名悪役

※DV加害者が登場するため、精神的・肉体的な暴力表現があります。
※DV表現があります。関連したトラウマなどのある方は想起する可能性があるため、閲覧をご遠慮ください。
※R15程度の性描写があります。中学校卒業未満・15才以下の方の閲覧はお控えください。
※R15程度の性描写があるので、R18レーティングにしています。
※デュースがシルバー以外と交際する描写があります。

 以上すべて大丈夫な方はスクロール↓

 

 

 不穏な物語のプロローグはいつも、穏やかな日常から始まる。それはきっと俺たちも例には漏れず。

 ――あの日、俺には好きな子がいた。ひとつ下の学年に在籍している、ハーツラビュル寮のデュース・スペードだ。元々、仲は良い方だったと思う。麓の街や、廊下、運動場なんかで顔を見かけたら、必ず向こうから駆け寄ってきて元気に挨拶をしてくれるような、懐っこい奴だった。
 俺が彼を好きになったのは、星の降る夜のこと。星送りという祭りの立役者であるスターゲイザーという大役をきっちりこなし、その後、誰かと彼は電話をしていて、そのときに流していた涙と、嬉しそうな表情が、とても綺麗で、印象に残っていた。
 と、同時に疑問に思っていた。彼にそんな美しい顔をさせたのは誰なのかと。後日聞いた話、母親からの電話だったと聞いて、俺は安堵し、また、より深く彼に好意を持った。唯一の肉親からの電話で、そんなにも美しい表情を見せることができる彼のことを好きになったのだと、妙な安堵によって自覚させられた。
 その後も、少しずつデュースとは距離を縮めていった。俺は口がうまい方ではないが、デュースが嫌がらないので、嬉しくなってたくさん話しかけた。そのうち向こうも俺を信頼してくれたのか、自分の悩みなども打ち明け、相談してくれるようになった。
 その中に、こんなものがあった。
『先輩には、好きな人がいたりしますか?』
『僕は昔、悪いことをしてました。そう思うと、人を好きになったりするのは良くないんじゃないかって、ふと思うことがあるんです』
 俺は、こう答えた。
『たとえ悪人だとしても、誰かを純粋に好きになる権利はあるだろう。時には、その想いが更生へのきっかけになることもある。お前が、母君のためにそうしたように。だから、そうした気持ちを持つこと自体が良くないことだとは、俺は思わない』
『それに、お前は今、過去の行いを反省して、優等生になろうと頑張っているんだ。前向きになれる気持ちなら、持っていても構わないのではないか』
 矛盾しているな、と思った。以前、デュースには叶えたい夢や目的のためには、よそ見はするべきでない、と言ったのに。それでも、人の気持ちというのはどうしようもないものだ。誰かを好きになりたいというのならば、なればいい。その気持ちをも、夢のための力にできればいい。……願わくばその想いの向く先が、俺だといい。最後の言葉以外をデュースに伝えると、デュースはそっか、そうかもしれませんねと笑った。
 どうやらデュースは、前向きになってくれたようだ。良かった。と、俺は思っていた。それが悪夢の始まりだったとは、まだ知らずに。

 あの会話から、どうやらデュースは何かの自信を取り戻したようで、以前よりもさらに生き生きとした表情を見せるようになった。そんなある日、デュースから俺へ、唐突な報せがあった。
『シルバー先輩! 聞いてください、僕、恋人……できたんです!』
『そ、うか……。おめでとう』
 突然告げられた、恋の終わり。それ以上のことを話さないでくれ、なんて言えるはずもなく、俺はただデュースの言葉を聞いていた。
『えっと……。先輩は引かない人かなって思うから、こっそり教えますけど、相手、女の子じゃなくって……。男の人なんです』
 ――男なら、俺でもいいじゃないか。いや、ちゃんと聞いておこう。どんな男、なんだろうか。まさか年下、それとも年上、同い年の同級生? ソイツはデュースを、幸せにできるような人だろうか。いや……デュースの見る目を疑うのも、良くないな。どんな人かと尋ねると、デュースはあっさりと教えてくれた。
『年は、ひとつ上で……、街歩いてたら、告られて。「前から気になってた」って、あんまりまっすぐ告白されるから、ついOKしちゃって』
 ……同い年。そうか、俺と……。……まっすぐな告白に流されるのなら、それよりも早く、俺が想いを告げていれば。いっそ、今……。いや、よそう。デュースは今、幸せそうにほほ笑んでいる。……崩したくない。愛らしい笑顔を。デュース自身が前向きな気持ちで掴んだ幸せを。
『相手は、優しいか?』
『はい! 会うとすごく、いつも優しくしてくれますよ。頭撫でたり、抱きしめてくれたりなんかして……。僕の、なんだか真面目そうなところが気に入ってくれたんだって。……ははっ。幻滅されないように、頑張らないとですね!』
 そうか。お前が幸せなら、良かった。そんな言葉を告げて、デュースの頭を撫でようとして、もう恋人ができたのなら気軽に触れるのも良くないと自分を制して、その場を立ち去ったのだと思う。思うだけなのは、よく、覚えていないからだ。何をどうやって、まともな顔をして、その場の動揺を誤魔化したのか。デュースはきっと気付いていない。俺は表情に出る方ではないから。デュースは、俺の表情を読むことができたのなら、とっくの昔に俺の気持ちには気付いていただろうから。淡い恋が終わりを告げるのと同時に、次の授業の始まりを告げる鐘の音が鳴り響いた。……行こう。俺は、いつまでもこの気持ちにかまってばかりはいられないのだから。ひとり、ただ悲しみに耐え、この想いがヴィンテージのように色褪せ風化し、美しい思い出になるまで、湖中に沈めた、鎖をかけた宝箱の中身のように、閉じ込めておけばいいんだ。

