恋は百薬の長

「デュース? 大丈夫か?」
「シルバー、せん、ぱ……」

 ぐらり。それは一瞬のことだった。目の前で、デュースが、倒れた。
 慌てて駆け寄り、その身体を抱き止める。……熱い。
「これは……熱、だな」
 ぐったりとした様子のデュースを抱え、まずは保健室へと連れていくことにした。

 ――事の起こりは、昨日のことなのだろう。昨日、デュースの姿を見かけたとき、彼は土砂降りの中、傘もささずに一心不乱に走っていた。確か、朝出かけていく姿を見たときは確かに青色の傘を持っていたはずなのに、一体どうしたというのだろうかと疑問に思ったから、よく覚えている。
 それで、今日、風邪を引いていやしないかと心配をして声をかけたところ、実は昨日、街で傘を忘れた子ども連れのおばあちゃんに傘を譲ってしまって、という話を聞き出すことができた。それで濡れて帰り、案の定、デュースは病に倒れてしまったというわけだ。
 ……他人を気遣うのも結構だが、自分のことも大事にしてもらいたいと思うのは、俺の我儘なのだろうか。
「教諭は、いない……のか」
 急ぎ保健室に連れてきたものの、扉の鍵はかかっている。ドアにかけられた張り紙を見るに、教諭は不在らしい。
 だからと言ってデュースをこのまま放っておくわけにもいくまいと、自分の部屋へと連れて帰ることにした。

 

「デュース。平気か?」
 自身の部屋に連れ帰り、ジャケットを脱がしてやったデュースの身体をベッドへ横たえる。制服を着こんだままでは苦しいだろうと、ネクタイをほどき、手袋を取ってやった。ベストのボタンも、一応外しておく。
「せ、んぱい……? ここは……?」
「俺の部屋だ。保健室へ運んだのだが、教諭がいなかったようで……。ひとまず、ここで休んでくれ」
 デュースは身体を起き上がらせようとする。
「だめ、ですよ。先輩に、風邪、うつしちゃったら、申し訳ない、です」
「デュース、無理はするな」
 起き上がろうとするデュースを再びベッドへと寝せる。病身では身体に力が入らないようで、寝かせることは簡単だった。
「……心配するな。風邪の人を看病するときのために使う、免疫力を高める魔法薬を飲んでおく。だから、俺にうつすことはない」
「でも……」
「お前は何も、心配しなくていい。今はただ、ゆっくり休んでくれ。……そうだ、熱があるのなら喉が渇くだろう。飲み物や果物を取ってくる」
 汗で張り付いたデュースの前髪を指先で撫でてやると、デュースはようやくゆっくりと目を閉じてくれた。音を立てないように部屋を出て、キッチンに赴き、ストックされていた魔法薬を飲んだあと、リンゴを剥いて皿に乗せ、ペットボトルの飲み物を一緒にトレイへと乗せる。
 それを運んでいると、途中、廊下でセベクに会った。
「ん? なんだ、誰か風邪でも引いたのか?」
「デュースが熱を出した。だから今、俺の部屋に置いている」
「何? なぜお前が世話を焼いている。アイツはハーツラビュル寮だろう。リドル先輩たちに任せればいいではないか」
「目の前で倒れたが、保健室も開いていなかったから、急遽部屋へ運んだ。熱が下がって寮へ帰れるくらいまでは、世話してやろうと思っている」
「ふん、そうか。ならば僕から先に若様には話を通しておいてやろう。お前は甲斐甲斐しく世話を焼くので忙しいだろうからな」
「すまない、助かる」
 セベクと別れて自室に戻り、デュースの様子を見る。起きていないかと思ったが、どうやら意識はあるみたいだ。
「せん、ぱい?」
「すまない、起こしてしまったか」
「いえ、息苦しくて、寝ようにも、寝るの難しくて……」
「無理をすることはない。……食べられそうか?」
 ベッド脇に座り、切ったリンゴを差し出す。すると、デュースは顔を綻ばせた。
「あはは、ウサギのリンゴだ。昔、風邪引いたとき、よく母さんが切ってくれたっけな」
「そうなのか」
「はい。ウサギさんのリンゴを食べて、早く元気になろうね、って、よく、言われたっけ……」
 デュースがじっとリンゴを見つめているのを見て、俺はひとつフォークで刺したリンゴを差し出した。
「ほら、口を開けろ」
「じ、自分で食べられますって、もう……」
「……」
「う、うう。分かりました、食べればいいんですね……?」
 特に何を言ったつもりでもないのだが、デュースの様子をじっと見ていたら、デュースは俺の手ずからリンゴを食べた。……可愛い。いや、俺は何を考えているんだ。デュースは病身で辛いというのに、不謹慎なことを。
「うまいれふ……」
「良かった」
 ひとまず、食欲はあるようで安心した。眠れないというのなら薬を飲んだ方がいいだろうと、粥を作ることを提案した。
「何から何まで、すいません……」
「かまわない。俺がやりたくてやっていることだ。お前はまた横になっていろ。眠れたら、眠っていてもいい」
 再びデュースにブランケットをかけてやり、ぽんぽんと背中を叩いて寝かしつける。それから、一度リドルへの事情の通達ついでに、購買部へリゾットの材料を買い足しに行くことにした。

