ある日。陸上部の部活帰り、遅くなった僕は、どこからか不思議な旋律を耳にした。
その、どこか重厚で淋しげなメロディは、今はもう使われていない建物の中から聞こえてくるようだった。
僕は、その音楽と、まばらな月明かりに誘われるようにして、古い校舎の中へ入った。
廊下の奥へ進んでいくほど、音楽は大きくなる。
とある教室の前で、立ち止まる。そこは『音楽室』と書かれているようだった。
静かに、音を立てないようにドアを開け、中の様子を伺う。するとそこには、ひとりの人が、佇んでいた。
――青白い月の灯かりに照らされ、海色に透き通って光るガラスのピアノの前に座る、銀髪の青年。
彼の無骨な指から奏でられるのは、僕がどこかの風に乗せられて伝え聞いた、重く淋しげな音色だ。
やがて、僕がいるのを見つけて、シルバー先輩の演奏が止まる。
「ん……デュースか。どうしたんだ、こんなところで」
「シルバー先輩こそ。僕は、不思議な音が聞こえてきたので、つい、ここに来たんです。……ピアノ、弾けたんですね」
僕が尋ねると、シルバー先輩は、いや、と首を振った。
「本来は弾けない。だが、このピアノは魔道具なのか、鍵盤へ適当に触れるだけで、思い描いたメロディを好きなように奏でることができる。だから、少しばかりイマジネーションの練習をして、マレウス様にもお聞かせできればと思った」
僕は少し考えて、言った。
「僕もその練習、聞いててもいいですか?」
シルバー先輩は、すぐに答えた。
「かまわない。しばらくはこの時間、ここで練習していると思う。そうだな。一月ほど練習したら、成果をお見せしようか」
それから、僕とシルバー先輩の、秘密の夜会は始まった。
翌日。僕はさっそく、シルバー先輩の待つ音楽室へと向かっていた。
音楽室からは相変わらず、ドラコニア先輩をイメージするような、重厚なメロディが流れている。
「そういえばこの曲、なんて名前のどんな曲なんですか?」
シルバー先輩がしばらくピアノを弾くのを聴いていたあと、ふと気になって尋ねてみた。
「俺も、詳しくは知らないが。マレウス様がよくお聞きになっている曲、だと思う。タイトルは『月光』と言うそうだ」
「『月光』……。確かに、夜の雰囲気とか、月の灯かりによく似合う曲ですね」
「ああ。マレウス様が仰るには、この曲を作った作曲家は、恋をしたピアノの教え子に贈るため作ったそうだが、結局失恋してしまったのだとか」
「そ、そうなんですか。それはちょっと、残念ですね……。素敵な曲なのに」
「ああ。どんなに良い曲を作れたとしても、本当に動かしたい人の心は、思うようにはできない、ということなのだろう」
シルバー先輩が鍵盤に指を乗せ、適当に弾いていくのを眺めながら、僕は尋ねる。
「あの。シルバー先輩には、そんな風に心を動かしたい人、いますか?」
「心を、動かしたい人、か? ……そう、だな。分からない。今、こうして練習しているこの曲をお聞かせすることで、マレウス様が喜んでくだされば、とは思う。だが、たったひとりの……。俺だけの特別な人のために、ということならば、まだ。……わからない」
「そう、なんですね」
何故か僕は、先輩の答えにホッとした気がした。
*
翌日。ピアノの鍵盤を叩きながら、俺は考えていた。
デュースは何故、あんなことを聞いたのだろう。
気になったのだろうか。俺のことが。
……俺のことを、気にしてくれたのだろうか?