 そう、思って。ただの先輩に戻ろうと、胸を刺す想いを忘れようとする日々を過ごす中、案外俺の気持ちは一か月ほどが経っても薄れることのないままでいた。なんて未練たらしい、と自身に呆れていた頃、それは起きた。
 廊下ですれ違ったデュースの顔に、傷がついていた。傷の上から治療用のテープが貼られてはいるが、痛々しく腫れている。
「どうしたんだ? 怪我をしている」
「あっ、これは……なんでもないですっ! またドジやって転んで引っかけただけで、ホント、喧嘩とかじゃないんでっ! 心配いりませんっ!」
「……そうか。気を付けろ」
 そのときは、デュースがそう言うのならそうなのだろうと、深く触れずにいた。だが、デュースは最近、顔の一部を腫らすほど、大きな怪我をするようなことはしていただろうか。そんな違和感が募った。

 それから、デュースの顔に傷がつくことはなくなった。だが、どうにも、デュースの元気がないように見えた。いつもは腹いっぱい、頬いっぱいに頬張っているオムライスも、食欲がないと言ってグリムに残りを譲っていたり、陸上部の部活中も、まだ暑さが残る時期なのに、上着を着込んでいることが多かったり。
 なんだか妙だ。アイツと同じ一年生は何か知らないだろうかと耳をそばだてていると、エースとジャックの会話が聞こえてきた。
「……アイツさ、最近なんか変じゃね? デュース」
「ああ……。俺も気になってたところだ。最近のアイツからは時々、血の匂いがする」
「アイツ、ヤンキーだったんでしょ。また喧嘩とか悪いコトし始めたとか……?」
「アイツはそんな奴じゃない」
 思わず口を挟んだ俺に、エースとジャックはそれぞれ驚きの声をあげる。
「うわびっくりした! シルバー先輩!?」
「聞いてたんすか」
「ああ、聞いていた。俺も、デュースの様子がおかしいのは気になっていた。お前たち一年生なら何か知っているかと思ったが……」
「……分かんないでーす。アイツ、出かけてったと思ったら突然ケガ増やして帰ってきて、『ドジった』って言うだけだし。それ以上何も言わねえし!」
「最近、たまにアイツから血の匂いがするんすけど、何があったって問い詰めても、『お前には関係ない』って突っぱねられるだけで……。部室での着替えも、最近、一人でしかしようとしねえ。アイツ、確実に何か隠してると思うんすけど。それも、かなりのことを」
「そうか。……俺も、様子を見てみることにしよう。何か、良くない予感がする」
 お願いしますと口々に言われ、俺は頷く。どうやらデュースには、何か良くない異変が起きているようだ。

 後日。エースから、デュースが麓の街に出かけるという話を聞いたので、俺が尾行してみることになった。ジャックやエースなど、既にデュースのことを怪しんで接触した同級生だとデュースに訝しまれてしまうから、偶然そこにいただけ、という体で接せられる俺の立場はちょうどいいものであったらしい。
 このことのために少し席を外すことをセベクに伝えたとき、あっさりとセベクは了承した。セベクもどうやらデュースの様子が気にかかっていたらしい。お前の気が済むまで調べてこい、と言われた。親父殿は、俺たちの話を聞いているだけでも少々眉をひそめていた。……親父殿は何か気付かれていたのだろうか。ともかく、今はデュースに何が起きているのかを俺たちは知るべきだ。そうでなければ、デュースの手助けをしてやることも、信じて見守ってやることもできはしない。だから、何があっても見守るだけにするという約束で、俺が彼らを代表してデュースの様子を見てみることになった。