 *

 ――黒い天井が、ぼやけて見える。ここはディアソムニア寮のシルバー先輩の部屋だ。正直、先輩の部屋にいるのは落ち着かない。それはその、悪い意味とかじゃなくって……。……僕がシルバー先輩のことを、好き、だからだ。特別な意味で。
 だから、風邪引いてるとはいえ、好きな人のベッドの上に寝かされてるとか、そういうので全然落ち着けない。まあ、今は身体もダルくて、頭もボヤけてるから、幸か不幸かそこまでそんな気持ちにかまってられはしないんだが。
 でも、だけど。ちょっと期待してもいいのかな、なんて気持ちにはなったりしてる。だって、シルバー先輩、わざわざ自分の部屋まで運んで僕のこと看病してくれるくらいだし、悪いようには思っていないんじゃないか、とか。
 かと思えば僕の気持ちは反対側に振り切れて、いやいやシルバー先輩は誰にでも優しい人だから、僕だからとかそんな理由とかなくて、ただ目の前で倒れた人を放っておけなかっただけじゃないか、とか、本当は急に面倒かけられて迷惑に思っているんじゃないか、とか。不安で心細くなったりして。
 ……身体が病気のときって、なんで、不安な気持ちや心細い感じの方に傾きやすくなっちまうんだろうな。
 先輩がかけていってくれたブランケットは暖かいのに、剥いてくれたリンゴは甘かったのに、それでも淋しくなってしまう。淋しくなって、僕やっぱり迷惑かけちまってるな、なんて自責の念が頭の中をグルグルする。
 こんな風になってないで、さっさと風邪治して寮に帰るのが一番だと思うのに、頭の中で嫌な気持ちがグルグルと反響して、眠れない。
「……シルバー、先輩……」
 どうしようもなくなって、シルバー先輩の名前を呼んだ。僕はそんな風に、甘えたりできる立場じゃないのに。答えは返ってこなかった。当然だ。シルバー先輩は今、リゾットを作るって言って、キッチンに出かけて行ったんだから。
 こんなに僕弱かったっけな、なんて思いながら、涙が滲む目元をごし、と拭った。

