おやすみ良い夢を

 ――ある昼下がり。僕は、尊敬する先輩のひとりであるシルバー先輩に、こんな愚痴をこぼした。
「実は最近、よく眠れなくて……」
 それで返ってきた答えは、僕の思いもよらぬものだった。
「なら、しばらく俺と一緒に寝てみるか?」
 よく眠れるようになるまで、と。なんでもないことかのように、シルバー先輩は言い放ったのだった。

 

 それから。なぜか本当に、シルバー先輩と一緒に寝る話が、トントン拍子に進んでしまった。
 しばらくディアソムニア寮の中の、シルバー先輩の部屋に泊まりがけになること。ローズハート寮長とドラコニア先輩への許可。周囲の人たちへの事情の説明。シーツの追加。僕が口を挟む暇もなく、あれよあれよという間に、準備は整って、とうとう最初の夜が来てしまった。
(なんで……? なんで誰も、ツッコミすらしないんだ……?)
 ていうか、僕がシルバー先輩と一緒に寝たからって、解決することなのか? 僕の睡眠不足は。頭の中でいろいろぐるぐる考えていると、シルバー先輩に眉間をトンと指で叩かれた。
「難しいことを考えているな? 寝る前にそういったことを考えるのは良くない。睡眠の質が落ちてしまうぞ」
「は、はい……」
「悩みごとがあるのならば、俺が聞こう。ベッドの中でな」
 言い回し!! 言い回しドキッとするからやめてください!! ……とも言えず、シルバー先輩が座るベッドの隣に、僕も大人しく座る。……一緒に寝るって、ホントに一緒に寝るんだな。ベッド追加すらしないんだ。ディアソムニアの広いベッドとはいえ、先輩が狭い思いしなきゃいいけど、なんて、本当にここでよく眠れるのか分からないことさえ思った。
「何か不安か?」
「いっ、いえ。先輩が狭くないかな、って」
「俺は……ベッドに関しては、広い方が落ち着かない。小さな頃はよく、広いベッドが淋しくて、親父殿の寝所に潜り込んでいた」
「えっ、そうなんですか? なんか可愛いな」
「幼い頃の話だ。今はしない」
「ははっ、そうなんですね。でもなんか、意外だな。先輩にもそんな頃があったなんて」
「誰にだって、幼く純粋な頃はあるものだ」
 そんなことを話していると、緊張はほぐれてきたようだな、とシルバー先輩が僕の頬を撫でた。……ど、ドキドキするんだが。なんだ、この鼓動は。やめろ止まれ先輩に知られたらどうするんだと、いったん深呼吸して胸を落ち着かせた。
「深呼吸か? そうだな、寝る前に深呼吸をするのは、身体をほぐすのにいいことだ」
 一緒に筋肉をほぐすためのストレッチでもしてから寝ようか、とシルバー先輩は言う。はい、と答えると、シルバー先輩はそれなら、と僕に簡単なストレッチのやり方を教えてくれた。
「あ、確かにこれ、いいですね。なんだか身体の疲れが取れる感じがする」
「ああ。お前が寮に戻ることになってからも、試してみるといい」
 ストレッチを終えると、シルバー先輩は、そろそろベッドに入ろうと言った。僕がなんとなく先輩のベッドに入りづらくて遠慮していると、シルバー先輩に、寝るならベッドにいなくてどうすると強引にシーツの中へと引っ張りこまれた。
「せ、先輩……」
「お前は寝るためにここへ来たのだろう」
「それは、そうですけど」
「なら、遠慮することはない。……安心しろ、何も気になることがないよう、俺が寝かしつけてやろう」
 そう言って、シルバー先輩は僕の身体をぐっと引き寄せ、抱きしめるようにすると、ぽんぽんと身体を叩き始めた。
「さあ、眠るといい」
 トン、トン、という規則正しいリズムを聞いていると、確かに身体に入った力が抜けていく。シルバー先輩の顔や身体が目の前にあって緊張はしているが、それでも目蓋がゆっくりと落ちていく。
 ……不意に、先輩の手が止まる。なんだろう、と思っていたら、目の前から、ぐう、という寝息が聞こえた。……ははっ、なんだ。先に寝ちゃったんだな、シルバー先輩。
 僕は、そんなシルバー先輩の寝息を聞いているうちに、自分もいつの間にか、眠りに落ちていってしまっていた。

