともさらさらないのか。まったく分からない背後の二人にシルバーは頭を抱え、デュースは苦笑いをこぼす。
「……声が大きすぎて、全部聞こえている。セベクの奴……」
「はは……。ローズハート寮長の声も、かなり聞こえてる。気をつけろって言われた以上、僕は赤点取らないように頑張らないと、ですね」
 セベクのありがたい忠告をデュースは素直に受け取る。シルバーも多少不満はあるものの、この状況は状況として、忠告は素直に聞いておく心持ちでいた。
「なら今度、また一緒に勉強でもするか? 俺の部屋へ来るといい」
「うっ……。そんなの、絶対ドキドキする、けど……分かりました、集中できるよう頑張ります! もし無理そうだったら寮長に首はねてもらってから行きます!!」
「それは……遠慮してくれ。俺の方が集中できるかどうか……」
 もはやセベクとリドルがいても気にしないことにしたのか、二人は会話を続ける。仲の睦まじそうな二人を見て、セベクとリドルはこれなら心配はいらないなと笑い合った。

 この日以来、シルバーとデュースは部活が終わり、運動場からそれぞれの寮へと続く鏡舎へ行くまでのほんのささやかな十数分を共にするようになった。とはいえ、すべての部活が常に同じ時間に終わるわけではない。顧問の指導に熱が入り、どちらかの部活が終わらない日も存在した。そんなとき、デュースは何回か自主練をしていたら遅くなったと、シルバーは道具の手入れをしていたら遅くなってしまったと、あくまでも自分たちの都合で帰るのが遅れたのだと言い張り、本当はただ恋人を待っている時間を合わせるのだった。もちろん、このことは本人たちだけでなく傍から見ても丸分かりの事情ではあるのだが、目に見える甘ったるい雰囲気に自ら首を突っ込もうという物好きはいなかった。この日シルバーに声をかけた一人の問題児を除いては。
「こんちは、ってかもうこんばんはか、シルバー先輩! ……いや起きて! おはよーございますこんばんは!!」
「……ああ、エースか、起こしてくれてありがとう。バスケ部はもう終わりか?」
「そうでーす。センパイは? なんでこんなとこで寝てんの? やっぱ陸部待ってるカンジ?」
「ああ、そうだ。デュースを待っている間に、どうやら眠ってしまったらしい。不覚だ……」
 当たり前のように言ってのけるシルバーの姿に、エースはある意味呆れと感嘆を覚えた。そうね、このセンパイ、ちょーっとからかわれたくらいじゃ照れとかそういうの全然しないよね……と。しかしエースはエースで、シルバーには物申したいことがあった。最近の彼は、昼休みの遊び相手が一人減ったせいで退屈なのだ。本人曰く「全然まったく気にしていないしむしろいなくてせいせいする」らしいが、今ここにいるエースは、昼休みに退屈を持て余す原因となったシルバーにちょっとくらい意趣返しをしたかった。
「ねね、センパイ。じゃあデュース来るまでの間さ、オレとおしゃべりしましょーよ! そしたら眠らないで済むでしょ! てか知ってます? オレらの部屋一年4人の相部屋なんですけどー、ここんとこシルバー先輩の名前出さない日ないんですよ!」
「そうなのか?」
「そう! ほら、オレら4人の中じゃ唯一のカレシ持ちだから? 誰かしらはからかうんですよねー」
「そうか。……それはもしかして、気まずいということだろうか?」
「やー、全然。彼女できたーならともかく、カレシできましたーを先越されても、あそうなんだお幸せにーってカンジ。むしろデュースのいいイジりネタが増えて、センパイにはホント感謝サマサマですって!」
「そうか。よく分からないが、お前たちの仲が悪化していないのならいい」
 この人本当響かないのな! 今度は焼きもちでも妬かせてひと悶着起こしてやろうとエースは画策する。
「悪化なんてぜーんぜん! 今朝もオレ、デュースに起こしてもらいましたし? 毎朝毎朝いつまで寝てんだエースって小言言われんのは腹立つけどお陰で遅刻はしなくて済むし、アイツの早起き癖、これだけは助かるんですよねー」
「デュースは朝に強いのか。それは良いことだ」
 差し向けた悪意をあっさりとかわされてしまい、エースは落胆して肩を落とす。
「……センパイさあ、仮にも恋人が他の男起こしてるんだよ? 何か他に言うことないの?」
「そう言われても……。起こされる回数でいえば、俺はお前にも引けを取っていないだろう」
「そうね、センパイどこでも寝る人でしたね……さっきもね……」
