・R15程度の性描写があります。
・一部期間限定カードおよびイベント内のパーソナルストーリー(主に星送りや誕生日など)、7章Chapter3までのネタバレを含みます。
【0】
「アンタのことを嫌いになれたら……よっぽど、楽なのにな」
――どうして。シルバーはただ、黙って目を見開いた。悲しそうに笑うデュースの瞳を、ただ茫然と見つめていた。
【1】
それは、ずっと前の秋のこと。シルバーはメインストリートを急いでいた。今日は彼が通う名門学校ナイトレイブンカレッジの入学式である。もちろん彼もその式典へと出席することで新入生たちを祝うつもりだ。なのだが、秋のうららかな陽気が誘う眠気に負けて少しばかり寝過ごしてしまったため、同級生たちに置いて行かれてしまった。そのために一人で道を急ぐことになっているのだ。
道を急ぐシルバーの関心は、今のところ同郷で兄弟のように育った存在であるセベクのことに向けられていた。アイツも今年この学園に入学することになったらしいが、本人の望み通り主君たるマレウス様と同じディアソムニア寮に入れるのだろうか――と。もしも入れなかったとしたら、どんな騒ぎを起こしたものかわからない。思わずシルバーが溜め息を吐きそうになりながら道を曲がると、式典服を着た見慣れない生徒が目に入る。新入生だろうか? なかなか足が速い。一心不乱に走り続ける彼を見ていたシルバーは、あることに気付いた。彼の足元にはわずかに段差があり、新入生自身はそれに気付いていないことに。シルバーは思わず駆け寄り、案の定段差に足を引っかけて転ぶ新入生を抱きとめる。
「大丈夫か?」
「す、すいません! ありがとうございます!」
「段差があるから、足元には気をつけろ」
「本当、ありがとうございます……あ、もう集合時間ギリギリだ……急がなきゃ! それじゃ、失礼します! ありがとうございました!」
慌ただしい新入生だな。だが、元気なことは良いことだ。シルバーは心の中でそう呟くと、群青の髪を持つ一年生の背中を追って、自らも式典の場へと足を進めることにした。一方その頃、なんとか集合時間に間に合った新入生は先ほどの光景を思い出しながら、走った汗を拭うため式典服のフードを取る。
(さっきの先輩……先輩、だよな。厳しい顔してたな……。もしかして、怒ってたか呆れてた、とか? ……名門の学校なんだ、初日から遅刻ギリギリなんてことしてたら、そういうこともあるよな。よし、気合い入れ直せ、デュース!)
デュースは入学式に向け、式典服のフードを被り直す。このほんのささやかな邂逅からすべてが始まることを、二人はまだ知らない。
【2】
それから少しの時が流れ、星送りという学校行事が開催された。二人はそこで、ささやかな会話を交わし、お互いのことを強く認識した。
『親と仲良くすることが、どうして幼い行動なんだ? 大切な人とたくさん話したいと思うのは、自然な行動だろう』
シルバーもデュースも、お互いに親をとても大切に思っていること。親と仲良くしたいと願っていること。
『喧嘩はよくない』
よくないことはよくない、と嗜められること。
『親父殿が長生きしてくれますように』
『こうして僕は、警察官になりたいって思うようになりました』
シルバーの夢、デュースの夢。
『未来への不安を消してくれるのは愚痴ではない。たゆまぬ努力だ。お前も、叶えたい夢があるのなら常に全力で挑め。他のことは考えるな』
立場が近いと感じたシルバーへつい弱音を吐いてしまうデュースへの叱咤激励。
『これからは楽させてやりたいし、長生きしてくれたらと思ってます』
『お前もだったのか……。』
『願いが叶うよう、お互い努力しよう』
そして何よりも、お互いの努力への共感と、性格への好感を。
デュースはそこで交わした会話によってシルバーという人間を深く知り、シルバーもまたデュースという後輩の存在を知った。彼らはこの学校行事の中で行われたわずかな会話で、お互いにこんな印象を持った。
(デュース・スペード。アイツは親のために優等生になろうと、そしてさらに警察官の中でも実力の高い部隊になるという目標を持って努力をしているのか。それは俺にとって、好ましい姿だ)
(シルバー先輩って……。実は顔に出にくいだけで、優しい人なんだな! 最初は不愛想な人かと思ってたけど、笑ってくれたりもしたし……。それに、『大切な人とたくさん話したいと思うのは、自然な行動だろう』って……。僕も、あんな風に自信を持って、いろんなことを言い切れるようになりたい。今日、本当に、あの人と話せて良かった……憧れの先輩だ!)