 デュースは人目を避けるように周囲を警戒しながら、路地裏の方へと歩いて行った。気配を悟られない距離を維持しながら、俺も着いていく。やがて辿り着いたのは、あばら家ともいえるようなボロボロの廃屋だった。
 デュースはそのあばら家の中へと入っていく。俺は、外から回り込んで、デュースの気配を探る。隙間の多い場所なので、身を隠すのが大変だが、逆に中の様子は簡単に観察できた。
 あばら家の中には、俺と同年代と思しき男がひとり佇んでいた。……彼は一体? デュースと、何の関係があるのだろうか?
 ――気配を殺し、成り行きを見守る。苛立ちを隠さない様子の男が、舌打ちをしながらデュースに不機嫌な声を浴びせた。
「遅い」
「……ごめん、今日はなんだか知り合いが多くて――」
 デュースはその男に近付いていこうとする。その瞬間、男は無防備なデュースの腹を殴った。
「なっ……!」
 思わず上げてしまいそうになった声を手で押さえる。下手に見つかってしまっては、元も子もない。元より、今日は何があっているのかを確かめるだけという約束だ。
「ぐっ……」
 デュースは腹を押さえて痛みに耐えている。そんなデュースに、男は近づいた。
「時間も守れないのは優等生のやることじゃない、そうだよな?」
「……」
 デュースは黙っている。……何故、だ? 俺は疑問を持った。なぜ、デュースはあの男からの攻撃を、防がないのだろうか? 俺たちは防衛魔法も一通り習っているはずだし、それに、何より、デュースはあの程度の攻撃が防げないほど弱い男ではない。なのに、何故? 何か事情があるのだろうかと、それを探るため観察を続ける。
「返事もできないのか?」
「なあ、――。僕は……」
 デュースが、男の名前を呼んだらしい。だが、俺にはよく聞き取れなかった。
「こんなの、やっぱり間違ってる。ダチも先輩も、みんな怪しんでるし、ずっと隠しきれない、だからもう……、痛っ!」
 男が、デュースの髪を乱暴に引っ張るようにして、口にぶつけるようなキスをした。……違う。そう見せかけて、舌を引っ張り出して噛んだんだ。それについても、デュースは何も言わない。
「つべこべ言うなよ。こんなこと、俺が誰のためにやってると思ってるんだ? なんのためなのか言ってみろよ、ほら」
「……それは……反省、のため……」
「誰のだ?」
「僕、の」
「そうだ。そもそも、俺を騙したお前が悪いんだろ? いい子のフリなんかしやがって。本当に、裏切られたのはどっちだ? 真面目な優等生に見えるお前が好きだったのに……なあ、この元ヤン野郎!!」
 男は激昂し、放り投げるようにして壁に叩きつけたデュースの腹をさらに踏みつける。アイツは、まさか、デュースの……恋人、なのか? ……ありえない。少しでも好意を向けた人に、こんな仕打ちをするなど。拳を強く強く握った。爪の先が食い込んで、血が滲みそうなほど。
「それは本当にごめん、隠してたのは悪かった、だけど……っ!」
「だけど、なんだ? 俺はお前の『お願い』をいくつも聞いてやっただろ? ダチに見つかるから顔はやめてくれ、部活で肌を出すから腕や足もやめてくれ。……それから、母さんにはこのことを言わないでくれ、だったか? これ以上、何を望むんだ?」
「……っ」
「母親に黙ってて欲しければ、俺のものでいるんだな」
 デュースは悲壮な顔で、何も言えず口をつぐむ。口をつぐんだデュースに、男はくちづけ、身体をまさぐり始める。
「そうだ。お前はそうやって、何も言わず従順ないい子でいるときが、いちばん可愛くて、まともなんだ。ああ、いいな。真面目で大人しいお前が好きだよ、デュース。愛してる」
「……っ」
 ――吐息を飲み下しながら男の下劣な行為に耐えるデュースに、俺は、すべてを理解した。あの男は、デュースが少し前に作ったと言っていた、恋人……なのだろう、恐らく。信じたくはないが……。それで、デュースの過去を知って、幻滅したと見える。そこまでは、仕方のないことだとも言えるかもしれない。隠していた過去にショックを受けるのは、当然のことだ。だが、そこからだ。
 そこから、怒りを持ってデュースへと乱暴に触れ、あまつさえ母親のことを持ち出して脅し、デュースを縛り付けて狼藉を働くのは、どう考えてもやり過ぎだ。思い描くデュースの姿が己の理想と違ったのなら、ただ、平和裏に別れ話でも切り出せばいいのに、あの男はそうしない。
 それはなぜか。デュースに歪な執着があるからだ。自分の理想を壊されたことへの復讐心ともいえる。しかし、それは健全な精神に宿るものではない。そんな不健全な男に、デュースを預けてはいられない。何よりも、この目の前の光景をそのままにしていたくはない。
 俺は、何があってもヘタなことしないで、今はただ様子を見るだけにしてきてよ、と言うエースたちとの約束も忘れて、その男を壁へと蹴り飛ばした。
「テメェ、誰だ! 何しやがる!」
「何をする、だと? お前こそ、俺の大事な後輩に、何をする」
「……シルバー先輩!?」
 驚いた顔を見せるデュースに横目で逃げろと合図を送る。しかし、その瞬間に男は叫んだ。
「はっ、なるほど……王子様のご登場ってワケか。でも、なあ、いいのか? デュース。ここで俺から逃げたらどうなるか、分かってるんだよなァ!?」
「……っ!」
 デュースは顔を青くする。一体、この男との間に何があったんだ? 今、目の前で見た光景以上の酷いことが、まだあるというのだろうか。……それは、許せないな。
「……先輩、来てくれてありがとうございます、でも、今日はいったん、帰ってください。ちゃんと、あとで話すから」
「そういうわけには……」
 放っておけばデュースが酷い目に遭うような、こんな所に置いてはいけない。俺が渋っていると、デュースは俺に縋りつくように耳打ちした。
「……お願い、だから。中途半端に手を出されると、もっと酷い目に遭わされるんだ。……アイツ、僕の恥ずかしい写真を持ってて、このことを誰かに言えば、それをマジカメにあげるって……。……お願いだ。母さんにだけは、バレたくないんだ、こんなこと。だから、僕を思うなら、今は、邪魔しないで、ください」
 震える声で告げられたそれに、俺は言葉を失う。その隙をついて、男があばら家の地面を掻き砂煙をあげた。砂煙に目が眩んだ一瞬の隙に、デュースと男は消えていた。……そう遠くへは行っていないはずだ、どこへ行った?
「デュース!! どこだ、どこにいる!!」
 呼ぶ声も虚しく、ただ、あたりには静寂が響くばかりだ。今すぐに街中を片っ端から探そうと躍起になりかけたが、頬を張って気を落ち着け、ふうと息を吐く。
 ……俺は、デュースを探しながら、次善の策を取ることにした。