 ――翌日。
「すまない。昨日は俺が先に眠ってしまったようだ。お前も寝るのに苦労したことだろう。次は必ず、眠りにつくまで見守っている」
「だ、大丈夫ですよ。昨日はあのあとすぐ眠れましたから……」
「本当か? なら、いいが。だが、一晩眠れただけではまだ不安も残る。何日か、恒常的に眠れるようになったかを確かめてみよう」
「分かりました」
 元々しばらくディアソムニアに泊まるって約束だったし、その期間くらいはな、とシルバー先輩の言葉を承諾する。
 そして、二日目の夜が来た。昨日と同じようにベッドに潜り、寝かしつけられてみるが、だんだん慣れてきたせいか、僕があまり眠そうに見えないことが気にかかったようで、一度ベッドから出ることになった。
「同じ方法では眠れないか……。ならば、あれを試してみよう」
「あれ、って?」
「少し待っていろ」
 シルバー先輩は部屋を出ていき、そして、5分くらいすると何かを持って戻ってきた。
「ホットミルクだ。眠れない夜には、暖かいミルクを飲むと、リラックスして眠ることができる、そうだ。飲んでみろ」
「わ、分かりました。いただきます」
 ホットミルクに口をつけると、じんわりとした甘さと暖かさが口の中に広がる。……うん、ほっとするな。
「身体がじわって暖まる感じがしますね」
「ああ」
 先輩の手が、僕の髪にくしゃりと触れる。
「そういえば、結局昨晩は聞き損ねていたが。お前のその眠れなさは、何か、特有の悩みによるものなのか?」
「ええと、それは……」
 分からないです、と答えた。だって、分からないからだ。
「分からない?」
「……僕は、けっこう、いろんなことでしょっちゅう悩むんです。要領が悪いとか、自分が馬鹿だとか、そういうことで。でも、そういうのは、言い換えれば常に悩んでることだから、きっかけみたいに大きく何があるってわけじゃなくて。だから……悩みが原因だとしたら、どれがきっかけなのか、分からないんです」
「そうか」
 ならば、とシルバー先輩が僕の頭を撫でた。
「何か、吐き出したくなったことがあったら、いつでも俺に言え。お前にとっては小さなことだと思っていても、その積み重ねがのしかかってきているのかもしれない」
「そんな……。そこまで先輩にばっかり迷惑かけられないですよ」
 ただでさえ今、こんなにお世話になってるのに、と続ける。すると、シルバー先輩はどこか淋しそうに呟いた。
「……俺には、迷惑ではないが。……だが、お前が辛いというのなら、俺でなくとも……信頼の置ける友にでも、教師にでも。吐き出せばいい。お前の味方になってくれる人は、たくさんいるのだから。少なくとも、俺の目にはその人たちが映っている」
「あ……、ありがとうございます。シルバー先輩は、励まし上手ですね」
「事実を言ったまでにすぎない」
「ははっ、もう、上手いんだからな。……ホットミルクも飲み終わったし、身体冷えないうちに、またベッド入ってみましょうか」
「そうだな」
 そうして、また二人でベッドに入る。シルバー先輩は、僕を抱き寄せると、今度は身体をトントンと叩くことはせず、そのまま抱きしめるように眠りについてしまった。……な、なんか、ドキドキするな、この体勢。
 けどやっぱり、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、頭上に置かれたシルバー先輩の頭からは、すう、と寝息が落ちてきて。なんだか脱力した感じがして、目を閉じてその寝息を感じていると、また僕もいつの間にか眠りに落ちてしまっていた。