 難攻不落のシルバーに、エースは諦めかける。しかしこうなればエースももう意地である。ちょっと仕返ししてやるという当初の目的を見失い、何かしら気になる話題をしてやる! と心の中は息巻いていた。
「あっ、てかさあセンパイ、この間の雨の日! デュースをびしょ濡れで帰らせたでしょ? あの後オレたち、デュースが教室入った瞬間ドライヤーしてやろうぜ~!! って風担当と火担当に分かれてさ、めっちゃ魔法浴びせたんですよ。そしたらさあ、後ろからクルーウェル来て『雑に乾かすなこの駄犬ども! 生地が縮んだらどうする!!』って怒られて! オレたちは大事なダチが風邪引かねーようにって親切でやってやったってのに、ヒドくないですか!?」
 この一連の話は、ちょっとはまわりのオレらへの影響も気にしてみてよ、という程度の、エースにとっては軽い意趣返しのつもりだった。しかし、シルバーはこのことを重く受け止めた。以前、衝動的に雨の中へ連れ出してしまったあと、それは良くなかったと思い返していたからだ。
「それは、雨の中デュースを連れ出した俺に原因の一端があるな。すまない、俺からも謝罪しよう」
「え!? 素直すぎない!? 相変わらずピュアっすね~、センパイ。……ホント、調子狂うわ……」
「そうだろうか。何か俺がおかしなことを言っているのなら、すまない」
「いや、だからさあ、そういうとこが……」
 今度は素直に受け止められすぎて逆に据わりが悪くなってきたエースは、からかいすぎた詫びに何か良いことを教えて心のプラスマイナスをゼロにしようと試みる。何から何までワガママだが、それがエースというものである。
「そうだ! ねね、センパイ。せっかくだからいいこと教えてあげますよ。今日もデュースと帰るんでしょ?」
「そのつもりだが、それがどうかしたか?」
「じゃあさ、鏡舎の鏡に入ったあと、隠れながらすぐ鏡舎の方に戻ってみてくださいよ。きっといいモンが見れますから!」
「分かった、覚えておこう」
「いいえー! それじゃオレはこれで……」
「そうは行くか。待て、エース」
 その場を立ち去ろうとしたエースの背後から、聞きなれた声がドスを効かせる。それは紛れもなく話題の渦中にしていたデュースのものであった。
「んだよデュース、オレに何か用なわけ?」
「お前こそ先輩に何か用か? まさか、おかしなこと吹き込んでないだろうな!」
 例のごとく喧嘩を始めてしまったエースとデュースの脇から、デュースと同じ陸上部であるジャックが顔を出す。彼はエースとデュースの仲裁には入らず、先輩であるシルバーへの挨拶を優先するようだ。
「お疲れさまです、シルバー先輩。先輩もうるさい奴らに囲まれて大変スね」
「元気で良いと思う」
「……そうスか。そういや、あの噂ってマジなんですか? デュースとつ、付き合ってるっていう……」
 ジャックはエースとの口喧嘩に明け暮れるデュースを横目に見る。確かにデュースはいい奴だけど、アレとシルバー先輩が? 想像もつかねえ……と。しかしシルバーの口からはもちろん肯定の返事が返る。
「そうだ。今も、本人には内密のことになっているが、……デュースを待っていた」
 今か今かと待っている時間も案外いいものだな、とシルバーは俯き加減に優しくほほ笑む。点き始めた街灯が照らす笑顔を見て、ジャックはポリポリと頭をかいた。こりゃ馬に蹴られるだけだな、と。
「……そういうことなら、俺、応援します。いろいろ大変だろうけど、頑張ってください。それじゃ、失礼します」
「ああ、それじゃあまた」
 ジャックはデュースとじゃれあっていたエースの首根っこをすれ違いざまにつかみ、その場を立ち去る。
「おら、行くぞエース。先輩の邪魔すんじゃねえ」
「してねーけど別に! オイ、首引っ張んなっての! 自分で歩けるから!」
「お前、デュース取られて拗ねてんだろ。丸分かりだ。今日は俺が相手してやるからとっとと機嫌直せ、面倒くせえ」
「別に? 拗ねてませんし? なんでオレが拗ねなきゃいけないわけ……オイちょっと、聞けっての!」
 ジャックに引きずられるようにしてエースの姿もやがて見えなくなる。静けさが戻った夜道に、デュースは気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。
「すいません、見苦しいところを……。……エースの奴、何か言ってました?」