 まず、麓の街に常駐している警察官に事情を説明し、男とデュースの人相を伝える。また、デュースのこれから遭うだろう被害についても、迅速な対応を頼んだ。マジカメについては俺は詳しくないところだが、デジタル犯罪の対策班とやらが対応してくれるそうだ。これについては、その道のプロフェッショナルを信じて任せよう。
 警察の対応は真摯で、俺の話を真面目に聞いて少人数ながらも臨時の対策班を作ってくれた。加害者でも被害者でも、人を探すのなら、人手は多い方がいい。
 俺はデュースの捜索に加わり、あちらこちらを探す。中々見つからないことへの苛立ちや焦りは募ったが、事態をこのままにして手ぶらで帰る気はさらさらなかった。
 デュースを探し始めてから三時間が経った頃、俺はデュースを見つけた。デュースがいたのは、ゴミ捨て場のゴミの山の中。ゴミ袋の山に埋もれるようにして、デュースはそこにいた。
「……いた!! 被害者を発見した!!」
 近くにいた警察官にデュースの発見を伝えながら、俺は彼に駆け寄る。上着を脱いで、デュースの体にかけてやった。デュースの服は、様々な場所が隠れきれないほど、ビリビリに破かれていて、泥や血にまみれていたから。
「デュース……、デュース、無事なのか? 息はあるか?」
 デュースはゆっくりと目を開け、口を開いた。
「……へん、ぱい?」
 どうやら口の中にも傷があるようで、上手く喋れない様子だ。
「いいんだ、何も喋るな。……俺がお前を助ける」
「………………」
 俺の手はデュースを抱き起こそうとする。しかしデュースはそれを制して、言った。
「助けなくて、大丈夫です。僕は、まだやれるから」
「何を言ってる、そんなボロボロの姿になって……!!」
 デュースは俺の手を握って、言う。
「信じて、やりたいんです。アイツも、今はああだけど、ちゃんと、僕がやれたら、更生するかもしれないって」
 シルバー先輩が僕にそう信じてくれたように、とデュースは続ける。
「それに、最初はほんとに、優しかったんだ。裏切ったのは僕なんだから、怒るのは当然だ。今はちょっと、落ち着いてないだけで、こんな、大ごとにすることじゃない」
 俺の背後に駆けつけた警察官たちを見たのか、デュースは言う。
「……それも、アイツに言わされているのか」
「僕の意思です」
「そうか、お前の……」
 かつて俺がデュースに告げたように、奴の更生を信じてやりたいとデュースは言う。だが、俺の考えは違った。
 確かに、奴にも更生の機会は与えられるべきなのだろう。だが、それは、きっとデュースの傍で行われるべきことでは無い。誰かが無理やりにでも、二人を引き剥がす必要がある。それはきっと、俺の役目だ。俺が言ったことが原因の一端であるならば、なおさら責任を取らなくてはならない。
「なあ、デュース」
「なん、ですか」
「アイツと別れて、俺のものになれと言ったら、お前はどうする?」
「え?」
 デュースはきょとんと目を丸くする。……そうだろうな。
「無理、ですよ」
「脅されているからか? それとも、写真の件か? それならば、既に警察に対応を頼んだ。母君に届く前には処理が成されるだろう。それでも、まだ何か心残りはあるか?」
「……でも。アイツのこと、今、見捨てたら……、アイツ、ひとりぼっちに……」
 ……ああ。デュースは、奴を昔の自分と重ねているのだろう。それで、関係を断つことができないのか。やはり、この二人は……一度、引き剥がさなくては、話が始まらない。
「……ならば俺も言い方を変えよう。今回のことは、お前の心情を慮り、学友や母君には濁したことしか言わないつもりだったが――彼らにも、すべてを子細に報告する。彼らにとっては突然現れた見知らぬ男よりも、俺の言葉の方が信憑性が高いだろう」
 デュースの目がかっと開かれる。半ば俺に掴みかかるかのようにデュースは悲痛な面持ちで叫ぶ。
「そんな、なんで……!」
「言わないこともできるが、条件がある」
「じょう、けん? ……なんですか」
 デュースとあの男は一度、引き裂かれねばならない。いつか二人、健全な関係をやり直すにしても、だ。この不健全な両者の執着からは、距離を置かせた方がいい。だから。一度、別れさせねばならない。
「先ほど言った通りだ。母君に黙っていて欲しければ、俺のものになれ。……アイツを捨てて。そうすれば、お前は問題なく学園生活を送っていると誰にも報告しよう」
 ――もう、コイツに悪い夢は見せない。俺が、最低最悪の悪役(ヴィラン)になってでも。