 そして翌朝。
「すまない、また俺が先に……。昨日は眠れていたか?」
「はい。先輩が寝たあと、すぐに寝ちゃったみたいです」
「それならいいのだが……。本当か?」
「本当ですよ。僕、なんだか先輩の寝息聞いてると、安心するっていうか、気が抜けるのかな。すぐ眠れちゃうみたいで……」
 そう言うと、先輩はぱっと顔を逸らした。なんだろう?
「……しかし、それではハーツラビュルに戻ったときにはまた眠れなくなってしまいそうだな。何か手立てを考えなくては」
「そうですね……。先輩に、寝るまで毎日電話とかしてもらうわけにもいかないですし……」
「……そ……う、だな」
 なぜか先輩は一拍置いて同意する。え、もしかしてやってくれる気だったのか? いやいや、そこまで迷惑はかけられないって!!
「どうにか、シルバー先輩がいなくても眠れる方法を……」
「ああ。俺も、考えてみる」
 そうして日中、僕らは別れた。で、夜だ。
「今日は部活でいっぱい走ったから、身体疲れてるはずだし……。寝れる気がしないでもない……です!」
「そうか。では、ストレッチを終えたらさっそくベッドへ入ってみるとしよう」
 お互い身体を軽くほぐして、ベッドに入る。今さらだけど、このベッドすごいふかふかだなあ。質も手触りも良い……。先輩は毎日こんなベッドで寝てるんだなあ。
「どうした? ……もしや、寝心地が悪いか?」
「逆ですよ、逆。寝心地良すぎです。だから……先輩は毎晩このベッドで寝てるんだなあ、って思ってました」
「……っ、そうか」
 先輩、どうしたんだろう。なんか朝から、ちょっと様子が変だな。
「シルバー先輩、大丈夫ですか? なんか朝からちょっと様子が変ですけど……」
「大丈夫だ、心配するな」
「……僕が毎晩、ベッドにお邪魔してるせいで、具合悪いとかじゃ……ないですよね?」
「そんなことはありえない、むしろ……」
「むしろ?」
「あ、ああ、いや。……ともかく。具合や調子が悪いわけではないし、仮にそうしたことがあっても、お前が原因ということはないから、安心してくれ」
「分かりました……」
 そろそろ寝るといい、と、ベッドに肘を立てたシルバー先輩に目を閉じることを促される。
「先輩は?」
「今日こそは、お前が眠りに落ちるまで見守るつもりだ」
 そんなに義務感持たなくても、と僕が言うと、シルバー先輩は、照れくさそうに言った。
「……俺が、お前の寝顔を見たいんだ」
「なんかそれ、僕は恥ずかしいんですけど……」
「ふっ。……お前はもう、俺の寝顔を何度も見ているだろう。おあいこだ」
「それもそうですね」
 自分だけ渋るのもフェアじゃないか、と納得すれば、シルバー先輩は、寝ない子にはおまじないをかけるぞ、と言った。
「おまじない?」
「ああ。よく眠れるおまじないだ」
 そう言って、シルバー先輩は僕に身体を近づけてくる。そして、額にちゅとキスをした。
「おやすみ、愛しい子。どうかお前が、甘い金色の夢を見るように」
 僕は恥ずかしくなって、ちょっとシーツに潜ってシルバー先輩の様子を伺い見る。優しくほほ笑んでこっちを見守っているその表情に、僕は金色の夢じゃなくて、銀色の夢が見たいな、なんて思った。
 ……それから、トク、トクっていう、心臓の音と、カチ、コチ、っていう時計の音だけが聞こえて。いつの間にか、眠りに落ちてしまったみたいだった。

