恋愛脳 - 1/6

・期間限定イベント「星送り」の内容を含みます

 

 ――何故、こんなにも鼓動が逸るのだろう。お前のことを、ひととき目に入れる、ただそれだけのことで。

 眩しい日差しの中、運動場の地面を蹴って走るソイツは、俺の目を捉えて離さない。頬や首筋に光る汗、風にそよぐタンクトップ、何よりも楽しそうなその笑顔。彼のスニーカーはゴールラインを過ぎる度、踵を返して時計係に何秒だったと尋ねることを繰り返している。
「また見ているのか?」
 ぎくりと身体が硬直した。背後からした声は、同じ馬術部に所属する後輩であり、また剣技の弟弟子でもあるセベクのものだ。セベクは呆れ気味に溜め息をつくと、俺の隣に来て水分補給を始めた。今、俺たちの所属する馬術部は一通りの練習を終え、いったん馬を休ませるための休憩中だ。その休憩の最中、俺はよくデュースのことを見ていた。いや、見るようになった。
 少し前に星送りという学校行事があったのだが、あのときに話して以来、デュースのことが気になるようになったのだ。それは別に誰に言うでもないことだったのだが、また、とわざわざつけているあたり、どうやらセベクにはバレてしまっているらしい。
「……何のことだ」
「しらばっくれても無駄だ。何故アイツがそんなに気になる」
「それは……」
 あの星の夜からずっと、目を奪われたまま、デュースのことがやけに気になる。何故なのか、自分でもよく分かっていない。そんな気持ちをセベクに答えようとしたとき、おいあれ、とセベクが俺たちの視線の先を指した。そこには、おーい、と言いながら手を振って走ってくるデュースがいた。デュースはまっすぐにこちらへ走ってきて、息を切らしながら俺の目の前で立ち止まる。な、何故だ? もしや、いつも見ているのが知られてしまったのだろうか。
「シルバー先輩! さっき、僕のこと見てましたよね!?」
「あ、ああ、ええと……」
 何か弁解をしなければならないが、うまく口が動かない。だが、俺が何か答える間もなく、デュースは俺の右手を両手で握った。ドキリと心臓が音を立てた気がする。デュースやセベクに聞こえていなければいいが。
「さっき、タイム更新できたんですよ!! 記録的な瞬間だから、誰かに見ててほしくって、そしたらジャックから、ちょうどシルバー先輩が見てたぞって聞いて、すっ飛んできたんです! 先輩、ちょっとこの喜びを分かち合ってもらっていいですか!? はい、タッチ!!」
 デュースは取った俺の手を上げさせると、ぱちん、と音を立てて右手と右手をぶつけ、ハイタッチをする。俺が「記録更新、おめでとう」と呟くと「ははっ、ありがとうございます!」と言い残し、ついでとばかりに隣にいたセベクにも同じことをせがむと、満足そうに帰っていった。……今のは、なんだったんだ? 勝手に見ていたことへの不満ではないことだけは分かったが。
「なんなんだ、アイツは」
 セベクの声に、ハッと我に返る。そうして、先ほど合わせられた手を眺めた。摩擦の影響なのか、手のひらが熱い。たった今さっきまで、目の前で、楽しそうに笑っていたデュースの顔が目に焼き付いて離れない。まだ中心が熱く、むずがゆい感覚さえ残る手のひらを握りしめ、この感情はいったいなんだろうかと隣にいるセベクに尋ねようとする。すると、既にセベクは俺に背中を見せて歩き出していた。
「セベク、待ってくれ。聞きたいことがある」
「僕は付き合ってられん。一人で鏡にでも尋ねてみろ。そこに映るお前の顔が答えだ」
 セベクはスタスタと歩き去ってしまった。何もそんなに邪険にすることはないと思うのだが、アイツも忙しいのだろう。俺は再び、自分の感情への思索に更けり始めた。……が、すぐに体力を回復したらしい馬たちがたくさん集まってきて、集中することは叶わなかった。