「お前の話だ。相部屋の人物たちと気まずくなったりはしていないかと。そうではないようで良かった」
「あ、思ったより真面目な話してたんですね。なら良かったです。エースの奴、放っておくと何吹き込むか分かったもんじゃないからな……」
 デュースがやれやれと呆れ気味のポーズを取ったあと、一瞬の沈黙が二人の間をよぎる。何事か逡巡してシルバーは口を開いた。
「他にもいろいろと聞いた。俺のせいでクルーウェル先生に怒られてしまっただとか」
「いや、あれはここぞとばかりに僕に魔法打ってきたクラスの奴らの悪ふざけなんで、先輩悪くないです」
「それでも、以後は気を付けよう」
「はは、そうですね。僕も気を付けます!」
 再び、二人の間に沈黙が流れる。静かな時間を過ごすことも珍しい二人ではなかったが、デュースはなんとなく、シルバーがいつものそれとは違う気がしていた。言うなれば勘である。
「……先輩、本当にエースに何か言われてませんよね?」
「なぜそう思う?」
「や、なんか様子ちょっと変かなって。僕の勘でしかないんですけど……」
 シルバーは照れくさそうに視線を外した。デュースは不思議そうな顔でシルバーを見つめている。シルバーはエースの話にとある想いを抱いていたのだが、デュースの前ではまだ格好をつけていたかった。
「……気にしなくていい。それよりも、今日は少し遠回りをして帰っていいか。購買部に買い物を頼まれたんだ」
「そうなんですか? じゃあ早く行かないと、店が閉まっちまう! 行きましょう、先輩!」
「ああ」
 歩き出すデュースの隣に並ぶべく、シルバーは歩調を合わせた。
 
 一方その頃ディアソムニア寮の談話室では、マレウスとリリアがシルバーのことを話題にしていた。今日はなかなか帰りが遅いがどこかで眠り行き倒れているんじゃないか、いいや、恋人との逢瀬を楽しんでおるだけよ、心配ない、と。訳知り顔のリリアに対してマレウスは尋ねる。
「リリア。スペードのことについて、お前はどう思っているんだ」
「なんじゃ急に。シルバーの選んだ人物なら、それが一番じゃろうて。恋人を見る目すらないように育てた覚えはないわ」
「……僕が聞きたいのはそういうことじゃない」
 マレウスは口を尖らせる。リリアに聞きたかったのは、育ての親としてデュース・スペードという存在に不満などはないのかということだったからだ。
「そう拗ねるな。そうじゃな、わしはデュースがシルバーに足りないものを持っていると思うておる。この先、彼の者と別れる日が来ても、あやつと深く付き合うていた時間はシルバーに良い影響を与えるじゃろう」
「シルバーに足りないものだけならともかく、それでいてスペードが持っているものとは? スペードも悪くはないものを持っているが、まだ未熟だ。シルバーより優れているとは思わない」
 リリアは目を細め、笑う。それは笑顔というよりも、妖艶な笑みと表した方がしっくり来る笑顔だ。
「それがひとつだけあってな。……悪人の考え、じゃよ。以前ちと耳に及んだが、デュースの奴、昔は相当なヤンチャをしとったらしいのう。悪というものがなんなのか分かっていなければ、それを選ばないこともできん。だからこそ、悪人の考えを理解できるまま、正しい道を選ぼうとする存在を傍に置くのは、シルバーのためにもなろうて」
「なるほど、一理あるとも言える」
「ま、一番のところは結局、シルバーなら何があっても自らの糧にするじゃろうと思ってのものだがの! ところでそう言う自分はどうなんじゃ、マレウス?」
 リリアに水を差し向けられたマレウスは、一言だけ呟くように口をこぼした。
「僕は……少し、組み合わせが意外だった」
「ほう? というと?」
「続きを促されようと、今の僕はそれ以上の言葉を語る口を持たない」
「そうかそうか。今はまだうまく話せない、ということじゃな? では、語る口ができた頃にまた続きを聞かせてもらうとしようかの」
 にこにことほほ笑ましそうに笑うリリアに、やはりマレウスは拗ねた顔を浮かべていた。
 
 デュースとシルバーの二人は購買部での買い物を済ませ店を出る。まだ夕焼けの明かりが残っていた帰り道は、薄らいでいく茜色の線がわずかに残る程度にすっかり暗くなっていた。
「暗くなっちゃいましたね。先輩、時間大丈夫ですか?」
「問題ない。何せ……」