 デュースは固く唇を噛んで俯き、分かりました、と答えた。背後の警察官たちが、加害者の方も確保したという報告を受ける声が聞こえた。その言葉に、デュースはとうとう肩の力を抜いた。それは安堵か、諦めか。
 デュースを抱え上げ、傷の様子を確認する。身体中、口も、身体も、すべてが犯し侵されたのだろう。……見える場所も見えない場所もすべて傷だらけだ、なんて痛ましい。
「デュース。あの男の更生は、素人である俺たちの手には負えない範囲まで達している。一度、然るべき機関に身柄を預かってもらうべきだ」
「……結局、僕じゃダメだったんですね」
「……相性が、悪かったのだろう。お前の力不足では無い」
 それから、俺はデュースを病院へと運んだ。検査着でベッドに寝かされているデュースへ着替えを買っていくと、ありがとうございます、と無機質な返事が返った。
「……あの。先輩のものになるって、僕、何をしたらいいんですか」
「しばらくは、そのまま傷を治せばいい。お前に何をしてもらうかは、その間に考える」
「分かり、ました」
 病室の中を、沈黙だけが支配する。
「あの、このこと。本当に黙っててくれるんですか」
「……警察沙汰になった以上、すべてを隠し通せはしないだろうが、学友たちに聞かれるだろう被害に関しては『危ないところだったが、捜索の甲斐あって、間一髪のところで免れた』と告げるつもりだ。傷に関しては、見える部分の言い訳だけ考えればいい。逃げる際にヘマをやった、とでも」
「その、母さんには……」
「……母君にも、警察から連絡が行くだろうが……同じように、心配いらないと告げる。お前が不安ならば、立ち会いの元、そうした旨の連絡を取っても構わない」
「分かりました、ありがとうございます」
「……礼を言うようなことじゃない」
 本当にそうだ。その通りだ。なぜなら、俺は今、あの男と同じようにデュースを脅していることに他ならないのだから。……それがデュースのためだとしても、相手の心に負担をかける、悪事は悪事だ。
「学園まで戻る際は、送っていく」
「……はい」
「今は、少し休め。……ああ、俺がいると休まらないか」
 病室を後にし、ふうとため息をついて、身体を壁につけながらしゃがみこむ。
「……どうしてもっとうまくやってやれないんだ」
 そんな言葉は、廊下の静寂(しじま)に飲み込まれた。
 
 *

 ――あれから。身体の傷は、すっかり治った。シルバー先輩を撒いたあと、隠れ家に連れ込まれて、散々殴って縛って犯して破いて好き放題やられたけど、案外身体の傷は治るもんだ。ああ、いや。すぐに病院に連れ込まれたお陰、なのかもな。お医者さんたちは悲しそうな顔してた。
 シルバー先輩は、難しい顔をしてた。でも、そろそろ傷が治ったってことをあの人に報告しなきゃいけない。僕に何かをさせるのなら、そろそろいいですよ、って言わなきゃ。
 だって、今の生活は静かなものだ。シルバー先輩は約束通りダチにはうまく誤魔化していてくれたみたいで、ジャックやエースには『今回は大変だったな』って言葉をかけられるくらいで済んだ。エースがそんなに大人しいのは逆に違和感もあったけどな。それをからかったら、すぐにいつも通りの態度になった。母さんからも、警察から電話が来たって驚いた電話がかかってきたけど、シルバー先輩が警察の人たちにも事情を説明してくれていたみたいで、大きな被害はないから大丈夫だってことになっているみたいだ。
 そして、アイツ。僕の元恋人。アイツは、警察に連れられて、しばらく更生機関みたいなところに通うことになったらしい。僕との面会を禁じられているそうで、僕の方にも、連絡が来てもその機関からの許可が出るまで会わないようにって通達がされた。
 静かな、元通りの日常だ。もう、突然呼び出されることも、殴られることも、無理やり犯されることも、脅されることもない。
 でも、この日常は、シルバー先輩のものになることと引き換えに手に入れたものだ。だから、そろそろ先輩に対価を払わなきゃいけない。
 そう思って、シルバー先輩に告げた。
「身体の傷、だいたい治ってきました」
「腹いっぱいに食事が取れるくらいにはなったか?」
「はい。お陰さまで。だから……そろそろ、いいかと思って」
 シルバー先輩は不思議そうに僕を見る。なんだよ、アンタが言い出したことだろ。
「あのときの話ですよ。僕がシルバー先輩のものになる、って。僕なんかに、何を望んでいるのか知らないけど……。なんでもします。言いつけてください」
 そう言うと、なぜかシルバー先輩は少し悲しそうに目を伏せた。
「そう、だな。ならば……頼みたいことがある」
 ゴクリ、と唾を飲んだ。アイツ……元カレ、って言えばいいのか? アイツの望みは、暴力とセックスだった。それで、シルバー先輩は、何を。
「荷物持ちを頼んでもいいだろうか」
「……えっ?」
 思わず呆気にとられる。聞き返すと、シルバー先輩は補足をつけた。
「今度、麓の街へ買い出しに行く。だから、そのとき、俺についてきて、荷物を運ぶのを手伝ってほしい」
「そ、そんなことでいいんですか?」
 そんなこと、脅されてなくたって別に、先輩に頼まれれば、やるのに。
「今はそれくらいしか用事がない」
 あ、そっか。そう、なのか。しばらくは雑用を手伝えってことなのかもしれない。そう納得して、僕はシルバー先輩の言う通りにすることにした。
「分かりました、荷物持ちですね。任せてください」