 数日後。今度は運動場でなく、屋内でデュースと会う機会があった。デュースは図書館にいた。本棚の合間に立つデュースは何やら難しい顔で、整頓された本の羅列と睨めっこをしている。何か、勉学のことで悩んでいるのだろうか。それなら力になりたい。俺で出来ることならば、今すぐに。デュース、と背中から声をかける。するとデュースは驚いて飛び退く。
「シ、シルバー先輩!? ……うわっ!」
 思わず転びそうになるデュースの腕を掴み、身体全体で受け止める。ドキリと鼓動が跳ねた。まただ。また、鼓動が跳ねた。掴んだ腕が熱いこと、大きな鼓動の音が知られてしまわないように、すぐにデュースを身から離す。
「驚かせてすまない。何か悩んでいるのなら、力になりたいと思って声をかけた」
「そ、そうだったんですね! ありがとうございます。実は、授業で分からないところがあったんですけど、図書室まで調べに来たものの、どの参考書がいいかも分からなくて……」
「……そうか。俺も、授業で眠ってしまった分の調べ物をしに来ていたところだった。情けないことだが、去年も同じことをしていたから、分かりやすいものをお前に教えられるだろう」
 昨年参考にした数冊の参考書をデュースへと押し付け、それじゃあ俺はこれで、と足早に図書室を去る。デュースがありがとうございます、と嬉しそうにしているのを目の端に捉えて、図書室の扉を閉じた。扉を閉じた先の廊下で、窓を見た。
 ……何故、こんなにも俺の頬は染まっている。これではまるで……。
 跳ねる鼓動が、触れた指先が、腕が、落ち着かない。せめて誰にも見られないようにと腕で顔を隠すことしかできなかった。

 さらに後日。また、今度は屋外でデュースに会った。デュースには、眩しい晴天の日差しがよく似合うと思う。デュースは走って火照った顔を冷ましたいのか、水道でばしゃばしゃと顔を洗っている。近づいてみると、傍に立つ俺にも水がかかった。
「わ、シルバー先輩! すいません、水かけちゃって……」
 まだ水に濡れたままの髪をかきあげながら、デュースは慌てて謝ってくる。さて、どうしたものか。ふと、いたずら心が湧いた。少し前に、一年生たちが花壇の水やりでも頼まれたのか、水魔法や水の流れるホースを使いながら、水遊びしているのを見かけたことがある。それを窓から見ていた俺は、少しだけ羨ましかった。デュースと、無邪気に戯れられる一年生たちが。だから、こうした。
「問題ない。……かけ返すからな」
 少量の水を魔法で召喚し、手で作った水鉄砲でぴしゃりと軽くデュースに水をかけ返す。既に濡れているから無意味なことではあるが、デュースはぽかんとして大きな目を丸くしたあと、楽しそうに笑った。
「ふふ……ははっ! 懐かしいなあ、水鉄砲! 先輩って、意外にお茶目なんですね!」
「そうだろうか」
「そうですよ! あ、でも悪いってわけじゃなくて、なんていうか、そういうとこが親しみやすいっていうか……」
 まだ濡れっぱなしのデュースに置いてあったタオルを差し出すと、ありがとうございます、と受け取ってくれる。あまり水遊びをしてびしょぬれにしてしまっては、俺もデュースもリドルに怒られてしまうだろう。
「親しみやすいと思ってくれているのなら、嬉しい。お前とは親しくなりたい」
 そこまで言葉にして、戸惑った。そんな風に言うつもりはなかったのだが。これでは、まるで俺が特別な気持ちでデュースに接しているみたいじゃないか。しかし、デュースには気にした様子がない。
「そうなんですか? 嬉しいです! 僕にとっても、シルバー先輩は憧れの先輩なので!」
「憧れ? ……俺が?」
「はい。シルバー先輩みたいな、渋くて格好いい先輩になりたいなって……ちょっと、本人の前で言うのは恥ずかしいですけど。でも、そうなんです!」
 デュースは照れながらはにかみ笑う。嬉しい。俺のことを、憧れの人だと言ってくれる。デュースから、普通よりも特別な好意を寄せられている。そのことを噛みしめるだけで、胸の辺りがぽかぽかと暖かく、またむずがゆくさえなる気持ちになった。これは、この気持ちは一体なんだろう。きっと悪いものではない。だけどまだ、答えを出さなくてもいいのかもしれない。
「そうか」
「はい……ってうわ! ちょ、ちょっと先輩、もう! 自分で拭けますって……!」
 デュースの頭にかかったタオルをゴシゴシと拭くように撫でる。けして顔を見るのが恥ずかしかったわけではない、いつまでも濡れていては風邪を引いてしまうからだと自分に言い訳をした。