「……ふっ。今日は、俺よりも先に眠ってくれたな……」
「親父殿のおまじないは、デュースにもよく効くようだ」

 ぼうっと薄れていく意識の中、そんな声を聞いたような気がした。

 そして、翌日の夜。ベッドの縁に座るシルバー先輩は、僕を隣に呼び、頬に手を触れさせて顔をまじまじと見つめてくる。
「だんだん、顔色が良くなってきているな。クマも取れはじめている」
「本当ですか?」
「ああ。あとは、ハーツラビュルに戻ってからも、同じ調子で眠れる手立てさえあればいいのだが……」
「うーん……。なんで眠れなかったんだろ。原因がどうにも分かんないのが、困りものですよね……」
「何か、些細なことでもいい。お前の胸を痛めたりしたことはなかったか? なんでも言ってみてくれ」
 今日はそれをすべて受け止めるから、とシルバー先輩は言った。
「なんか……あったかな。ええっと……。先輩とこうなる前の日、眠れなくなった日あたりは、いつも通り、エースと喧嘩して、監督生に諫められて、魔法薬学の実験に失敗して、先生に怒られて……」
 でも、それいつものことだもんな、と呟く。
「魔法史の予習が終わってなかったから、急いでやって、そしたらワケわかんなくなって、ローズハート寮長に助けてもらって、と思ったら、数学の課題あったのすっかり忘れてて……」
 なんか僕ダメダメですね、と笑うと、シルバー先輩は、笑うことではない、と言った。
「お前が一生懸命やっている証拠だ。何を笑って誤魔化すことがある」
「……はは……、ありがとうございます。先輩はやっぱり、優しいですね」
 ――でも。でも、という声が、僕の中に響いた。そしてそれは、無意識のうちに、口にもしていたみたいだった。
「でも、なんだ? ……どうした、デュース」
「や、なんでもないです……。でも、って、なんなんだろ、僕、はは……」
「……無理をして笑うな。言いたいことがあるなら、言え」
 シルバー先輩は、僕に触れようとする。だけど、僕は……それが、嫌だった。だから、先輩の手を、そっと押し返した。
「ごめんなさい、でも、先輩、良くないです。先輩には、大事な人がいるのに……」
「デュース?」
「……先輩、僕、思い出しました。眠れなくなった原因。でも、それは、先輩には言えないこと、なので……」
「……俺には、言えない?」
「言いたくないんです、ごめんなさい……」
 シルバー先輩は、困ったように眉を寄せていたが、最後には、言いたくないのなら無理には言わなくてもいいと僕を胸に抱き寄せてくれた。……そんな、甘やかすのは、良くない。だって、僕の口が、いらないことを言ってしまう。
「先輩、は……。好きでもない子ってか、どうとも思ってない人に、ヤキモチとか妬かれてたって知ったら、どう、しますか?」
「……どういうことだ?」
「答えてください……」
「……そう、だな。ヤキモチの、妬き方にもよるが……。まずは、俺のことをそこまで想ってくれたことには、感謝するだろう。だが、ヤキモチの気持ちが余って、まわりの人に危ない真似をするようなら、それについては、叱ることになるだろう」
「危ない真似とかは、どうも何も、してなかったら?」
「それなら……俺のことをそんなに好きでいてくれてありがとう、と告げるだろうか」
「でも、先輩にはもう、大事な人がいますよね? ……それは、どうするんですか?」
「大事な人、というのは……誰のことを言ってるんだ、デュース?」
 僕は、なんだか、胸が斬り裂かれる思いがした。でも、言わなきゃいけない。認めなきゃいけない、よな。先輩とはずっと、長い付き合いと、特別な関係があって、力も魅力もあって、……どこからどう見ても、誰から見たってお似合いで。僕なんか、ひっくり返ったって敵わないって分かってる人の存在を。
「……ドラコニア先輩……」
 そう告げると、シルバー先輩は、なんだか眉を片方しかめて、難しそうな顔をした。
「ええと。……確かにマレウス様も、特別に大事な方ではあるが……」
 シルバー先輩の口から告げられる、肯定の言葉。聞きたくなかったな。先輩なら当然、その言葉が返ってくるって分かってはいたけどさ。逆に、嘘でも、あの人は別に、とか言ってたら、僕が先輩を偽物だと思うところだった。だから、当たり前なんだけど。そんな『当たり前』に、僕の心は、目は、涙を流した。
「あ……」
「デュ、デュース!? どうした、なんで泣いてるんだ!?」
「……なんでもないです。変な質問に付き合ってくれて、ありがとうございました……」
 もう寝ましょう、とベッドに入ろうとすると、シルバー先輩にちょっと待て、と抱きしめられた。
「……なあ。俺の思い違いでないのなら……先ほどの問答は、お前の悩みに、関わっているんじゃないか?」
「……」
 僕は、答えない。
「だったら、どうだっていうんですか」
 答えないつもり、なのに。いちいち抱きしめたりしてくれるから、期待が捨てられない。
「だとしたら、言いたいことがある。俺は――お前が好きだ、デュース」