 次の休日。シルバー先輩と麓の街へ買い出しに出る。が、僕の思っていた感じとは違った。わざわざ取引するくらいだから、全部の荷物や重たいものを持たされるかと思っていたら、シルバー先輩は重たいものは鍛錬になるからと言って自分で持つし、ある程度歩いたら疲れていないか、休憩を挟もうと言ってカフェに入り、飲み物を奢ってくれたりした。なんなら、僕が欲しいと思ったものを今日の礼だと言って一緒に買ってくれたりして。
 ……これじゃ、普通に手伝いに来たのと何も変わらないどころか、僕の方がいい思いをしてるレベルだ。
 その日一日中そんな感じだったから、僕は、逆に不安になった。僕は、母さんのことを引き合いに出されているんだ。こんなのじゃ足りなかったなんて後から言われたら、どうしようもない。だから、荷物を先輩の部屋に運んだあとで、その場でシルバー先輩に食い下がった。
「あの、もっと頼みたいことってないんですか。こんな、普通のことじゃなくって……」
「そう言われても……俺は、基本的に自分のことは自分でこなしている。お前に頼みたいことはさほどない。お前はただ、警察に言われた通りにして、奴には会わず、いつも通りの暮らしを送っていればいい」
「……」
「何か、不満なのか?」
 シルバー先輩の言葉に、僕は答える。
「不満、っていうか、不安……なんですよ。この程度のことこなしたくらいで、本当に約束を守ってもらえるのか、って。もっと、なんていうか、秘密の重さに釣り合うようなことじゃなくて、このままでいいのかって……!!」
「デュース、不安になる必要はない。俺は、お前との約束を違える気はない」
 先輩が僕の頬に手を伸ばしてくる。だけど、僕はそれを叩き落とした。
「先輩には、分からないですよ! 僕が、どれだけ不安なのかって……!! 『俺のものになれ』って言う割に、召使みたいに扱うわけでもないし、身体を求めてくるわけでもない!! 一体、アンタは何がしたいんだ!? 全然分からない、僕はどうしたら……っ」
「……デュース」
 シルバー先輩は、僕の身体を抱き寄せた。
「すまない。俺の言動が、不安にさせてしまっていたな。俺はただ、お前を救いたかっただけなんだ」
「え……?」
 救いたかった? どういう、ことだ? 混乱する僕を置いて、先輩の言葉は次々と発される。
「……元より、長く続けようと思っていた取引ではない。だから、俺とのことでお前の不安が消えないというのならば――こうしよう」
 シルバー先輩は、大きく息を呑んで、ふうと何かを覚悟するように言った。
「取引は終わりだ、デュース。お前はもう、俺のものにならなくていい。ただ、最後に一度だけ……お前のことを、抱いてもかまわないか?」
「それ、は……」
「これは取引ではない、ただのお願いだ。断ってもかまわない。それでも、俺は約束を違える気はない」
「……いえ。僕の、身体で良ければ。好きに使ってください」
「……分かった。それで、お前が安心を得るのなら」
 それから、僕はシルバー先輩に抱かれた。と言っても、アイツのとは何もかもが違った……わけでもない。最初の頃は、アイツも優しくキスして撫でてくれたりしていた。シルバー先輩のも、それとよく似ていた。ただひとつ違うのは、唇にはキスをされなかった。口の端や頬など、近い場所にはされたけど。それから、肌を撫でる指が、とても優しかった。それはまるで、どこかに傷が残っていないかと確かめるような動きで。
 その上、先輩は途中、挿れる前に、『もし気持ちが辛い、痛みがある、抵抗があるというのなら、この先は無理にしなくてもいい』とまで言った。僕は、大丈夫だから最後までヤっていいと言った。先輩とアイツが違ったのは、最後まで好きだとかは一言も言わなかったことだ。……先輩は、ずっと、『痛くないか』『平気か』『大丈夫か』と僕の身体を気遣うような言葉以外は、愛の言葉みたいなものはささやかず、黙って僕を抱いていた。……分からない。この人は、僕をものにして、何がしたかったんだろう。救うって、一体何からだろう。先輩のことが、全然分からない。