そう思うと何故か、心が跳ねるような感覚がして。……気付けば、メロディが変わってしまった。
「これは……『月光』では、ないな」
この、子供の頃に聞いたような、懐かしい旋律は。
「『きらきら星』だ。……ふっ、そうだな。確かに、デュースは、きらきらと光る星のようだ……」
だが今は、マレウス様にお聞かせするための『月光』を練習しなくてはならない。
改めてイマジネーションを構築し直すため、ふう、と息を吐いた。
*
「あれ、シルバー先輩。今日は違う曲なんですか?」
音楽室に近づくと、いつもの重厚で物悲しいメロディとは違う、ちらちらした旋律が聞こえてきた。
「……ああ、デュース。これは、気分転換だ。イマジネーションの構築が上手くいかないとき、一度リセットするために、別の曲を試すこともある」
「そうなんですね! やっぱり、先輩たちは工夫の仕方をよく知ってるんだな。僕なんか、今日も、魔法薬学の実験で手順間違えて、クルーウェル先生に怒られました……」
僕が自分のダメさに溜め息をつき、しょげていると、シルバー先輩が言った。
「……せっかくだ。お前も一緒に弾いてみるか?」
「えっ、いいんですか?」
「ああ。今弾いていたのは、マレウス様に捧げる曲ではないし……お前の、気分転換にもなればいいと思う」
ほら、ここに座れ、と言われて、シルバー先輩の隣の椅子に座る。
「やり方は簡単だ。知っているメロディから、イマジネーションを膨らませて、鍵盤に指を置いてみればいい。……そうしたら、あとは勝手に、ピアノの方が奏でてくれる」
さあ、一緒に。シルバー先輩の声に合わせて、僕はピアノの鍵盤に指を置く。
「……あ、この曲、知ってる……」
シルバー先輩が弾き始めた曲につられて、僕は歌う。
「きらきら光る、お空の……」
歌いながら鍵盤を叩くと、本当にピアノは魔法のようなメロディを奏でてくれた。
「わっ、すごい、本当だ!」
「せっかくだ、1曲このまま弾ききってみよう。途中で曲が変わっても、問題ない。俺たちしか聞いていないのだから。気軽にやろう」
「はいっ!」
そうして、僕はシルバー先輩との連弾を楽しんだ。なんだか、曲に合わせて、窓の外にちらちら光る星が、一緒に瞬いてくれたような気までした。
「ふー、楽しかった。ピアノ、触らせてくれてありがとうございます。こんな機会なかったから、新鮮でした!」
「かまわない。元々、ここに置いてあったものだし、俺の所持品というわけでもなかった」
「そうなんですね」
「ああ。……ん、もしかして、学園に利用許可を取るべきだったか? まあ、いい」
触れてはいけないものならそのうち達しが来るだろう、とシルバー先輩は言った。
「……デュース。ここには、また来てくれるか?」
「え? はい。もちろん、通うつもりでしたけど……」
迷惑でしたか、と慌てて僕が言うと、シルバー先輩は、そうじゃない、と首を振った。
「お前と共に、ピアノを弾くのは、楽しかった。お前の楽しそうな歌声を、聞いているのも。……だから、また。お前さえ良ければ、俺の気分転換に、付き合って欲しい」
「はいっ! そういうことなら、喜んで!」
それから僕たちは2、3週間くらい、夜、秘密の練習の時間をとって過ごした。
「そういや、もうすぐですね。学園の創立記念パーティ」
「ああ、もうそんな時期か。……そうだな」
お前も勿論、参加するんだろう? シルバー先輩の声に僕は頷いた。
「はい! うまいもん食べられるし、シャンメリーも出るし。たくさんの宿題もその日はないし。いいですよね!」
「ふっ、まあ、たまにはな」
あれから、僕とシルバー先輩は、ピアノの練習の合間に、いろんなことを話すようになった。
お互いの近況だったり、今日あった出来事だったり、時には、家庭の事情だったりと、けっこう深いようなところまで。
「……そういえば、シルバー先輩は、前、パーティの時。ゴーストの女の子に声、かけられたりしてましたね」