 そんな些細な戯れを繰り返す中で、俺の中にある気持ちはだんだんと確信に近づいていた。このまま、何事もなく、こうして時折戯れられるような、穏やかな時が続けばいい。そんなある日のことだった。デュースはいつも通り食堂で、よく一緒にいる面子……監督生やエース、グリムと共に食事を取っていた。デュースはまたオムライスを食べているのか。本当に、卵を使った料理が好きなのだな。近くの席で食事を取れば、彼らの会話が自然と耳に入ってくる。
「……でさあ、デュースは?」
「僕? 僕がなんだ?」
「教えなよ、お前の好きなタイプも!」
 どうやら今日の彼らの話題は、恋の話題のようだ。強く意識して聞いているわけではなかったが、自然と耳がそばだつ。願わくば、デュースの好きなタイプ……デュースという男が、好意を持つような人物像を知りたい。少しでも俺がそれに当てはまっていればいい。けれど、そんな俺の願望は続くデュースの言葉にあっさりと打ち砕かれた。
「そうだな……。なんていうか、ふわふわしてて、背もそんな高くなくて、つい、守りたくなる感じの子とか……?」
「あ~ハイハイ! 薄ピンクのシフォンワンピが似合っちゃう感じの子、みたいな?」
「まあ、そんな感じだ」
 悲しい。ぎゅっと締め付けるような気持ちが、胸につかえた。無意識に彼らの話題をこれ以上耳に入れることを拒んでいるのか、自然と食事を口に運ぶ速度は早くなり、席を立つ。席を立って、逃げるように食堂を出ていった。悲しい。裂くような切なさが胸を締め付ける。どうして俺の心はこんなにも、悲鳴を上げているのだろう。デュースの好みは、可愛らしく、守りたくなるような女性だった。ただそれだけのことで。……デュースが隣に立ちたいと思い描くのは、俺とは何もかも違う、可愛らしい女性なのだろう。たったそれだけのことで。
 暗い気持ちを振り切ろうとあてもなく廊下を歩き続けていると、やがて目の前に立つ大きな人影に気付いた。この特徴的な影は……。
「シルバー? どうした、暗い顔をして」
「……マレウス様」
 目の前に立っていたのは、幼き頃より何かと世話になっており、心から敬愛する我が主君でもあるマレウス様だった。出来れば、今は顔を見られたくはなかったが、出会ってしまったものは仕方ない。
「すみません……心が乱れているようです。すぐに鎮めます」
「ふむ。……お前が心を乱すとは珍しいな。何があった?」
「それ、は……」
「………………」
 マレウス様はじっと俺の言葉を待つ。俺は昔から、この無言の圧には弱く、結局すべてを話すことになってしまう。今回もそうだ。
「……実は。この頃、心に、引っかかる出来事がありまして……」
「ほう。なら、詳しく話すといい。僕にも何か気付けることはあるかもしれない」
 そうして、マレウス様に事の経緯を話した。星送りの夜から、ずっとデュースのことが気になっていること。彼と物理的な距離が近づく度に鼓動が高鳴ること。そして、先ほど食堂で聞いたばかりの話に、とても胸が痛んでいること。
 すべてを耳にしたマレウス様は、ふむ、と考えるように頷いた。
「……僕も文献で読んだ程度にしか知らないが……。もしかするとそれは、恋情というものではないのか?」
「れん、じょう……?」
「ああ。恋愛、恋……という感情だな。お前の言っていることと、条件が一致すると思う」
「俺が、恋を……」