それからというもの。デュースは、体力育成の選択授業が二年生と合同になれば、シルバーの姿を探すようになった。
「シルバー先輩! 今日も僕と一緒に組んでもらっていいですか!?」
「ああ、かまわない。お前も熱心だな」
憧れの存在に少しでも近づきたいと、間近で努力を見せて欲しがったのだ。元来努力家を好き、実力を他人と磨き合うことを好むシルバーは、これを快く受け入れた。そんなことを続けていくうちに、やがて二人は授業時間の外、食堂や廊下ですれ違ったときにも、互いへの親し気な挨拶とささやかな会話を行うようになった。二人はお互いのことを仲の良い先輩と後輩だと認識しはじめていた。
「こんにちは、シルバー先輩! 今日めっちゃ天気いいですね、走りたくなってきました!」
「それはいい考えだ。俺も、昼休みにでも運動場へ邪魔しようか」
「ホントですか!? じゃあ僕も昼休み行きます! 一緒に走りましょう!」
「ああ、楽しみにしている」
二人の気持ちは、彼らが自覚するともしないうちに近づいていった。
(デュース、見ていて、接していて、清々しいというか……気持ちのいい奴だ。本当に好ましいな)
(先輩、やっぱり優しい人なんだな! だんだん分かってきたぞ、っていうか……。僕、先輩のこと、他の奴らよりもちょっとだけ知ってんだよな。なんか、それって嬉しいかもな!)
ある日の体力育成の授業中、彼らはこんなことを話した。
「最近、ほんとに楽しいんですよ。先輩のことを見かけて声かける度に、楽しく、嬉しくなるんです!」
「そう、なのか? 俺にそんなことを言ってくれるのは、カリムなど一部の友人くらいだった。お前もそう思ってくれるなら……いや。お前が楽しそうだと、俺も嬉しい」
二人は顔を見合わせて笑い合った。デュースは、二度目になるシルバーの柔らかく不器用な笑顔を見て、今先輩笑いましたよね、ともう一度顔を砕かせて笑った。シルバーは、普段から笑っているつもりだったのだが、と不思議そうな顔をした。
また別の日の二人には、こんなこともあった。シルバーは誰かが喧嘩しているような騒ぎ声を聞いた。何の騒ぎだろうかとそちらへ向かったシルバーが見た光景は、こんなものだった。
「真面目ぶってんじゃねえよ」「優等生のフリは楽しいか!?」などと絡む不良生徒と、それに対して、拳を握りしめながら、悔しさで言い返しそうになる歯を食いしばり、「楽しいとか楽しくないからでやってない。今はフリだとしても、僕は本物の優等生になりたい。そのために当たり前だと思うことをやっているだけだ」と言い返すにとどめているデュースの姿があった。不良生徒は手を出そうとしたが、影で見ているシルバーの姿を見つけたのか、あるいは人の気配に気付いたのか、白けた態度でその場を去った。
そのあとで、シルバーは見た。握りしめた拳をもう一方の腕でつかんで、悔しいとしゃがみ込むデュースを。
「優等生のフリだなんてなぁ! お前らに言われなくたって、俺が一番分かってんだよ……!」
誰に言うでもなく宙に浮いた独り言。思わずシルバーが声をかけようとすると、先にデュースの方がシルバーの存在に気付いた。デュースはすぐに立ち上がり、何事もなかったかのようにシルバーへと向き直る。
「あれ、シルバー先輩? もしかして、今の見てました?」
「……すまない。騒ぎの声が聞こえたから、何事かと思って、様子を見に来た。盗み聞きをしようと思ったわけでは、決してない」
「まさか、シルバー先輩相手にそんなこと思いませんよ」
はは、とデュースは笑う。シルバーがどう声をかけたものか、自分が踏み込んでも良い事情だろうかと言葉を言いあぐねていると、デュースが先に口を開いた。
「僕、また一回、手が出そうになるのを我慢できました。アイツらのこと、すごくムカついた。だけど、そうやってすぐ、楽だからって力に頼ってちゃ、昔の自分と何も変わらない。だから、こうやって一回一回、我慢できた、楽な方に逃げなかった、って、小さなことからでも積み重ねていきたいんです」
「いいことだ」
「はい! ……それに何より、前、星送りのとき、先輩と話したとき、言ってくれたじゃないですか。『喧嘩は良くない』って。あれ以来、僕の頭に血が上りそうになったときは、頭の中でシルバー先輩が良くないぞ、って止めてくれるんです。だから、先輩。ありがとうございます!」
「俺は何もしていない。それはお前自身の理性だと思う。だが、俺の存在がお前の助けになれているのなら、それは嬉しい」