 何せこの買い出しは、必要なものでもあるのだろうが、部活帰りの待ち合わせをしていると知られた途端、親父殿に頼まれた……つまり『気を利かせた』ものであるからだ、とは、シルバーも気恥ずかしく、さすがに口にできなかった。デュースとのことについて大抵のことは聞かれれば明け透けに答えているお陰でディアソムニアの面々にはすっかり事情が筒抜けであるとはいえ、シルバーにも一介の男子高校生としてつけたい格好もあるのだ。とはいえ、シルバーが恥ずかしがっているのはリリアたちに事情が筒抜けなことではなく、自分の頭で気を利かせる選択ができず愛する養父に手助けされてしまったことが恋人として未熟で恥ずかしいということについてなのだが。
「……頼まれたものだからな」
「あ、そっか。なら大丈夫ですね!」
 幸運なことにデュースにはそれ以上深く事情を突っ込まれずに済む。シルバーが内心安堵していると、今度はデュースが恥ずかしそうにそわそわしていた。彼は恋人に対してささやかな企みをしていたからだ。
「あの、先輩。もし良かったら、僕に半分荷物を持たせてくれませんか?」
「これくらいなら平気で運べるが……」
 頼まれた荷物は大した量ではない。手伝いをしたいということだろうか? シルバーは頭に疑問符を浮かべる。
「……いや、その。半分持たせてもらえたら、片手が空くかなあって……すいません、やっぱりいいです! 普通に帰りましょう!!」
 シルバーは片手が空く、というデュースの言葉の真意を考える。片手が空くと何か良いことがあるのか? 手といえば、以前、眠っているときにデュースの手を取ってしまったことがある。それがきっかけで、土砂降りの雨の中デュースの手を引いて走ったことも。そこまで考えてようやくシルバーは気付く。ああ、手を繋ぎたいのか、と。
 初めのうちはシルバーから好意を示すことが多かったが、最近ではデュースの緊張もほぐれたのか、元来素直な彼はこうしていじらしい一面も見せてくれるようになった。そしてシルバーは、できるだけ後輩のそのような一面には応えてやりたいと思っている。
「いいや、デュース。やはり半分お願いしよう。それから……」
 シルバーは荷物の半分をデュースに渡し、空いた方の手を握る。
「手を繋ぎたいのなら、そう言ってくれてかまわない。俺が鈍くて、気付くのに時間がかかってしまった」
「うっ……いや、はい、ありがとうございます……」
 思惑がすっかりバレていたことが恥ずかしくなり、デュースはバラの花のように真っ赤になってしまう。シルバーはそんな後輩の様子を見て、今日は歩調を少しだけ緩めて帰ることにしようかと決めるのだった。
 
 二人はお互いの影ができるだけまわりに見えないようにと人気のない影の夜道を歩く。
 鏡舎の前の道に差し掛かったとき、デュースは一歩立ち止まる。繋いだ手が離れた感覚に、シルバーも立ち止まりデュースを振り返った。
「デュース? どうかしたのか?」
「……いえ。すいません、ぼーっとしてたみたいで。なんでもないです」
 本当に大丈夫だから、とデュースは笑顔を作ってみせる。それは彼が長年の母子家庭生活の中で、頼ってもらいたい、守るべき母親に弱いところを見せまいと覚えてきたものであった。
「……そうか」
 シルバーはなんとなくその言葉と笑顔に淋しさを覚える。
「本当になんでもないのか?」
 シルバーがまっすぐな目でデュースを心配そうに見つめる。対してデュースは罰が悪そうに視線を下げた。
「……本当になんでもないんです。先輩に心配してもらうようなことじゃなくて……。ただ、このまま進んだら、お別れの時間になってしまうなって思っただけなんです」
「……そうか」
 シルバーは安堵の息と共に穏やかな笑顔を浮かべる。
「俺も、この時間が終わるのを惜しいと思っていたから……、そのために時が止まったかと思った」
 ほどかれて空いたシルバーの手が、くしゃりとデュースの頭を撫でる。それはまるで、幼子をあやすように。行こう、とシルバーは優しく声をかけ、再びデュースの手を取る。はい、とデュースは頷き、また一歩を踏み出した。
 
 長いようで短いほんのわずかな数分を経て、やがて二人は鏡舎にたどり着く。
「……着いちゃいましたね」
 デュースは淋しそうに自ら手をほどき、シルバーに荷物を返した。さよならの時間だ。二人で帰ることを始めてから、この瞬間はどうにも慣れない。二人のどちらともなく、お互いにそう思っていた。
「それじゃあ、今日はお疲れさまでした! おやすみなさい、シルバー先輩」
