――俺には、ひとりの恋人がいる。それは、ひとつ年下の、ひたむきな後輩、デュース・スペードで。
俺の目には、いつも。彼の姿が、映っている。彼が、……俺ではない人の方に、視線を向けて。そして、笑っているときも。
例えば。デュースが、監督生やエース、グリムをはじめとした、クラスメイトたちと仲良く談笑しているとき。
俺はいつも、遠くから、それを見つめている。
カラオケボックスがどうだとか、新しいクレープの店がこうだとか、俺にはよく分からない話題で、盛り上がっている。
それだけではない。デュースは、ハーツラビュルの先輩方、とも。今日の歯磨きチェックも任せろよ、だとか。
今日も夜中、一緒にラーメンをこっそり食べよう、だとか。……俺の見られない時間に過ごす日常の話で、楽しそうにしている。
リドルとも、昨日わかっていなかった問題の復習をするよ、とか。手製の問題プリントを作っておいたからやるように、とか。
……俺ではあまり、手が回らない部分の補助を。デュースは、してもらっている。
それだけ、ではない。カリムやジャミルにも、今日は何をしているんだ、と気にかけられ、デュースはほほ笑んで答える。
フロイドやジェイドに捕まって、マジカルホイールで一緒に出かけているのを、見たこともある。
ラギーにも、ジャックと一緒くたにされながら世話を焼かれているのも、見た。
アズールも、デュースと一緒に、あの鉛筆まだ使っていたんですか、なんて、やっぱり俺の知らない話をしているのを聞いた。
……それどころか。同級生、どころか。あの、あまり人に興味のなさそうな、レオナ先輩でさえ。
「来年はお前かもな」なんて、よく分からないことをデュースに言って。服を渡しているのを、見た。
ヴィル先輩もルーク先輩も、VDC以来、同寮のエペルと共にデュースのことをよく気にかけているようで。
……ぱっと思い出せる、これらのことでさえも、俺が知るのは、デュースについての、氷山の一角に過ぎなくて。
俺は。……それを、そんな、ひたむきなデュースが、誰かに愛され。可愛がられ。気にかけられている光景を。
ただ、黙って。いつも、黙って、じっと見つめていた。
時折、俺の存在に気づいたデュースと目が合うこともある、けれど。
駆け寄ってきて、「先輩、どうかしましたかっ」と、声をかけてくれるデュースに。
俺は、嬉しくなって。心の濁りが、痞えが。少しだけ外れたような気分になって、それで。
「……なんでもない」と。
ほほ笑んで、口を噤むんだ。
*
シルバー先輩が、なんだか変、な気がする。
なんていうか、うまく言えねえんだけど、さ。……いつも通り、優しくて、穏やかで。
僕が話しかけると、笑ってくれるんだけど。でも、なんか、その笑った顔が、どこか、淋しそうで。
だから、僕、先輩が淋しがってるのかもしれない、って思って。
シルバー先輩に、ちょっと勇気出して切り出してみた。
「シルバー先輩。僕、今日、シルバー先輩の部屋に遊びに行きたいです」って。
そしたらシルバー先輩、ああ、分かった、って喜んで、ふたつ返事で頷いてくれた。
良かった。……僕に何か言いたいこととか、怒ってることがあるってわけじゃないみたいだな。
……でも。シルバー先輩は、僕が遊び行きたいです、って行ったとき。嬉しそう、ではあったけど。
まだ何か、なんていうか。……泣くのを堪えるような顔を、一瞬だけ、したような気がした。
それで。シルバー先輩の部屋に、遊びに行かせてもらって。
冷たい茶でも淹れてくる、とシルバー先輩は一度、席を外して。
僕は。
……どうやって切り出そうかな、って考えた。
シルバー先輩が、最近ちょっとだけ、様子が変に見えるんだけど。でも、勘違いだったら申し訳ないしなあ。
だけど、でも。……もし本当に、先輩の調子が、なんかの理由で悪くって。
それで、僕は、やっぱり勘違いだったかもなってそれを見落としたら。
見落としたその一瞬で、シルバー先輩のことを、深く悲しませたり、傷つけたりするんだったら。
僕はそれを、すっげえ後悔すると思うから。
だから。
戻ってきた先輩に、僕は、意を決して切り出した。
「シルバー先輩。その、聞いていいですか。先輩、最近ちょっと、変な感じ……しない、ですか」
僕の気のせいならいいんですけど、と告げると。シルバー先輩は、やっぱり、悲しそうに切なく笑って。
「……なんでもない、大丈夫だ」
って、強がりを言う。だから、僕は。立ち上がって。シルバー先輩の頬に手を添えて、まっすぐ目を見つめる。
「本当に?」
って。
そしたら。シルバー先輩は、目を泳がせた。……これは、アタリだ。強がってたんだ、先輩。
「何かあるのなら、言ってください、先輩。僕は、頼りになりませんか?」
「……そうではない、のだが」