「……え……?」
「だから、ちゃんと聞いてほしい。俺の言葉を、最後まで」
 シルバー先輩は、僕の目をまっすぐに見て、言った。その頬は、赤く染まっている。僕は抱きしめられたまま、嘘かって思うような言葉が降ってくるのを、ただ、聞いていた。
「先ほどの問答、あれは、お前のことだろう、デュース。お前が妬いてくれたのなら、俺はまず、嬉しい。お前は俺にとって、何とも思ってない子や、好きでもない子じゃ、ないからだ」
「だが、お前が思い詰めているというのなら、俺は、悲しいし、苦しい。今、どうしたらいいか、……正直、困っている」
「マレウス様が大事とは言ったが、それは、恋慕の情ではなくて、赤子の頃から見守ってくださった、家族に対するようなものと、主君に対しての尊敬が混じったもので……。なんと言えばいいか、お前が、母君や、前に話してくれた、警察官の方に感じているような感情に近いものなんだ」
「……その、だから、そういった感情とは別に、また特別に、好きだ、可愛い、と思ったり、眠れないという悩みさえ、どうにかしてやりたいと四苦八苦したり、……キスを与えたり、抱きしめたり、そうしてやりたいのは、お前なんだ、デュース」
「よく、変わっていると言われがちな俺を、ただの、どこにでもいる、恋に落ちた17歳にしてしまうのは、お前だけなんだ、デュース」
 シルバー先輩の言葉が、信じられなくて。僕の口は、思わず言葉を紡ぐ。
「嘘……」
「では、ない。嘘は時に必要だが、好きではない。だが……お前の心が不安だというのなら、いくらでも、時に嘘であっても、お前のための言葉を紡ごう」
 だから、どうか。俺の想いは真実であると信じてほしい。シルバー先輩はひざまずいて、僕の手を取り、手の甲にくちづけた。
「騎士として、また、それ以前にシルバーという一人の男として誓おう。お前の心に、俺の心の一部から忠誠を捧げる。……その一部は、恋情だ」
 そしてシルバー先輩は、どうだろうか、と照れくさそうに笑う。僕は、嬉しくて、信じられなくて、夢かと思って、自分の頬をつねった。
「デュース!?」
「……あ、夢、じゃない……?」
「夢ではない。……そんなに不安にさせていて、すまなかった。もっと早く、俺がこの気持ちを伝えていれば良かったんだな」
「……いえ。僕も、さっき……、さっき、思い出して……やっと、気づいたので……」
 ――さっき。ようやく、思い出して気づいたんだ。シルバー先輩が、照れくさそうに、でも嬉しそうに、ドラコニア先輩と話しているのを見たとき。僕の前では、あんな、甘えるような、照れたような笑い方はしないって、気づいたとき。楽しそうに声を立てないって、気づいてしまったとき。僕といるよりもずっと、気が抜けてて、自然体で楽しそうだなって、積み重ねてきた時間の違いに、気づいてしまったとき。
 僕の心に深い杭が刺さって、抜けないような気がしてた。でも。……でも。形が違うだけで、僕だって、先輩の特別だったんだ、って。そう、思うけど。それでも、まだ。
「先輩、僕、面倒な奴なんです……」
「そうなのか?」
「……これからもまた、ヤキモチ妬いて、自分だけが先輩の特別になりたいとか、一番になりたいとか、そんなワガママ言い出すかもしれなくって」
 それでもいいんですか、と尋ねると、シルバー先輩は、僕の身体をまた包み込むようにぎゅっと抱きしめた。
「それならば……その時々で、俺は必ず、答えを出そう。お前の心が軽くなるように、その気持ちが落ち着くように。お前の、そうした気持ちが大きくなりすぎて、お前を押し潰してしまう前に、俺に必ず相談してくれるのならば」
 約束だ、とシルバー先輩は僕の小指を取って、絡め合った。ゆびきりげんまん、だ。
 そこまでしてもらって、僕はようやく、先輩に笑顔を向けることができた。
「先輩、僕に甘すぎですよ……」
「いいんだ。俺のせいで悩んで、しばらく眠れていなかった、ということだろう。この頃は眠れていたとはいえ……。苦労をかけてすまなかった」
 胸のつかえが取れたのならば、明日からはもう寮に戻っても大丈夫そうだな、と、シルバー先輩は言った。僕は、それがちょっと淋しかった。
「……僕が帰っちゃうの、先輩は淋しくないんですか?」
「ふっ。もちろん、淋しい。だが、お前に甘えてばかりもいられないからな」
「僕が甘えてるんじゃなくて?」
「ああ。俺も、お前が傍にいると、落ち着いていた。……お前は人気者だからな」
 お前のまわりにはいつも明るい誰かがいて、口下手な俺のことなど、端から目にも入れていないと思っていたから、とシルバー先輩は言う。
「なんだ。僕ら、お互いにヤキモチ妬いてたんですね」
「ああ。……そのようだな」
 そうして、笑い合いながら、やがて二人、眠りにつく。僕らはいつの間にか、ぎゅっと手と手を繋ぎあっていて、とても暖かった。

*おしまい

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