口ではそう言いつつも、なぜかシルバーは淋しくなった。今回は星送りのあのときのように、自分だけには頼って、少しの弱音をこぼしてはくれないのか、と。しかし、すぐに思い直した。弱音を吐いていても始まらないと教えたのは他でもない自分自身なのだから。デュースは自分の教えを素直に守ってくれているだけなのだ。むしろ、自分と少し話しただけのことに感銘を受けて、しっかり覚えていてくれるのは嬉しいことだとさえ感じられた。
そう思うと、シルバーは、デュースを眩しいと感じた。星送りの衣装もよく似合っていたが、確かにデュースは輝く星のようだ。太陽のように強く煌々と、月のように凛然と涼やかに、そう輝くわけではないが、それらに並ぶ自分なりの輝き方を知っている。そんなデュースは自分が思うよりもずっと強い存在なのだ、と。何度折れそうになっても、挫けそうになっても、諦めない心を持つ者の一人だ。それはとても大事なことだ、とも。そんなことを思っていると、不意にデュースの口からシルバーの耳へ想定外の言葉が届いた。
「ちょっと恥ずかしいこと言いますけど……、憧れの先輩として、これからもご指導いただけると嬉しいです!」
「憧れ? ……俺が?」
「や、やっぱりダメですかね!? 星送りのとき以来、シルバー先輩みたいなカッケェ先輩になりたいな、って思ったんですけど……」
シルバーの目に映るデュースは、やたら照れくさそうにしている。シルバーはそんなデュースの態度をほほ笑ましく思い、気持ちに応えたくなった。
「……いや。俺のようになりたいと、そんな風に直接言ってくれた奴は初めてで、驚いただけだ。お前がそこまで好意を持ってくれたのは、嬉しい。これからも、共に励もう」
「はい、これからもよろしくお願いします!」
「ああ」
デュースはきっと、これからもっと良い方向に向かうだろう。これからアイツがどんな風に輝いていくのか、成長を楽しみにできる親しい後輩が一人増えたな、と、その日のシルバーは内心上機嫌でいた。なぜあのとき、デュースの弱音を聞いてやりたいなんて思ったのか、自分自身にわずかな疑問を持ちながらも。
それからシルバーは度々、デュースが同じように不良生徒から絡まれているのを見かけることが増えた。見ていると、デュースは元々絡まれやすいようで、何かと標的になっているようだった。助け船を出すことは簡単だった。けれど、それはためらわれた。デュースはいつだって、俺に守られるほど弱くはない。自らの困難と自分で戦える、強い人間だ。それでも、ただ見守ることしかできない自分を歯がゆく思う日があった。もどかしく思う日があった。アイツは強い存在だ。俺もそれを認めている。なのに、どうしてアイツを守りたいと思うんだろう。シルバーには、まだそれが何故なのか分からなかった。
そんな中、シルバーはいつものようにデュースが絡まれているところを助けることになった。それは不良生徒たちが、デュースの家族のことを馬鹿にしたからだった。唇を噛み、拳を握って耐える姿に、考えるよりも先に身体が動いていた。デュースはいきなり登場したシルバーに、シルバー先輩、と驚きの声をあげた。元々大して絡む予定はなかったのか、上級生が来たということを理由に不良生徒たちはあっさりと逃げていった。デュースなら、一人でも対処できただろう出来事だった。それでも、身体が動いてしまった。大丈夫か、と声をかけるのが精一杯だった。デュースは間を置いて、へっちゃらですよ、これくらいなんてことないです。と言った。そんなことはないだろうと、シルバーは知っていた。この頃、ずっとデュースのことを見ていたから。だけど、デュースへと伸ばした手が、シルバー先輩に迷惑かけないよう、もっと頑張らないといけないですよね、と見えない境界線に区切られたのを感じて、自分の目の前で、困難をひとりで抱え込むのを見て、シルバーはデュースの深いところに踏み込む、それをできる立場にはまだないのだと思い知らされた。シルバーは、迷惑なんてかけてくれていいと思った。想いは徐々に自覚に近づき始めていたが、今はまだ、それだけだった。
【3】
それから数日が経ったある日のこと。しきりに降る雨の中、校舎の玄関口にデュースは一人取り残されていた。空を見上げても、ざあざあと降り注ぐ雨はいっこうに止んでくれそうにはない。これはもう濡れて走るしかないか、とデュースが腕まくりをしたとき、後ろから声をかけられた。
「傘がないのか?」