シルバー先輩から、トレイごとお茶を受け取り、僕はそれをテーブルへといったん移動させる。
そうして。シルバー先輩にぎゅっと抱きつき、抱きしめた。
「言ってくれよ、シルバー。……僕に、なんか、あるんだろ?」
ぎゅう、と。そのまま、シルバー先輩の身体を抱きしめていると。
きゅ、と。弱い力で、抱きしめ返された。
「お前、が」
「……はい」
僕は、頷いて。話し始めたシルバー先輩の言葉を、漏らさないように聞き取る。
「お前が、他の人と、楽しそうで……。……今は、俺といてくれるが、そのうち、もっといい人を見つけて、そちらへ行ってしまうのではないか、と、……悪い想像ばかりを、覚えてしまって」
シルバー先輩は、震える声で、本当に怖いんだ、と言うかのように、僕にその言葉を告げる。
僕は。それを聞いて。ぽんぽん、と宥めるように、シルバー先輩の背中を、撫で下ろした。
「先輩、僕、これだって一度決めたことは、覆さないんですよ。だから……先輩のことも、ずっと大事です。僕が誰とどう仲良くしても、先輩といる時間、先輩と過ごした時間が消えちまうわけじゃないって思います」
これで安心できませんか、と僕が尋ねると。シルバー先輩は、ああ、と頷いて。一度、ほっと息を吐いた。
……そっか。シルバー先輩、不安だったんだな。僕が傍にいてくれなくなるんじゃないかって、そんな風に思ってたんだ。
けっこう繊細なとこもあるんだよな、なんて思いながら、僕は、シルバー先輩の背中を、ずっとそっと撫でていた。
*
『好きですよ、シルバー先輩』
『不安になんか、ならなくていいんだ』
そう言葉の雨を落としてくれる、普段は照れ屋な年下の恋人の身体に、縋るように抱き着きながら。
俺は、ああ、情けない、と思いながらも。それでも、自分の心が、安堵していくのを感じていた。
他の誰でもない、デュースの声で。『俺がいいんだ』と、告げられることで。
心に澱む不安の濁りが、澄んで消えていくのを感じた。
それでも。デュースに、たくさん背中を撫でて、言葉を与えてもらっても。俺の不安は、大地に根を張り巡らせた大樹のように、しぶとく生き残って。とうとう、俺の唇にその言葉を言わせた。
「……お前、が。他の人ばっかり、見ているのが、嫌だ。もっと、俺のことを見て、……俺だけが、いい……」
そう言って、デュースの首元にすりつくと。デュースは、ははっと笑って、俺の頭を撫でた。
「先輩、案外淋しがりの甘えん坊なんですね」
なんて。少しからかうような、でも、愛おしいと、声色に滲ませてくれるような。そんな言葉で。
俺は、泣きそうになる目を、必死で堪えて。ただ黙ってデュースのことぎゅっと抱きしめていると、デュースが言った。
「……はは、ヴァンルージュ先輩の言ってた通り、だな」
「親父殿……?」
「あ、いえ。先輩、小さい頃から、本当に大事なものがあって、それで、何か言いたいけど言えない気持ちがあると、ぎゅーってそれを抱きしめて、泣くのを堪えてたんだ、って。ヴァンルージュ先輩が言ってて」
だから、もしかして今もそうなんじゃないかなって思って、そう思うと可愛いなって思って、と告げるデュースに。
俺は小さい子じゃないぞ、と拗ねると。はい、すいませんとデュースは笑った。
「でも、シルバー先輩。……僕が最近、シルバー先輩にかまってあげられてなくて、不安、だったんですよね?」
「……」
少し、違うな、と思った。俺がかまってもらえなかったから、ではなく。
デュースが、他のやつと楽しく過ごすこと自体が、それがやたらと目に入るのが、嫌だったのだが。
……だけど、でも。そんなことを口にしても、じゃあどうしたらいいんだと、デュースを困らせてしまうだろう、と。
また、何も言えなくなっていると。デュースは、俺の顔を覗き込んだ。
「先輩。違うなら違うって言っていいんですよ? ……我侭だって、言ってください。ちゃんと、その気持ち、受け止めたいから」
「……ああ、ええと……」
「はい」
デュースは、俺の言葉を待つ。待ってくれる。
……その誠実に、報いないわけにもいかない、と。俺は、そう思った。
「お前、と。他の人が、その。楽しそうに、しているのが、嫌、で。……それも、俺の、知らないような、話で」
俺の知らない時間を、お前が、他の人と過ごしているんだと思うと、すごく嫌で、それで。
と、俺の吐露した感情を。デュースは、そうだったんですね、と優しく受け止めた。
「へへっ。なんか、すいません。でも、ちょっと嬉しいです。シルバー先輩が、そんなに僕のこと好きで、ヤキモチ妬いてくれてたなんて」
「ヤキモチ……、ああ、そう、だな。嫉妬、してしまったようだ」
同級生にも、上級生にも、後輩にさえ、と俺が言うと。そんなにですか、とデュースは目を丸くして驚く。
