・このお話はメインスト7章完結時点に執筆されています(※最新更新話分までのネタバレが含まれます)。
・星送りなど一部イベントストーリーのネタバレを含みます。
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水に浸した手のひらから、薄紅色の花を池に浮かべ、ぽちゃりと水面に帰す。月の明かりが、そんなことをする僕のことをそっと照らしていた。
僕は今、片思いをしている。
誰相手かって、そりゃ、……シルバー先輩だ。1つ上の学年の、17歳の、男の人。
渋くて、格好良くて、めちゃくちゃ強くて。だけど穏やかで、優しい。優しくも、厳しい。そんな人。そんな完璧な人が、僕の好きな人だ。
いつから好きになったか、と言われたら。星送りの祭りかな。あの日、シルバー先輩が、夢に向かう僕の背中を強く押してくれて。それで、頼りになって格好いい人だなって思うようになって、それから。それからよく話すようになって、それで、だんだんと、人柄とか、雰囲気とか、そういうの……そういうの全部に、惹かれていった。
この気持ちのことは、できれば隠しておきたかった。先輩の迷惑になるかもしれないし、喜ばれるとは限らないし。
でも、どうしても。こうやって、隠しておけない日があるから、こっそり夜に寮を抜け出して、物思いに耽ってたりする日もあるんだ。
瞬く星々が光る夜空を眺める。優しく照らす月の明かりを見ただけでも、あの人の影を思い出す。
「ああ……話したいな」
声が聴きたい。傍にいたい。……会いたい、な。
そんなことを思っていると、急に、世界が鮮やかに色づいた。
約束をしたわけでもないのに、待ち侘びたその人が僕の視界に現れたから。
驚きと期待を持って膨らむ僕の胸を、落ち着けと抑えて、シルバー先輩に、なんでもない顔をする。
「そこにいるのは、デュースか? こんな時間に、何をしているんだ?」
「シルバー先輩」
僕は、ちょっと眠れなくて、寮を抜け出して散歩してました、と誤魔化す。まさか、シルバー先輩のことを想って佇んでました、なんて言うわけにもいかないから。そうしたら、シルバー先輩はそうか、と告げて、僕の傍へ歩いてくる。
そして、僕の頭をぽんと撫でて、言うんだ。
「いくら学園の結界の中とはいえ、夜は危ないぞ。早く帰れ。鏡舎まで、送っていってやるから」
「そんな、僕、そんな風にしてもらえるようなやつじゃないですよ」
嬉しいくせに、僕の口はそんな遠慮をする。この千載一遇のチャンスを逃したら、あとで悔しがるんだって絶対分かってるのに。でも、シルバー先輩はそんな僕の葛藤なんて意に介さない。
「俺が、お前を送っていきたいんだ」
ふっと優しくほほ笑んだシルバー先輩の顔に、僕は、ずるいなあ、と心でごちりながらとうとうYESの返事をした。
……ああ。この笑顔も、また。今日、僕が眠りに落ちるまで、眠りに落ちてからも、夢の中でも、起きてからも。ずっと、ずっとさ。目蓋の裏から、きっと離れないんだろうな。
「あの、シルバー先輩」
「ん、なんだ?」
「……せ、先輩は、どうしてこんな時間にこんなところに?」
またドラコニア先輩を探していたんですか、と、僕はそんなの聞きたいわけじゃないことを尋ねる。
「いや、今日は違う。また道端で寝落ちしてしまってな。目覚めて、寮に帰ろうと思ったのだが、その途中でお前を見かけたから声をかけた」
「そう、だったんですか……」
なんで、僕に声をかけてくれたんですか。心配してくれたんですか。先輩にとって、僕って大事ってことですか? ……ほんとのほんとに、大事じゃないですか? ちょっとも大事じゃない?
いろいろ、本音が聞きたくなる。もっとたくさん、聞きたくなる。知りたい。でも、言えない。聞けない。やたらと期待ばかり膨らむのに、もし違ったらと思うと、怖くて聞けない。そんな逡巡ばかり繰り返している。
シルバー先輩のオーロラ色の瞳が僕を見つめてくる度に、僕の心臓はドキドキ脈打って、頬なんかもきっと熱く、赤くなってしまっているのに。
「ああ、……もう鏡舎に着いてしまったな」
それじゃあ、また明日とシルバー先輩はまた僕の頭を撫でる。
もうお別れか、なんてしゅんとした気持ちになっていると、そんなに落ち込むなとシルバー先輩は笑った。どうやら、僕の気持ちは顔にも態度にも出ていたらしい。
「そんなにも分かりやすく別れを惜しんでもらえると、嬉しいものだな」
「……ほんとですか?」
僕はこんなんじゃ足りない、もっともっと、ずっと傍にいたいって思ってるのに。
でも、シルバー先輩はそんな僕の気持ちなんか置いて、やっぱりなんだか嬉しそうで。
「ああ。今日は良い気分で眠れそうだ。……おやすみ、デュース。お前も、良い夢を」
シルバー先輩は柔らかくほほ笑んで、そして、寮へと帰っていく僕の背中をじっと穏やかな眼差しで見守っていた。
*
波紋。
俺の心が、水面だとしよう。
この頃、柔らかな花びらが、穏やかな波紋を俺の心に揺蕩わせる。
その柔らかな花びらというのは……、ひとつ年下の後輩である、デュース・スペード。彼が俺にきっと持ってくれている、淡い想いのことなのだと思う。
何も、確証があるわけではないが、予感めいたものは感じている、と言えばいいのか。
きっと、彼は。俺のことを特別に想ってくれている。そして俺は、それに困っていない。……困っていない、どころか……。なあ?