 デュースを抱いた。これで俺たちは、ただの先輩と後輩に戻る。抱いたあとに、デュースに尋ねられた。
「なんで僕を抱こうと思ったんですか」
「……さあな」
 俺は、言葉を濁す。本当は目的があった。だが、それを言ってしまっては、きっとこれからのデュースの往く道の、妨げになると思って。

 眠っていいかと尋ねるデュースに許可を出したあと、寝息を立てたデュースの前髪に、ようやくそっと触れ、撫でることができた。

(……次の機会には、優しい人と結ばれるといい。そのときに、こうした睦みごとを、痛みと恐怖だけを与えられる、恐ろしいだけのものだと、思わなければいい。そのために、優しく、愛してやりたかった)

 穏やかな顔で眠るデュースの額に、触れるか触れない程度の距離でキスをした。

「次はちゃんと、幸せになれ。それが、どこの誰とであろうとも」

 目を閉じたままのデュースはきっと、この震える俺の声を知らない。落とした一粒の涙も知らない。それで良い。これから幸せに、なってくれるのならば。

 ――デュースの隣で、彼に背を向けて逃げるように眠った俺は、彼が背後でうっすらと目を開けていたことをまだ知らなかった。

『次はちゃんと、幸せになれ。それが、どこの誰とであろうとも』

 祈るような言葉と共に、おでこに落とされたキスと、一粒の涙。それはとても、優しかった。僕に、すべてを理解させるほどに。
 シルバー先輩は、始めからずっと、ただ、僕を救いたいと言っていた。
 僕はそれが、分からずにいた。どうして僕が救われなきゃならないのか。僕は助ける側だ。ひとりぼっちになってしまうアイツを。なのにどうして、助ける側が助けられなきゃならない。ずっとそう、頑固に思っていたから。
 でも。本当は分かっていた。限界だったんだ。腹を殴られるから、吐き気がして、食事もろくに取れなくて。口の中や舌が切れていたから、食べ物を噛むのも痛くって。満足に食えず腹が減ったまま部活や授業に出てたから、もうヘトヘトで。痛みと空腹で、寝付くのもうまく行かなくて。
 限界だった。それでも、見捨てられなかった。憧れの先輩のように、いつか信じてくれた警察官のように、どんな奴でも更生するんだと信じてやりたかったから。でも、ダメだった。僕は、ダメだった。
 僕はアイツとは引き離されて、僕じゃない他の人がアイツをまともにする仕事を担うことになった。
 ……好きだったのに。向こうから告白してきたとはいえ、ちょっとは好きだったのに。僕が、僕のせいで裏切って傷つけた分くらい、どうにかしてやりたいって思うくらいには、ちゃんと好きだったのに。
 だから、僕はまるで、自分には何の力もなく、価値がないように感じた。だから、シルバー先輩に今度は執着した。僕を利用してくれ、僕に価値を見出してくれ、って。
 だけど先輩は、ただ、当たり前のことや、ちょっとした頼みごとしかしなかった。それはまるで、何事もなかった先輩と後輩に戻ったかのようなことしか。だから焦って、先輩に迫った。先輩は、それでお前が満足するのなら、と、僕を抱くことに決めた。
 先輩は僕の身体を目的にしているような節はなかったから、不思議に思った。だけど、分かった。抱かれてから、関係が全部終わってしまってから、ようやく気付いた。ひょっとして、この人は、僕をただ愛してくれていただけだったんじゃないか、って。
 もし、先輩が僕のことを好きなら、好きな人が暴力ふるわれたりしてるのを、ただ見ていられる人じゃないから、だから助けてくれたんじゃないかって。そうでないとしても、ただの後輩として見られていたとしても、どんなことをしてでも助ける、安心させてやるって、思ってたから、こんなことまでしてくれたんじゃないのか、って。
 今さらになって、気付いた。気付かないうちに、暖かな愛情に包まれていたことに。
 気付いたからって、どうしたらいいんだ、こんなの。……僕は、今、誰にどんな気持ちを持てばいい。先輩と背中合わせになったベッドの中で、ひとり、悩み続けた。悩み続けて、そして、夜が明ける頃には――ひとつの結論を出した。