「……シルバー先輩!」
そうして、デュースはシルバーと同じ傘の中へと収まった。シルバーは、あくまでも傘のない後輩が濡れて風邪でも引いてしまっては大変だと善意で己の傘の中へ招いたつもりだったが、デュースがお邪魔しますと一言告げて傘の中へ入った途端、ドキリと鼓動が跳ねるのを感じた。シルバーは自らの鼓動に疑問を持った。なぜ、今ここでお前が跳ねるんだ? この間のことといい、まさか俺は、一体、いつから、なんのきっかけで、いやでもこれはきっと何かの間違いだろう、と自分を誤魔化しながら、シルバーはデュースと共に歩みを進めていく。
一方デュースは、シルバーの隣にいられることを単純に喜んでいた。雨に降られて、傘もなくて、なんて不運な日だと思っていたけど、こうして憧れのシルバー先輩と肩を並べられて、嬉しい。不思議なほど嬉しすぎて、なんだが胸がドキドキまでしてきそうだ。そんなことを思いつつ、シルバーの持つ傘に隠れた顔がニヤけてしまいそうになるのを抑えながら、デュースもまたシルバーの隣を歩いていく。
「先輩は、いつも落ちついてますよね」
「そうでもない。顔に出ないだけだ」
「そうなんですか? でも僕、先輩の照れた顔とかも、見れるなら見てみたいです!」
「それは……勘弁してくれ」
「ははっ、勘弁しません。先輩が照れてくれるまで、褒めてやります! そうだ、先輩の声って、雨の中で聞くといつにもまして綺麗に聴こえますよね」
「俺の声? 綺麗だと思っていたのか」
「はい、いつも……わっ!」
お喋りに夢中になり、足元を疎かにしたデュースが水たまりに足を引っかけて転びかける。シルバーがそれを抱きとめると、デュースは慌てて謝った。
「す、すいません先輩! 濡れてないですか?」
「問題ない。それより、お前が――」
俺をからかって楽しそうなお前が、雨や泥に濡れることを嫌だと思った。そんな些細なものからも、その笑顔を守りたいと思った。それで抱き止めたら、またやはり鼓動が跳ねた。これは、この気持ちは、感情は、一体なんなんだと思う――そう、口にしかけたところで、シルバーは口をつぐんだ。コイツにそれを言って、何になるんだ。仮に俺の心が何かを求めているとしても、俺もコイツも、そんなことに時間を使っている暇などないはずだ。何よりも、叶えたい夢のためにはよそ見をするなと、かつて俺自身がそれを口にした。コイツが新しく、俺の大切な存在になっているのならば――尚更だ。その歩んでいく道を、俺の気持ちひとつで邪魔などしたくはない。
「僕なら平気です、先輩が庇ってくれたので。……あれ、違う? もしかして、僕に何かありますか?」
デュースはシルバーの頬に、自分の手を触れさせようとする。しかしシルバーは、その手を優しく止めて、そっと下ろした。
「……いや。なんでも、ない。濡れる前に、帰ろう」
シルバーの様子をわずかに訝しく感じながらも、デュースははい、と返事をしてまた傘の中へと入った。二人は、言葉少なに雨の帰り道をまた歩み始めた。シルバーは、触れてしまった手の温度が熱いことに気付かないフリをしていた。
【4】
それからまた、少しが経った休日のこと。デュースは麓の街へちょっとした買い物に来ていた。必要分の買い物を済ませ、さっさと寮に帰って追いついていない分の予習復習を済ませないといけないと通りの間を抜けて近道をしようとしたとき、その中のひとつによく知る顔を見かけた。シルバーだ。彼も偶然街に来ていたのかと声をかけようとするが、すぐにそれはためらわれた。なぜなら、目の前にいる憧れの先輩は、ときどき街で見かける知らない女の子にただならぬ雰囲気で声をかけられていたからだ。
とっさに身を隠したものの、声は聞こえてしまった。
「私、いつもあなたのことを見ていて……っ、本当に、好きなんです!」
思わず、デュースはその場を立ち去った。シルバーがなんと返事をするかは分からないが、そうするべきだと思った。早足で寮に向かいながら、デュースはただただその光景について考えた。ぐるぐる、ぐるぐるとひたすら考えた。シルバー先輩、なんて返事するんだろう。ひょっとして、あの子と付き合うのかも。そうしたら休日はデートとかして、もう運動場で一緒に走ったりできなくなるのかな。喋る話題もあの子のことが増えて、もう僕のことなんか気にかけたりしてくれないかもしれない。たまに見せる照れたような恥ずかしそうな顔も、笑い慣れてない不器用な笑顔も、全部あの子のものになるのか? そう考えると、淋しい。嫌だ。辛すぎる。先輩に好きな人ができるなら、それは後輩としてお祝いすべきことだと思うのに、なんだかとても胸が痛い。先輩が、知らない女の子に優しくほほ笑みかけている姿が思い浮かぶ。嫌だ。そこを退いてくれ。そこには僕がいたいんだ。頼む、どうか取らないでくれ。僕からシルバー先輩を、取り上げないでくれ。それは他の誰じゃない、俺だけの場所であって欲しいんだ! そこまで考えて、ようやく気付いた。