「確かに、そういうこともあったが……。そういった誘いには、乗らないようにしている」
マレウス様の護衛が優先だ、とシルバー先輩は言った。僕はなんだか、その言葉に淋しい気持ちになった。
「そ、そうです、よね。シルバー先輩は、その。恋人作ったりとか、よりは。護衛のお仕事が優先……」
「ああ。やたらと色恋沙汰にかまけて腑抜けているようでは、立派な騎士とは言えな……デュース? どうした?」
「い、いえ。なんでも。なんでも、ない、です……」
ずき、ずき、と。胸が痛むような気がした。なんだか息苦しくて、そこに立っていられないような気さえした。
ずっと、居心地の良い場所だと思っていたのに。ここで過ごすこの時間だけは、僕とシルバー先輩だけの、秘密の空間だと。
でも。……もうすぐ、その儚い夢も終わるんだって、自覚せざるを得なかった。
「顔色が悪く、息も荒い。大丈夫か……?」
シルバー先輩が、心配して手を伸ばしてくれる。僕は、頑張って作り笑いをすることしかできなかった。
「大丈夫、です。シルバー先輩。僕は、大丈夫、だから。……今日はもう、帰りますね。邪魔してすいませんでした」
「あ、ああ……。それなら、せめて、寮まで送って行く。今日はもう、切り上げよう」
そうして、シルバー先輩は僕を寮まで送って行ってくれることになった。嬉しいけど、苦しかった。
僕は、息もできないような苦しみの中で、自覚してしまったから。――シルバー先輩への、この気持ちを。
てくてくと、街路灯が照らす夜道を歩く。不意に僕が立ち止まると、数歩先で、シルバー先輩が立ち止まった。
「どうした?」
シルバー先輩が振り返ろうとする前に、僕は呟いた。
「……好きだなあ……」
「え?」
先輩に、この呟きが聞こえたのか、聞こえなかったのかは、分からない。僕はとても小さな声で、それを口にしたから。
「すまない、デュース。何か言ったのか? もう一度――」
「いえ、なんでもない、です。……少し、歩くのが早くって。ゆっくり歩いても、いいですか?」
「ああ、具合が悪かったのに、すまないな。ここからは合わせる」
そうして、ゆっくり歩く僕の歩調に合わせて、シルバー先輩は一緒に隣を歩いてくれる。
僕はそんな先輩の優しさに、思った。甘えていちゃ、ダメだよな、って。
いつかこんな風に、シルバー先輩の隣を歩ける人が出来る日が来るんだ。
その人は、その子はきっと、可愛らしくて、大人しくて、シルバー先輩にお似合いの――
「……あ」
「デュース? ……どうした、泣いているのか? 何が、悲しいんだ……?」
「なんでも、なんでもないんです。すいません、先輩。迷惑と、心配ばっかりかけて。すいません……」
クソッ、情けねえ。こんな涙よ止まれ、と、ゴシゴシと目元を腕で拭う。
つい、涙が出ちまった僕を、シルバー先輩は心配そうに見つめている。
それでも、僕は。この気持ちを伝えるわけにはいかないって、そう思った。
……だって、シルバー先輩には、大切な夢があって。それが何よりも、優先なんだから。
*
翌日。デュースは、この音楽室に現れてくれるだろうかと、そればかりが俺は気になっていた。
お陰で、演奏の練習もままならない。マレウス様に捧げるはずの月光が、気がついたら、デュースを想うきらきら星になってしまう。
……いっそ、この音の導きで、デュースにまた、会えたのなら。
そう思いながら、ポン、と弾けるような音の鳴る鍵盤を叩き、口ずさんだ。
「きらきら光る、お空の星よ……」
あの夜空に光る星のように、ちらちらと笑うお前に、今、会いたい。
我先にと夜空に駆けあがる一番星のように、どこまでもまっすぐに駆けていくお前に、会いたい。
あの流星の夜に、この世でいちばん美しい涙を流したお前に、触れたい。
俺の人差し指で、その目元を拭ってやって。そうして、きれいな笑顔で、笑ってくれたら、それだけで。