 僕にはもう、きっと、どっちを選ぶにせよ、幸せな道は残されてないってことを。

 元通り、ただの先輩と後輩に戻った日々のあと、また、デュースの目元が赤いのを見つけた。俺は慌てて、デュースの手首を掴んで捕まえ、近くの空き教室に連れ込んだ。
「どうしたんだ、今度は何があった!?」
 デュースは、俺の顔を見て、自嘲的な笑みを浮かべた。
「……鈍感」
 デュースから、吐き捨てるように言葉を投げつけられ、半ば引っ張るように勢い良くキスをされる。俺は、混乱した。何故、向こうからそんなことをしてくるのか、分からなかったから。
「みっともなくピーピー泣き喚いてたんだ。今更もう、アンタのものには戻れないから」
 その言葉に、俺は疑問を覚えた。
「……戻りたい、のか? あんな立場に?」
「アンタからしたら、そうかもしれないな。けど、でも、アンタの腕の中は、……案外居心地が良かったんだ」
 今更気付いたって、もう遅いけどな、とデュースは立ち去ろうとする。
 俺は、離れて行こうとするデュースを捕まえて、抱きしめた。今、デュースを手放せば、もう二度と捉えられはしないと思ったから。
「え、なんで」
「なあ。もし、お前にその気がないのなら、これは戯れ言だと思ってくれていい。だが、聞いてくれ。俺たち、やり直さないか。はじめから」
「……」
 デュースは答えず、ただ、黙って聞いている。
「どうしてこんな単純なことを今まで言えなかったのか、不思議でならないが……。俺は、ただ、お前が好きで、幸せにしたかっただけなんだ、デュース。お前の笑顔を、取り戻したかった。そのために、なんでもした。なんでも、だ。だから、今、今度は俺がお前の笑顔を奪っているというのなら、……やり直したい。新しく、一から、大切に想い合う関係を築きたい」
「……そんな……」
「ダメ、だろうか」
「……いいん、ですか。だって、僕は、もう、綺麗な身体でもなくって……」
「お前がいい」
「……先輩」
「ああ」
「シルバー先輩……っ!!」
 震える声で胸に飛び込むデュースをぎゅっと抱きしめた。ハッキリした答えなど、今はなくてもいい。こうすることで、デュースの気が済むのなら。だが、デュースの思いは俺のそれとは違ったらしい。
「僕、僕……っ。今さら、先輩のこと、好きになっていいんですか……っ!? だって、まだ、ぐちゃぐちゃで……っ、未だにアイツのことも気になってて……、それでも、先輩のことも、放っておけなくって……っ!!」
「そのままでいい。ぐちゃぐちゃなままなら、俺とひとつずつ、整理していこう。……俺にチャンスをくれ、デュース。再びお前を、笑顔にできるチャンスを」
 下手だろうがデュースに安堵を与えたいとほほ笑んでみせると、デュースはとうとう涙を流し始めた。ああ、辛かったのだろう。あらゆる想いを、たくさん溜め込んでいたのだろう。少しずつでいい。少しずつ、一歩ずつ。笑顔を取り戻させてやりたい。いつかあの男と、どのような形にせよ再会するにしても、だ。それまでに、笑えるようにはしてやりたい。せぐり上げるデュースの背を、ずっと、ずっと撫でていた。

 泣き疲れて眠ったデュースをハーツラビュル寮に送り届けると、リドルに睨まれた。
「最近デュースを泣かせていたのはキミかい?」
「……話せない事情があった。これからは俺が必ず笑わせてやる、約束する」
 俺がそう答えると、リドルは溜め息をついて、デュースの部屋へと案内してくれた。部屋にはエースだけがいた。
「シルバー先輩。……大丈夫なの?」
「ああ。お前にも、迷惑をかけたな」
 エースやジャックには、俺から事前に説明をしてある。デュースを救うためには、俺のものになれという他なかったが、デュースに手荒な真似をするつもりはない。ただ、お前たちは、デュースには何事もなかったように接してやってほしい、と頭を下げて頼み込んだ。二人はそれを慌てるように快諾し、他の友人たちにも根回しをしてくれた。エースからは冗談めかして対価にと学食のドリンクをねだられたが、安いものだとそれくらいは買ってやったら、逆に恐縮されたくらいだ。ちなみに、母君にも同じように頭を下げた。デュースには、何も知らない体で接してやってくれ、と。皆、律儀に約束を守ってくれているようだ。……アイツは、愛されているな。今度はきっと、俺が大事にして、守ってやらなければ。
「今日はしばらく、寝かせてやってほしい。きっともう、コイツは大丈夫になっていくから」
 りょーかい、とエースが返事をするのを聞いて、ハーツラビュル寮を後にした。

 それから、後日。昼下がりの中庭で、デュースを見つける。
「あ、シルバー先輩……」
「……デュース」
 まだ気まずそうに顔を逸らすデュースの頭をぽんと撫で、午後も頑張れ、と一言励ました。デュースは何を恐れているのか、きょろきょろとまわりを見回してから、へへ、と嬉しそうに笑う。……もっと、こんな顔を増やせるように。何をも恐れず、堂々と喜ばせられるように。確かな安心を与えてやれるように。強くなろう。努力していこう。これからも、ずっと。
「あ、あの。……ちょっとだけ、お願いしてもいいですか?」
「どうした?」
「……キス、してくれたりしません? その、なんか、……今日は、淋しくて」
「ふっ、仕方ないな。少しだけだぞ」
 案外、その日は遠くないのかもしれないと、デュースにくちづけを与えながら、今はただそう思うのだった。

*おしまい

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