――ああそうか。僕、気付く暇もなく、いつの間にか、あの人が、シルバー先輩が、好きになってたんだなあ。
デュースは一人、薔薇の迷路の前で立ち尽くした。白から赤に塗られかけた薔薇を見て、まるでお前、今の僕みたいだなと独り言をこぼした。
一方その頃、シルバーは、答えに困っていた。自分は街へ下りることは少ないが、そのわずかな機会を見逃さない街の女性に告白されたのは、これが初めてではない。とはいえ、毎度のことながらなんと返事をするべきなのか、どう答えれば傷つくことなく断ることができるのか、いつも考えていた。そしてまた、同じ断り文句を告げる。
「すまないが、あなたの気持ちには答えられない。……どうか、他の者と幸せになってくれることを、願っている……」
シルバーが続きの言葉をどうかけていいものかと迷っていると、女性は分かりました、聞いてくれてありがとうございました、と礼を言って、そのまま走り去っていってしまった。……また、泣かせてしまっただろうか。シルバーはため息をつく。自分も気持ちを切り替えて寮に戻ろうと踵を返した。それでもやはり、考えてしまう。今まで断ってきた女性たちの、真摯な思いを。彼女たちは、まっすぐに自分の気持ちをぶつけられる、強い人たちだ。本当に、尊敬できることだ。己の想いを見ないフリしている、俺よりも。
シルバーは内心、自分の中にある気持ちが膨らみ始めていることを自覚していた。きっかけなんて、もはや些細なことだった。ある日突然にそれは、訪れた出来事。始まりは曲がり角での邂逅。共に星を見上げ、風を切り、わずかながらも同じ時間を過ごした。そんな、五月の新緑を揺らす風のような存在に、いつの間にか惹かれ始めていることを。我慢強い彼に、ひとりで抱え込む彼に、自分だけにはどうか頼って、弱音さえ吐いて欲しい、そうしたら自分がそっと背中を押して、また風を切り走り出すのを見守ってやりたい、そう思ったのをきっかけに、気持ちに自覚を持ち始めたこと。しかしシルバーは、今日このときまでその気持ちを見ないフリしていた。俺には果たすべき目的があるとか、よそ見などしている場合ではないとか、向こうにも目指すべきところはある、だから相手にも迷惑だろうとか、様々な理由をつけて。けれど、そんな風に自分の気持ちを抑えつけていることは間違いでしかないと、今まで告白してきた彼女たちの勇気ある目を見て、震える言葉を聞いて、思った。ああ、気持ちを潰してはならない。認めなくてはならない。自分の気持ちに、不誠実をしてはならない。彼女らのように、恐れてもまっすぐに思いを伝えることから、俺だけ逃げていてはいけない。知らない間に、夢がひとつ増えていたんだ。もしも問題があるのなら、その都度解決していけばいい。だから、告げよう。もし、次会えたなら。そのときには、気持ちを伝えてみよう。たとえどんな結果になるとしても。不思議と決意を固めてしまえば早いもので、揺れていた気持ちはピタリとその場所が心地いいとでも言うかのように収まった。
【5】
それから一週間後。心の中に抱えたモヤモヤを晴らすため、休日に運動場で走ろうと考えたデュースは、同じく運動場を走って足腰を鍛えようとしていたシルバーと出会う。シルバーはこれを嬉しい機会だと捉えたが、デュースの方はそうではなかった。告白現場を見て以来、なんとなく気まずくてシルバーとは会いづらかったのだ。彼女できたんですか、なんて唐突に聞けるわけもなく、どこかぎこちない様子でシルバーとの走力鍛錬が始まった。一通り走り終えたあと、スポーツドリンクの入った冷たいペットボトルをシルバーはデュースに差し出す。
「あ……、ありがとう、ございます」
「デュース。今日はなんだか元気がないが、大丈夫か? 具合が悪いのなら、気を付けた方がいい」