 *

 ハーツラビュル寮長であるリドルからの宿泊許可も無事もらうことができ、リゾットの材料も、風邪によく効く魔法薬も買い込めた。すぐにキッチンへ向かい、卵とチーズを使った甘めのトマトリゾットを作って(この材料ならアイツの好きなオムライスのような味がして、きっと喜ぶだろう)、部屋へと運んだ。
 デュースは目蓋をぎゅっと閉じて、大きな枕のひとつを抱きしめていた。……淋しかったのだろうか?
 病気のとき、一人にされると心細いものだ。俺にもかつて、幼い頃に味わったその気持ちには覚えがある。
 少し濡れているデュースの目元を撫でてやると、デュースはゆっくりとその潤んだ目を開いた。
「デュース」
「あ、先輩……」
「頭が痛むか?」
「いえ、頭は、ちょっと重いくらいで……ガンガン痛むわけじゃないので、大丈夫、です」
 デュースが身体を起こそうとするので、その背中を支えてやった。
「ありがとうございます」
「気にするな。病気のときくらい、甘えていい」
「……すいません、迷惑かけて。先輩は、寮も違うのに、ただの後輩の僕のために、ベッドまで貸してもらって……」
 申し訳なさそうに俯くデュースに、俺は、困ってしまう。もちろん、目の前で倒れるほど弱った後輩を放っておけなかったのもあるが……ただの後輩だから、という理由だけで、俺だってここまでしているわけではない。だけど、それは今伝えるべきことではない。
「何度も言うが、俺は、やりたくてやっている。俺がお前を看病するべきだと思ったから、している。俺がそう決めて行ったことを、お前が気に病む必要はない」
「すいません。ありがとうございます」
 これ以上先輩に迷惑かけてらんないし、早く治しますね、とデュースは笑う。それなら、と俺は作ってきたリゾットを差し出した。
「これを食べて、薬を飲むといい。きっと楽になるだろう。もちろん、無理はしなくていいが」
「……トマトのリゾット……うまそうですね。食べちゃっていいんですか?」
「ああ。そのために作ったものだ。ああ、匙が持てないというのなら、また食べさせても――」
「じ、自分で食べられますっ!」
 いただきます、と慌ててデュースは言う。急ぐと火傷をするぞ、と冷ましてから食べることを推奨した。
「……おいしい。じんわりして、あったまる感じがする……」
「……良かった」
 デュースはパクパク、と次から次へ粥を口に運んでしまい、すっかりリゾットの皿は空になる。
「最初、食欲ないかもって思ってたけど、一口食べたら止まらないくらいめちゃくちゃおいしかったです……」
「ふっ、いいことだ。……ほら、忘れずに薬を飲め」
 デュースに、今しがた買ってきた魔法薬の瓶を渡す。小瓶の蓋を開けて液体を飲み下すデュースは、少し苦い顔をした。
「どうした?」
「いえ……。薬って、やっぱり苦いですね。その方がよく効くんだろうけど、小さい頃は苦手だったな」
「ふっ。お前もそうだったのか。俺も、幼い頃は苦い薬が苦手だった」
「先輩も? ……なんか意外です」
「俺だって初めから、なんでも得意だったわけではない」
 食事を取り、薬を飲んで、デュースは多少元気になったようだ。薬の効果ならば効くのが早すぎやしないかとは思うが、まあ、薬の効果には「飲んで効く」という思い込みも含まれるという。デュースはその点、薬が効きやすい方の人間なのだろう。
「……薬が苦いというのなら、治ったら口直しをしてやろう。今はゆっくり休むことに専念しろ」
「口直し、って? ひょっとして、プリンとか奢ってくれたりします?」
「さあ、どうだろうな。治ってからのお楽しみ、だ」
 へへ、と笑うデュースの頭を撫でる。それから、俺は尋ねた。
「他に欲しいものはないか? 熱があるから喉が渇いた、飲み物が欲しい、とか、まだ腹が空いていて、お代わりが欲しい、とか。寒気がするから、ブランケットがもう一枚欲しい、とか……」
「大丈夫、ですよ。……ははっ」
 デュースは俺の様子を見て、笑う。どうしたんだろうか?
「何か、おかしかったか?」
「いえ。先輩は、病気のとき、きっとたくさん心配してもらったんですね」
「そう、だな。……そうなのだろう」
 幼い日、同じようにあれこれいらないかと心配してもらった記憶がふと蘇る。ああ、俺は知らない間に、そんなところも貴方に似ていたのか。
「でも、一個だけ、心配なのはあります。僕がベッド借りちゃって、先輩は、どうするんですか?」
「それなら、大丈夫だ。ベッドは予備のものを運んでくる予定だから。ひとりで眠りたいなら、別の部屋にするが、その……淋しいかと、思って」
「……ありがとう、ございます。へへ、正直言うと、ひとりだと心細かったので、嬉しいです」
「そうか。それなら、良かった」
 それから、俺はデュースをベッドに寝かせ、手を握った。
「さあ、食事もとったし、薬も飲んだんだ。あとは、ゆっくり眠れ。……眠れるまでは、ここについていてやるから」
「……せん、ぱい……」
「おやすみ、デュース」
 左手で手を握りながら、右手でデュースの額を撫でる。うとうととした目蓋が降りて、やがてデュースは眠りについた。そして、そんな姿を見ていた俺も、いつの間にか眠りについてしまったらしかった。

 *

 ――後日。すっかり熱が引いたデュースをハーツラビュルに帰してやって、その礼としてデュースが果実を使ったケーキの詰め合わせを持ってきた。
「あのときは看病ありがとうございました! これ、クローバー先輩に教わって作った、お礼のケーキです」
「どういたしまして。ありがたくいただくとしよう」
 元気になったデュースの姿を見て、俺は満足が行く。やはりコイツには、元気な方が似合っているからな。
「そういえば、先輩。風邪治ったら口直ししてやるって言ってたけど、あれ結局なんだったんですか?」
「ああ、それは――」
 ……元気になった今なら、伝えてやってもいいかもしれない。俺がどうして、お前のことを大切にしたのか、と。
「教えてやる。約束だからな」
 そう言ってデュースの顎を引く。顔がぐっと近づいて、デュースの顔が慌てたように赤くなり、泳ぐ目が覚悟を決めたように閉じられる。
 ……少しからかうだけのつもりだったのだが、案外悪くない反応だ。
「そんなに緊張せずとも、ちゃんと快気祝いのプリンくらい買ってやる」
「へあっ!? ぷ、プリン、ですか?」
 そっか、そうですよねなんて慌てて頷くデュースの耳元でささやいた。
「ふっ。そうしたら、今の続きもしてやろう」
 もう一度見たデュースの顔は、また熱がぶり返してしまったのではないかと思うくらい真っ赤になっていた。
 
*おしまい

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