――ああ、お前に、この旋律と、俺の想いが……直接、届いてしまえばいいのに。
俺の指先から流れる旋律は、きらきら星から、オリジナルの変奏曲へと、幻想のような即興曲へと変わっていく。
それはまるで俺の、揺れる想いに合わせるかのように。揺れて煌めくオーロラのようなメロディが、叩く鍵盤から流れていく。
「デュース、お前は……今どこで、何をしているんだろう?」
会いたい。
「今もどこかで、ひとりで泣いているんじゃないのか?」
会いたい。
「お前が流す涙は、あの星月夜のような、美しい涙だけで、十分なのに……」
――会いたい。
「今宵奏でる、『きらきら星』に願う。もう一度、デュースに会いたい……」
そんな、祈りのような言葉を口にした、その瞬間。音楽室のドアが、開く音がした。
振り返ると、そこには、デュースが立っていた。
「デュース」
「え? あ、あれ? 僕、なんでここに……」
デュースは、わけもわからずここに吸い寄せられてしまったようだ。この魔法のピアノの力だろうか。
でも、今はそんなことも、どうでも良かった。ただ、目の前に立つデュースを抱きしめた。
「逢いたかった、デュース」
「え? え? ……うぇえ?」
デュースは混乱した様子で、真っ赤になって、俺の抱擁を受け入れている。
俺は、デュースの頬に手を添えて、その顔をじっと見た。
「ああ、まだ目元が赤いな。……昨日、どうして泣いていたんだ? 聞かせてほしい、お前のこと」
お前が泣いていると思うと、落ち着かなくて。会いたくて、涙を拭ってやりたくて、仕方なくなって。
演奏にも身が入らないんだ、とデュースに伝えると、デュースは、そうだったんですか、と少し照れたように言った。
「シルバー先輩、あの、僕……」
「……ああ」
深呼吸して、デュースが言葉を口にする。俺はただ、それを待つ。
「シルバー先輩のことが、好きで……っ、その、それで。先輩は、今は恋愛よりも、護衛のお仕事が優先だって言ってたのが、悲しくなっちまって……っ」
「……そう、だったのか」
誤解させてしまってすまない、と俺はデュースをそっと胸に抱き入れた。
「俺はな、デュース。たくさんの女の子と遊んだり付き合ったりするような、そういう色恋沙汰に割く時間はない、と言ったつもりだった。だから、その。……たったひとりの、俺だけの大切な人のためにとる時間なら、作れるんだ」
「そう、だったんですね」
だったら僕、先輩にそういう人ができるまで、応援しなきゃ、とデュースは切なく笑う。……まったく。どうして、分かってくれないのか。先の言葉、きっと、聞いていてくれたのだろうに。
「デュース。俺の大切な人というのは、きっとお前だ」
「……え? えええ!?」
「不服か?」
「ふ、不服じゃないです!! 全然!! でも、なんで、シルバー先輩が僕なんか、」
顔を真っ赤にして、照れたような困ったような顔で慌てるデュースに、俺はほほ笑む。
「『僕なんか』じゃない。……いつも頑張り屋で、まっすぐで、ひたむきなお前だから……俺は、惹かれた」
俺は、改めてデュースの前に立ち、そっと胸に手を当て、敬礼をした。
「改めて問おう、デュース。『俺と、恋人になって頂けますか』?」
デュースは、はく、と息を呑んだように驚いた目を丸くしてから、それから、丸い頬に浮かぶ赤みを消さずに答えた。
「……僕で良ければ、喜んで!!」
「お前がいいんだ」
喜びのあまりか、俺の胸の中へ跳ねるように飛び込んできた、子うさぎのようなデュースを抱き留める。
窓をちらりと見れば、今宵はとても星が綺麗な夜だと、そう思った。
デュースと恋仲になった、翌日。マレウス様から、こう尋ねられた。
「そういえば、シルバー。お前は最近、ピアノを練習しているのだったか? そろそろお前の言っていたひと月にもなる。その成果、聴かせてくれても良いのではないか?」