デュースはためらった。僕の元気がないように見えているのは、きっとあのこと……知らない女の子に告白されたことを気にしているせいだろう。あのときのこと、聞くべきか? いきなり彼女できましたかなんて聞いて、おかしな奴だと思われないだろうか。のぞき見してたとか、野次馬だとか、先輩にそんな奴だと思われたくない。それでも、聞かないという選択はできなかった。あのときの女の子には本当に悪いことを、ひどいことを願っているとは思うが、ただ一言、あの子のことは断ったと聞いて、もう何の関係もないと聞いて、安心したかった。ただそれだけだった。
「いえ、具合が悪いわけじゃなくて……。あの、告白、されてましたよね。この前、街で」
「見ていたのか?」
「その、偶然見かけちゃって。あ、でも、盗み聞きとかじゃなくて、ほんと、すぐその場を離れたんで……」
「そうか」
シルバーは多少驚いた。告白されたことを知られていたのもそうだが、なぜ、それでデュースの態度が妙になるのだろうか、と。単に盗み見てしまったようになったことが申し訳なかったのか? とも。だが、それともどうにも違うような気がした。
「付き合った、んですか? あのときの女の子と……」
少しの沈黙のあと、デュースは勇気を振り絞って聞いた。少しの鼓動を抑えながら、シルバーは答えた。
「いや、付き合わなかった。これは、最近気付いたことなのだが……他に、好きな人がいる」
「そう、なんですね」
「ああ。お前にも知っていてほしい、実は……」
デュースは、鋭い剣で心臓をまっぷたつにされたような気持ちになった。好きな人がいる。先輩に。世界のどっかに、僕じゃなくて、先輩の目に映る奴がいる。先輩の目を捉えて、離さない奴がいる。人の心の中に玉座みたいなものがあるとしたら、そこに堂々と座り込んでるやつがいる。妬ましい。ずるい。羨ましい。ああ、そいつを今すぐ先輩の心の中から引きずり降ろして、蹴り落として、僕がその座にしがみついてやりたい。他のものならなんだってやるから、今すぐそこから退いてくれないか。だって、僕だって、先輩のことが好きなのに! だけど、ああ、だけど。僕が好きになった先輩は、そんなことするような奴、きっと好きにならない。
デュースは思わず、シルバーの口を手で塞いでいた。
「ごめんなさい、聞きたくない、です」
どうして好きな人に好きな人ができた、それだけのことを、素直に祝ってやれない。その好きな人ってのが、あの女の子だって、そうじゃなくたって、先輩の心に巣食ってるのが他の誰だったとしたって、好きな人が、シルバー先輩が、それで幸せになれるなら、自分の気持ちなんか放っておいて、うまくいくのを願うのが男ってもんだろ。なのにどうして、僕は、俺は、こんなに嫌な奴だったろうか。どんなに見た目ばかりいいように取り繕ったって、結局俺の性根って奴は意地が悪くて仕方ないんだろう。デュースの心は、黒くて、どろどろとして、ぐちゃぐちゃになっていく。他に好きな人ができた、シルバーの放つそのたった一言で。祝いたかった。純粋に、いい子の後輩として。おめでとう、頑張ってと言いたかった。うまくいくといいですね、そんなことは言えず、口が紡ぎだすのは余計な言葉ばかり。
「アンタのことを嫌いになれたら……よっぽど、楽なのにな」
――どうして。シルバーはただ、黙って目を見開いた。悲しそうに笑うデュースの瞳を、ただ茫然と見つめていた。
【6】
その日の夕方。シルバーはずっと考えていた。どうして、デュースはあんなことを言ったのだろう。俺のことを嫌いになれたら、とは、なぜ。どうして、俺の好きな人のことを聞きたくないと言ったのか。どうして、どうして、どうして。彼のことを考えていると、どうしてが止まらなかった。お陰で、鍛錬中にもセベクに怒られる始末だ。
「何をぼんやりしている、シルバー! 真面目にやれ!!」
「すまない、集中に欠けていた……次はきっと、」
「……いや。一度休憩を取る。座れ」
「しかし」
「今のまま鍛錬を続けていても同じことだ。僕は質の悪い鍛錬などしたくない。さっさと何があったのかを吐いてしまえ」
シルバーは、やはり分かってしまうかとばつが悪そうにセベクの横へと腰を下ろした。セベクは持ってきていた水筒に飲み物を注ぎ、いくらか口に含みながらシルバーの話を聞きだした。
「……好きな人ができた」
「なんだ貴様、色恋沙汰で呆けていたのか?」
「そう、といえばそうなのかもしれない。だが、想っているだけの間は別に問題がなかった。お前との鍛錬も、身に入らないことはなかった。それはお前も見ていたはずだ。だけど、今は、違う」
「何があった?」