「ああ、おやすみ、デュース」
 二人はそれぞれ鏡の中に帰っていく。シルバーはそのとき、ふと思い出した。そういえばエースに、隠れながらすぐ鏡舎に戻ってみろと言われていたことを。きっといいものが見られるから、と。一体あれはなんだったのだろうかと、シルバーは踵を返し、鏡舎へたどり着くとすぐに気配を消して辺りの様子を窺った。
 すると、隣の鏡から人の気配がする。それは先ほど同じように鏡へ帰ったはずのデュースのものであった。鏡の手前の階段に座り込んで、何やら呟いている。
(デュース? 鏡舎に居残って、何をしてるんだ?)
 続けて気配を消し、デュースの様子を窺う。するとデュースは切ないほど幸せそうにほほ笑んで、こう呟いた。
「ははっ……今日は、いろいろわがまま言っちゃったけど……お陰で、いつもより長く先輩と一緒にいられたな……」
 いやダメだニヤケんな、先輩に迷惑や心配かけちまったのは良くないだろとデュースは己の頬をパシパシと叩く。そう。デュースはシルバーとの帰り道が始まって以来、こんな浮かれたニヤけ面で帰ったら先輩たちやエースに何言われるか分かったもんじゃねえ、と、自分を落ち着かせていたのだ。それは以前、うっかり忘れ物をしたエースにその様子を見つかってからも、その前も、変わることはない習慣だった。
 光景の意味を理解した瞬間、シルバーは思わず飛び出していた。そして、階段に座るデュースを引き上げ、自分の腕に閉じ込めた。
「えっ、シルバー先輩!? なんで、今の見て……っ」
「……デュース」
 シルバーは自分の腕の中で混乱の最中にいる後輩をきつく抱きしめる。シルバーの様子がいつもと違うことに気付いたのか、デュースも落ち着きを取り戻し始めた。最も、誰より混乱していたのはシルバーの方だったのだが。
「……先輩?」
 デュースに声をかけられ、ようやくシルバーはデュースを開放する。鏡の前を飛び出してから自分が何をしているか、今まで自覚していなかったのだ。
「あ、ああ、すまない。……エースに『いいものが見られる』と聞いて、一度立ち戻ってみたのだが。お前があまりに可愛らしいことをしているから、思わず抱き寄せてしまったようだ」
「え、エースの奴……!」
 余計なこと言いやがって、と悪態をついているが、そのデュースの顔は真っ赤だ。シルバーはデュースの頬を撫で、宥める。
「あまり怒らないでやってくれ。……正直な話をすると、今日、俺は嫉妬のようなものを覚えていた。エースから聞いた話に、お前が毎朝起こしてくれるというものがあって……。それを、羨ましいと思っていた。だから、お前が俺だけを思ってくれるこのような姿を見られて、俺は嬉しい」
「それで帰り際、様子が変だったんですか?」
「……その通りだ」
 お互い何やら恥ずかしい秘密を告白し合い、どこか気恥ずかしく、落ち着かない雰囲気が二人の間を流れる。デュースはこの空気をなんとかしようと話題の転換を試みた。
「せ、先輩も羨ましいとか思うんですね! なんか意外です。それに、起こすだけなら先輩にもしょっちゅうやってるのに」
「ああ、それはそうなんだが……お前と共に朝の時間を過ごせることが羨ましいと思ってな」
「え、それって……」
「……うん?」
 赤みが引きかけていたデュースの顔がまた赤く染まる。シルバーは悪気なくこのような発言をすることが日常茶飯事とはいえ、やはりデュースにとってはいちいち爆弾のような言葉であった。
「俺はまた何かおかしなことを言っていたか?」
「い、いえ!? 先輩は気にしないでください、僕が勝手に気になってるだけなので!! 深く考えないでください!!」
 深く考えるな、と言われても、言われたものは気になってしまう。軽く思考を巡らせたシルバーは、己の発言の持つ意味に気付いた。
「……す、すまない。そういう意味を含ませたつもりはなかったんだが」
「考えないでくださいって言ったじゃないですか!!」
 デュースはますます真っ赤になる。シルバーも意図がないとはいえ自分が蜜月をほのめかす言葉を口にしてしまった以上、頬を染めながら次の言葉に注意を払っていた。
 しかしデュースはもはやその場にいても立ってもいられない。もう一度シルバーに別れを告げようと、正面から向き合った。
「あ、あの、シルバー先輩!」
「なんだ?」
 デュースは大きく息を吸って自分を鼓舞する。やれ。やるんだ、デュース! 今ならお前はやれる!!