 デュースに恋をしている。そう改めて言われると、得心がいった気がした。いや、そもそも俺は、最初から分かっていたのかもしれない。ただ、目を逸らしていたんだろう。今日、目の前に出された壁を直視したくなくて。……デュースは一般的な男子高校生のように、可愛らしい女性が好きで、同性の俺などただの、良くて憧れの先輩程度にしか見ていないのだろうことを。
「……だとしたら。もう、終わったようなものですね。先ほどお話した通り、デュースは……柔らかな服装が似合うような、可憐な女性が好きなのだから」
 俺の言葉に、マレウス様は驚いたような顔をした。
「おや……諦めるのか。意外なことだ。お前は、欲したものをすぐに諦めるような性格ではないと思っていた」
「え?」
「何もせず諦めるのは、お前らしくない。欲しいものがあるのなら、手に入るまで足掻くといい。そうだろう?」
「まったく仰る通りでございます、マレウス様!!」
「セベク……いつからいたんだ」
 本当に一体いつから聞いていたのか、マレウス様の言葉に応えるようにセベクが登場する。いや、セベクは休み時間の度にマレウス様の元へ通っているんだ。いない方がおかしいのか……。
「わしもおるぞ、シルバー」
「親父殿!」
 三人が集まった時点でなんとなくそんな気はしていたが、天井から親父殿も登場する。これで俺たちは一揃いというわけだ。……親父殿とセベクも、今しがたの俺とマレウス様の話を聞いていたんだろうか?
「お前が恋をしたと聞いてな、文字通り飛んできてしもうたわい」
「さすが、耳が早いですね……」
 俺も自覚したのはたった今しがたのことなのだが、と、あまりの情報の早さに驚いていると、セベクが改めて口を開いた。
「話を戻すが、シルバー。お前、何もしないうちから諦めようとしたな? とんだ腑抜けめ!」
「そうは言うが、セベク。向こうの眼中にないのなら、俺にできることなんてないだろう。俺が今からアイツの言う可憐な女子になれるわけでもないし、なりたいわけでもない」
「ふん! 言い訳など僕は聞きたくないぞ。マレウス様の仰る通り、欲しいものがあるのなら、本当にアイツが欲しいのなら、最大限努力を払って、それでも駄目だったときにこそ改めて諦めるかどうかを検討すべきだろう! やる前から駄目だ駄目だと言っていて何になる!」
 なるほど。タイプじゃないのなら、努力で振り向かせろ、とセベクは言いたいらしい。
「……一理あるな。確かに、色恋沙汰だからといって手を抜くようでは、俺の考えは怠惰なものだったかもしれない。ありがとう、セベク」
「礼など言うな、気色悪い。僕はただお前の態度が気に入らなかっただけだ!」
「マレウス様、親父殿も。俺のことを気にかけていただき、相談に乗っていただいて……ありがとうございます」
「かまわない」
「うむ。その代わり、進展があったら報告するように、じゃな!」
 こうして俺はまわりの人たちの手助けもあって、デュースへの気持ちを自覚するに至った。そして、ある決意が芽生えた。デュースにはきっと、俺に振り向いてもらう。今は、薄桃色の柔らかなワンピースが似合う女性が好きなのだとしても。それとは全然似つかわしくない俺を、好きになってもらいたい。だから、できるだけのことをしようと思う。決意を込め、ぐっと拳を握りしめた。

*②へ続く

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