「好きだ、と、告げようと思った。好きな人ができたんだ、と。それはお前のことなんだ、と。言おうとした。そうしたら、途中で、聞きたくないと口を塞がれた。あまつさえ、俺のことを嫌いになれたら、とまで……言われてしまった。……俺はきっと、何か、アイツに嫌われるようなことをしてしまったんじゃないかと思う」
セベクは大きくため息をついた。なぜコイツは自分のこととなると、急にとんと鈍くなるのか。嫌いになれたら、という言葉が出てくるということは、今は嫌いではない、むしろその逆ではないのか。まったく、わざわざこんなことについて手助けしてやるのは腹立たしいが、敬愛するマレウスを守るためであるはずの鍛錬に身が入っていないのはもっと腹立たしい。さっさと解決するべきだ、だからこそ助力するのであって、けしてシルバーのためではないと考えながら、セベクは次の言葉を口にした。
「なぜそんな奴を好きになったんだ」
「我慢強い奴だ。ひとりで、なんでもすぐに抱え込む。それを淋しく思った。俺にだけは弱音を吐いて欲しいとさえ、思った」
「弱音を吐いて欲しい、だと? お前がか?」
「……ああ。俺らしくないと、自分でも思う。ソイツに、こんな気持ちと矛盾することを言った覚えもある。おかしいだろう」
「ふん。そうか。ところで、ソイツの言ったそれはお前の望む弱音ではないのか。お前のことを嫌いになれたら、と言うのは」
「弱音……? それが?」
「そうだ。お前のことを嫌いになれたら、何かが楽になるという弱音なんじゃないのか。ならばそれはお前の願いが叶っただけではないか。お前の弱音が聞けて良かったとでも、さっさとその気持ちを伝えなおしてくればいい」
「しかし、そうだとしても……向こうは聞きたくないと言っていた。俺の告白など、受け入れたくないのではないだろうか」
「ふん、くだらん。それこそお前の弱音だな! 一度や二度受け入れられないからと言って、それで諦める僕たちではないだろう!! 剣を取れ、シルバー! お前のそのくだらない迷いなど、今この場でその剣筋ごと断ち切ってやろう!」
「……望むところだ」
セベクとの鍛錬が終わる頃には、シルバーの心は決まっていた。口頭でなくてもいい。文面でも、なんだっていい。どんな手段を使ってでも、改めてもう一度、ちゃんと己の気持ちをハッキリと最後まで伝えてみよう、と。それでも返事をもらえないのなら、この恋心をキッパリと諦めて、また自分の道へ励むことにしよう。落ち込むのはそれからだって遅くない。セベクの言う通りだ。俺はまだ、この恋に関わる夢について、やれるだけの努力をしきったとは言えない。
鍛錬の後片付けをしていたとき、シルバーはスマートフォンの通知ランプが光っていることに気付いた。そこには敬愛する父親からのメッセージが映っている。
『二人とも、遅くならないうちに帰ってくるんじゃぞ~』
おどけながらも心配してくれるメッセージが嬉しく、わずかにほほ笑む。そうして思った。ああ、そうか。この手があったな、と。リリアの言葉通り、手早く寮に帰ったシルバーは、自身の部屋に帰るなり、スマートフォンの小さな画面相手に慣れないメッセージを打ち込んだ。
『デュース、お前が好きだ』
【7】
ああ、僕はなんて最低な奴なんだろう。デュースは今、ハーツラビュル寮の自室ベッドに身体を転がしていた。シルバーから他に好きな人がいると告げられた瞬間、その口を塞いで、嫌いになれたらだなんて余計なことも言ってしまって、そのまま逃げるようにその場を去ってしまった。
せっかくの休日に、何やってんだ、俺。シルバー先輩とも、せっかく会えたのに。告白されましたよねなんて、余計なこと聞かなきゃ良かった。そうしたら、今頃はきっと。何も知らない僕は、何も知らないまま、先輩と今日も会えたなあ! ……だなんて浮かれていられたはずなのに。
デュースはしばらくそうしていたが、まだ帰宅するには早い時間なせいか、同室の仲間たちは戻ってくる気配がなかった。自分もいつまでもこうして時間を無駄にしているわけにはいかないと、デュースは身体を起こす。
そうだ、ローズハート寮長に渡された問題集とか、いっそクロスワードパズルでも解いてみよう。勉強していれば、少しは気晴らしになるかもしれない。デュースはベッドから立ち上がり、机についた。ペンを手に取り、紙の上へと滑らせ始めた。それでも、何度も何度も、嫌な想像が頭をよぎる。それでも目の前の紙に転がる難しい出題の数々が、次第にデュースを集中させてくれた。