「はい、マレウス様。そのピアノ自体が、古い場所にありますので、少々、御足労をおかけしますが……」
「何、問題ない。他でもない臣下のためだ、僕自ら出向くとしよう」
「はっ、光栄です」
それから俺は、旧校舎の、ガラスのピアノが置いてある場所へ、マレウス様を案内した。
……案内した、のだが。
「あれ……?」
「どうした、シルバー。確かに少々埃っぽいところであるが、お前の言うピアノはあるように見える。何か問題が?」
「いえ、ええと。確かに、ピアノはあるのですが……。なんと言えば、良いでしょうか。その……」
俺は、マレウス様に事情を説明した。ピアノは、この通常の、よくある黒いピアノではなく、ガラス張りの、魔法のピアノであること。それから、俺はそのピアノで曲を練習していたので、普通のピアノは弾けないこと。
「申し訳ありません、楽しみにしてくださっていたのに、なんとお詫びをすれば良いか……」
「ふむ。……シルバー、試しにその普通のピアノを弾いてみろ。お前が知っている曲でかまわない」
「は、はい。と言っても、拙い演奏になるとは思いますが……マレウス様が、そう仰るのであれば」
それから俺は、普通のピアノを弾いた。と言っても、俺の知っている旋律など、そう多くはない。
『月光』のような重厚な曲は、思い出しても弾ける気がせず、俺はデュースとよく休憩中に弾いていた、『きらきら星』を弾いた。
とても、拙い、幼子がトイピアノで弾くようなメロディだった。だが、マレウス様は満足そうに頷いた。
「ふむ、ふむ。そのガラス細工のピアノとやら、やはり……聞いたことがあるかもしれないな」
「そうなのですか?」
「ああ。お前、そのピアノを弾いているとき、誰かに会ったか?」
「……は、はい。会いました」
「やはり、な。そのピアノは、恐らく、お前の言う通り、魔法のピアノだったのだろう。どこの国のおとぎ話だったかは、あいにく失念してしまったが……。確か、そのピアノが奏でる旋律は、人生でたったひとりの、大切な人と出会わせるという」
お前のたったひとりの大切な人のための演奏であれば、僕が聴けないのも仕方あるまい、とマレウス様はお笑いになった。
俺は、言った。
「……デュースに、会いました。ハーツラビュルの、デュース・スペードに」
「ほう。スペードか、それはまた興味深い。それで、スペードは……お前にとって、どんな存在になったのだ?」
「……とても、大切な存在に。改めてまた、マレウス様たちにもご紹介させて頂ければと、思います……」
「ふっ、構わない。お前も恋をするとは、大きくなったものだな。やはり人の子の成長は早い。瞬きの間よ」
なんだか楽しそうなマレウス様に、ああ、これはしばらく遊ばれる流れだな、と俺は少々覚悟を決める。
それでも、マレウス様が俺たちの関係を悪しからず思ってくださっているのは、嬉しいことだと思った。
「ああ、そうだ、シルバー。お前、先ほどの曲……『きらきら星』だったか? あれを弾いている時だが」
「はい。何か、問題でもありましたでしょうか」
「……明らかに、特定の誰かを想っていることが、顔と旋律に出すぎている。人前で弾くときは、気を付けるのだぞ?」
「ご、ご忠告、痛み入ります……」
そうして、俺とデュースの関係は、マレウス様の口より、セベクや親父殿の知るところとなった。
魔法のピアノが消えてしまったことを伝えると、デュースは、少し残念そうに、そうなんですね、と言った。
だが、すぐに笑って、こうも言った。
「でも、もうピアノがなくても、僕たちはこうやって一緒にいられますもんね」……と。
俺は笑って、頷いた。
そんな日々を過ごしているうちに、創立記念パーティの日が訪れた。
会場に並べられた馳走を楽しんでいるセベクを後目に、俺がゴーストの女性や、友人たちの誘いなどを交わしていると、マレウス様が仰った。