「僕、そろそろ寮に帰りますね! だから、その、えっと……」
「ああ、分かった。それじゃあ俺も――」
 寮に戻ろう、言いかけたシルバーの唇をデュースは塞いだ。両手でシルバーの頬をつかみ、驚く顔を引き寄せて。
「!」
 それはほんの短いキス。だったが、シルバーにとっては貴重な体験だ。何せ、デュースからキスしてくれたのはこれが初めてなのだから。以前にもデュースからしてみていいと迫ってみたことはあったが、デュースの方がカチコチに緊張してしまい結局それは叶わなかった。だけど、今、確かにデュースの方からそれをしてくれたのだ。
「デュース、これは……」
 慌てた様子のデュースは、真っ赤なままシルバーの言葉を遮る。
「あの! 俺、ちゃんと、その……先輩のこと好きなんで! エースの言ってたこととか気にしなくていいっていうか、その、つまり……ま、また明日会いましょう! それじゃ!!」
 飛び込むように鏡舎へと走り出そうとするデュースの腕を、シルバーは思わず捕まえた。デュースはもはや泣きそうなほど真っ赤に染まった顔でシルバーを振り向くが、シルバーの方も似たようなものだった。
「……待ってくれ。ずっと、聞きたかった。なぜ、お前は俺を好きになってくれたのか、と。それを聞かせてくれたら、帰そう」
「それは、その、ええと……いろいろあります、けど……」
「………………」
 シルバーはデュースの言葉を待つ。
「……先輩の目に、映りたいと思ったからです」
「目?」
「はい。僕は以前言った通り、目も当てられないようなことをして、そして、みんなから目を背けられて生きてきた。だけど……先輩は、いつもまっすぐ僕を見てくれて、褒めてくれて、叱ってくれて、嬉しかった。そのうちに、まっすぐに僕を見てくれる先輩の目に映るのが、もっとたくさん、僕だけになればいいのに、って……すいません、僕、ワガママなんです」
「デュース……」
 シルバーはデュースの腕を引き、軽く抱き寄せた。
「俺も同じだ。直接言ったことはなかったかもしれないが、俺の日常の光景から、お前を失うことが耐えがたかった。お前を、見ていたいんだ」
「先輩……」
 デュースがシルバーの背に腕を回し、ほんの一瞬だけ、二人は抱き合った。
「……そろそろハーツラビュルに帰してやらないと、リドルに叱られてしまうな」
「そうですね。僕もいい加減、セベクに怒られるかもしれません」
「それじゃあ、また明日だ、デュース」
「はい、シルバー先輩。……また、明日」
 二人はどちらともなく目を閉じ、キスをしようとする。しかし、二人の唇が触れ合うその直前でシルバーがデュースの唇を指でなぞった。
「先輩?」
「……期待させたのに、すまないな。だがやはりこれは明日に取っておこう、デュース」
 別れたあと、お前が淋しがらないように、とシルバーが告げる。幼子のようにくしゃりと髪を撫でられたデュースは、ははっと小さく笑い、分かりました、と体を離した。
 それから二人は黙って手を振り合い、帰るべき鏡の中へと進んでいく。デュースは明日の約束を楽しみに、シルバーは彼が良い夜を過ごせるようにと、お互いの後ろ姿にまた恋をしながら。

*おしまい

送信中です

×

※コメントは最大1500文字、10回まで送信できます

送信中です送信しました!