初めて彼の想いに心を揺らされたとき、それこそ戸惑いを覚えたが……。心の水面に何度も波紋が波打つ度、だんだんと。その波紋は、ゆらり、ゆらりと大きくなっていって。俺の心を、静かに、穏やかに揺らしていくようになった。
それは、とても俺の心にとって、心地の良い揺らぎで。
今では、俺の方が彼のことを特別に想っていると。……授業中、ふと、窓の外に姿を見つけてしまったり。テキストにマーカーひとつ引いているだけでも、彼のことを思い出したり。そんな恋をしていると、自信を持って言えるようになってしまった。
デュースの前では、つかず離れずの雰囲気で、余裕のある雰囲気を出してはいるが……。実のところ、不安も持っていなくはない。
俺の気持ちを言うべきか、言わないべきか。デュースは言ってほしいだろうか。それがよく分からなくて、もどかしくてたまらない。
もしかしたらこうした気持ちのやり取りはすべて俺の勘違いで、ただ俺はひとり、泡沫の恋を夢に見ているだけではないのだろうか。
そんな不安を抱きながら、今夜もデュースの姿を夢に見る。
――夢の中でなら、何度だって好きだと言えるのにな。なぜ、現実ではこうもいかないのだろうか。
覚めれば泡と消えてしまう、泡沫のデュースに寄り添って、空を落ちる星を二人眺める。
『シルバー先輩、流れ星!』
「……ああ」
夢の存在だと分かっていても、それでも。名を呼ばれるだけで、心が動く。胸が高鳴る。
どこかで響く鐘の音が、俺を呼んでいる。俺の心の中に、チャイムのようなものが鳴り響いている。
……ああ。違う誰かの話、なんて。しないでくれ、俺の前では。俺のことだけを目に映して、どうか。
俺の心の誠実の一部を、お前のため一途に捧げるから。だから、お前もどうか、同じ心を俺に――。
――夜明けの光が、小鳥の囀りと共に俺を起こした。今日もまた、寝覚めはどうにも心切ないようだ。
「あ、シルバー先輩! おはようございます!」
「おはよう、デュース」
ああ、朝から一目、デュースに会えた。それだけで、こんなにも嬉しい。
だから、いいんだ。どんなに切なくとも、想い募ろうとも。儚くとも、かまわない。
今日会えるのなら。明日また顔を見られるのなら。それだけでもいい。
だって、なあ。
「へへっ……。昨日ぶりですね!」
「……」
この、ずるい笑顔が離れない。
「あ、予鈴鳴っちまう! それじゃあシルバー先輩、また!」
「ああ、……また」
デュースの本音が、知りたい。いつも俺といると、嬉しそうな……それでいて、照れくさそうな態度の真実が、知りたい。
俺の本音を言いたい。それを聞いてどう思うか、知りたい。
孔雀色の目に見つめられる度、俺の鼓動がどきりと跳ねていることを、伝えたい。
『またね』の約束を重ねる度、次の瞬間にはもう会いたくなっていることを……。
名残惜しさを抱えながらデュースと別れて、俺も、自分の教室へと歩いて行く。
ああ。……もっと、傍にいられたらいいのにな。
デュースに波紋を落とされてから、知らないことばかりだ。
こんなにも、心が切なく苦しくなれること、知らずにいた。
――かつて俺の両親……実の両親も、同じように恋をして惹かれ合ったのだろうか?
ひょっとしなくてもその恋の果てに俺が生まれたのだろうか。
もし、もう一度話ができるのなら、聞いてみたいと思った。
こんなにも、好きだという気持ちが増えていくこと。切なく苦しいこと。それでも、心が暖かくて、嬉しいこと。
こんな気持ちをどうしたらいいのか、ということ。
もう一度話ができるのなら、伝えてみたいと思った。
俺にも貴方たちと同じように、好きな人ができました、と。
そんなことばかり考えて、次に会ったデュースに言うんだ。
「なあ。早く気づいたらどうだ?」
「……えっ?」
笑いながら問いかければ、デュースはきょとんと大きな目を丸くしたあと、ほんのり頬を赤く染めた。
……ひょっとしたら、もう、気づいていたのかもしれないな。とっくの昔に……。
二人のこれからを薫らせる予感が、サクラソウを淡く青く染めていた。
*おしまい
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