「なんだ、こんな日まで真面目に護衛をしますという顔をして。お前も少しくらいこの宴を抜け出して、恋人との逢瀬を楽しんでも良いのだぞ?」
「マレウス様……」
俺とデュースの交際を知ってからというもの、マレウス様はずっとこの調子だ。
応援してくれるのはありがたいが、ずっとからかわれてばかりでは少々困ってしまう。
「何、僕もお前で遊んでばかりではない。お前は奥手だからな、積極的に動かねば逃げられても知らぬぞ? と、心ばかりの忠告をしてやっているだけだ」
「逃げ、られて……?」
「ああ。恋人のことを放っておきすぎて、振られましたなんて顛末、お前も嫌だろう?」
俺は、少し考えた。考えているうちに、肩を小突かれた。振り向くとそこには、敬愛する親父殿がいらっしゃった。
「親父殿」
「心配せんでも、マレウスのことはわしが見とってやるから。おぬしはおぬしの青春をしてくるんじゃ、シルバー! 学生時代は一瞬じゃぞ!?」
「ああ、リリア。そうだ、お前からも言ってやれ」
親父殿とマレウス様が、俺を置いて盛り上がり始める。俺は、ひとつ咳ばらいをして告げた。
「……それでは、お言葉に甘えて、少しだけ……憩いを頂きます。パーティーが終わるまでには戻りますので」
「何、今宵は宴だ。戻ってこなくても叱りはしない」
「気を付けて行ってくるんじゃぞ~!」
親父殿とマレウス様のふたりに見送られ、俺はパーティー会場を後にした。
夜の匂いの中、俺は愛しい人を探す。さすがに全校生徒でごった返している雑踏の中だが、それでも。
愛しい人の、いる場所。デュースの居場所なら、聞かずとも分かる気がした。
……ほらな、見つけた。学友たちと、シャンメリーのグラスを傾け、談笑を楽しんでいる。
「デュース」
「シルバー先輩!?」
「談笑中、すまない、お前たち。少しデュース、借りていくぞ」
一年生たちは、口々に、いいっすよ、だの、ひゅーひゅー、だの囃し立て、俺たちを送り出す。
俺は、会場から少し離れたガゼボの辺りにデュースを連れてきた。
「シルバー先輩、どうしたんですか? 今日はドラコニア先輩の護衛で忙しいんじゃ……」
「……少しだが、マレウス様たちのご厚意により、時間を頂けた。だから、その」
わずかな時間でも、かまわない。ふたりで過ごさないか、とデュースに尋ねる。
デュースは笑って、はい、僕で良ければと答えた。
「じゃあ、僕、少しだけ飲み物とか食べ物、取ってきますね! すぐ戻って来るんで、ふたりで楽しみましょう!」
「ああ。それなら、俺も行く」
そうして、デュースとふたりぶんのシャンメリーと、少しの食べ物を取ってきて。
俺たちはふたり、白く塗られたガゼボの下で過ごした。
「それじゃ、シルバー先輩……乾杯!」
「乾杯」
キン、とグラス同士がぶつかる音がする。デュースは、くいと黄金色に光るシャンメリーを飲み干した。
「あ、見てください! あれ……月と星が、綺麗に光ってますよ!」
「ああ……本当だな」
デュースが指さした先には、美しく青白い月が、星を伴い光っている。俺はそんな景色をシャンメリーのグラスに映して、飲み干した。
「これまで、いろいろなことがあった。……だが、お前とならきっと、なんだって乗り越えていける。これからもよろしく、デュース」
「こちらこそ! シルバー先輩と、ずっと、こうやって一緒に、お祝いしたいです。何年だって……!」
「……ああ、そうだな」
俺たちの逢瀬は、ただ、ひとときのことかもしれない。
でも、そんな瞬きのようなひとときを、ずっと未来まで、重ねていこう。
5年でも、6年でも。ずっと、ずっと。10年先、20年先の未来まで。
今はただそんな祝いの気持ちを胸に、デュースとのひとときを楽しむばかりだった。
*おしまい
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