そして、俺をベッドに座らせて。デュースは、その前についた。
「え、っと。……これで、先輩の心のモヤつきみたいなのが解決するのかはわかんないし、でも、僕にはこれくらいしか出来ないんです、けど!」
でも、それでも。何もやらないよりはずっといいって思うから、だから。目を閉じてください、と言うデュースの言葉に。
俺は、ああ、と頷いて目を閉じる。
すると、ちゅ、と柔らかな感触が、唇に落とされて。
「……ど、どう、です、か? その、こんな……き、キス、みたいなの、するのは! シルバー先輩とだけ、で」
同級生も、先輩も、他の誰も知らない、シルバー先輩とだけの秘密で、シルバー先輩との時間ですよ、と。デュースは言う。
「……そう、か。そう、だな。お前とくちづけたことも、その回数も。……いつも、俺しか知らないんだ」
「そっ、そうです!! 他の人しか知らない時間があるのと、同じように、先輩にも先輩しか知らない時間があるっていうか……!!」
だからその、えっと、上手く言えないんですけど、とデュースは言う。
俺は、それを大丈夫だ、と飲み込んで。デュースの身体を、そっと抱きしめた。
「……独占欲が強くて、すまない、デュース。これからも、また。嫉妬の感情を覚えて、溜めこんで。お前にこうして、面倒をかけてしまうことが、あるかもしれない。それでも……」
俺の傍にい続けてくれるか、と、尋ねると。デュースは、なに馬鹿なこと聞いてるんですか、と俺の頬を掴んで、むにむにと揉んだ。
「いますよ、ずっと。シルバー先輩が、どんだけヤキモチ焼きでも。僕、先輩の傍に、ずっとちゃんと、います!」
だから心配しないで……、違うな。今日はたくさん、甘えてください! 息抜きやガス抜きは誰にでも必要ですし! と、得意げに拳で胸を打つデュースに。俺は、ありがとう、と頷いて。
「それじゃあ……俺とだけの時間を、今日はこれから、堪能させてもらうとしよう。いい、よな?」
「……は、はい。いい、ですよ……」
ようやくのことで。デュースに、また。普段通りの、余裕ある優しい恋人として……いや。
……いつもより甘えたがりな、少し気を緩めてしまった恋人として。また、触れることが出来たのだった。
そうして、後日。また、デュースがフロイドに捕まっているのを見かける。
「リーチ先輩、そんなに気に入ったんですか?」
「うん、今日はアレの気分~。連れてってよサバちゃん」
俺が、そんなふたりをじっと見ていると。デュースが、心配そうにこちらを見つめるのに気づいたから。
フロイドに向かって、言うんだ。
「フロイド。少し貸してやるが、早めに返してくれよ? それは俺のなんだから」
「え? なに、あ、クラゲちゃんとサバちゃんってそういう感じ~?」
「ちょ、ちょっと、シルバー先輩っ!!」
俺の言葉に、デュースは慌て出す。フロイドは、へぇ~、と最初は俺たちのことを面白がっていたが。
すぐに飽きたようで。
「なんか気分変わったぁ。体育館でバスケしに行こーっと」
と、その場を去ってしまった。
そして、その場に残された俺とデュースは。
「シ、シルバー先輩っ! なんですかさっきの!」
「なんですか、も何も……主張しただけだ。本来は俺のものなのだ、と」
嫉妬の気持ちも、溜め込むと良くないと分かったので、これからは隠さないことにした、とデュースに告げると。
デュースは、程ほどにしてくださいね、と照れた顔を手で隠していて。
俺はデュースをそんな顔に出来るのも、今この瞬間は自分だけなのだということに、満足感を覚えて。
「デュース。今、この瞬間から先の未来に、保証はない。だから、お前が心変わりしてしまう未来も、もしかしたらあるのかもしれない、という不安は、俺の中から完全に消えてはくれないだろう。だが」
デュースの手を取り、くちづける。
「……それでも、お前と過ごした時間、お前の与えてくれた愛も、言葉も。なくなるわけではないと、覚えて。思い出して。それで……」
今日このときにもまた、明日もまたお前が俺を選び続けてくれるようにと、努力することを誓う。だから、傍にいることを選び続けてほしい、と。俺が言葉を切ると。デュースは、溜め息を吐いて、呆れたように言った。
「……シルバー先輩。あんまりひとりで、素敵な人になってかないでくださいね。じゃないと……」
今度は僕の方が、シルバー先輩が誰かに持ってかれちまうんじゃないかって、不安でいっぱいになっちまうので!
そう言って頬を膨らませるデュースに、俺は。はじめからお前しか見えていない、と。
くすくすと笑い、互いを撫で合うのだった。
*おしまい
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