それからどれくらいの時間が経ったろうか。「ただいまぁ。つっかれた~」なんて気の抜けた挨拶をしながら、麓の街へと遊びに出ていたらしいエースたちルームメイトが帰ってくる。賑やかなルームメイトたちの声を区切りに、夢中で問題を解いていたデュースもペンを置いた。
「なに、休日までお勉強? さすが優等生クンは偉いね~」
「僕が何をしてようが、僕の勝手だろ。ったく」
皮肉まじりに手元を覗いてくるエースを適当にあしらいつつ、どれくらいの時間が経っていたのか確認しようとスマートフォンを取り出す。すると、そこには一時間半くらい進んだデジタル時計と、シルバーからのメッセージを示す通知が映っていた。
画面に光るメッセージを見たデュースは、思わず椅子から転げ落ちる。
「うわ何急にどうした!?」
「な、なんでもない!」
「なんでもない奴は急に椅子から落ちねえよ! ったく、ホントお前ってドジ!」
「ドジで悪かったな! 放っといてくれ!」
普段からそそっかしいせいか、エースやルームメイトにはさほど動転を気にされなかったようだ。軽く服を払い、もう一度机に座って画面を眺める。……何度見ても、好きだと書いてある。そうだ、送り先を間違えたのかもしれない! と思ったものの、どう見てもデュースと自分の名前が名指しされている。メッセージがシンプルな分、逃げ場がない。先輩は恐らく、何もどうも間違えてない。デジタル機器は得意じゃないと言ってたはずなのに、こういうことは出来るんだなあとか呑気に考えている場合ではない。デュースはこのメッセージがどういう意味なのかを何度も反芻して考えた。好きだって書いてある。今日、あの別れ方で、好きだって伝えてくるのは、まさか、先輩の好きな人って言うのは僕のことで……いやいや、そんなの虫が良すぎる。これはどういう意味なのか、直接返事をした方がいいのか、早く返信しなきゃ、あらゆることを考えに考えて、悩んで悩みぬいて、通知のランプが光ってから10分ほどが経った頃、ようやくデュースは返事を決めた。
『どういう意味なのかとか、いろいろ聞きたいことがあるので、直接会って話したいです』
勇気を出して送った瞬間、シルバーからはすぐに返事が来る。
『分かった。明日の昼休みでいいか? 中庭で待っている』
普段よりも早く戻る返信にシルバーの本気を感じて、デュースはまたどうしようもない気持ちになるのだった。
(明日会ったら、どんな顔して、なんて言えばいいんだ……)
机に突っ伏したデュースの腕を、またスマートフォンの通知を知らせるバイブがささやかに震わせる。
(なんだよ、誰の通知だ? 今それどころじゃないんだ僕は!)
『追伸 これだけは先に返事しておく。好きだとは、恋愛的な意味での好きということだから、明日はその返事をするつもりで来て欲しい』
画面上にシルバー先輩と表示された文字と衝撃的なメッセージは、何度デュースが頬をつねっても消えることは無かった。
【8】
翌日、昼休み。シルバーは約束通り中庭へと向かう。まだデュースの姿は見当たらないようだとベンチに座って待っていると、小鳥たちが戯れにやってきた。
「お前たち、応援してくれるのか? ありがとう」
小鳥たちはそれぞれ気まぐれにシルバーの髪をつついたり、頭や肩の上に乗ったりと一通り遊ぶと、青い空へ羽ばたいていった。かと思えば、次は色とりどりの蝶がひらひらと飛んできた。シルバーが人差し指を出して止まらせると、蝶はわずかに羽を休め、そしてやはり満足そうに空へと羽ばたいていく。
「……モテモテですね、シルバー先輩」
背後からかけられる声。気配が近づいているのに気付いてはいたが、声の持ち主が待ち人だとは思っていなかったため、シルバーは内心わずかに驚く。
「デュース。来ていたのか」
シルバーが振り向こうとすると、その前に後ろから回された腕が、シルバーの身体を繋ぎ止め、振り向くことを許さなかった。はじめは何が起こっているのか分からなかったが、ベンチ越しに後ろから抱きしめられていると気付いたシルバーは、鼓動が跳ねるのを感じた。
「デュース、」
「シルバー先輩。僕、先輩のことが好きです」
シルバーは目を見開き、驚いた。耳元でささやかれた言葉が、信じられなかった。改めて直接気持ちを伝えようと思うばかりで、色良い返事が来ることは期待していなかった。まったく考えていなかったのだ。正直なところ、玉砕する覚悟でここへ来ていた。だけど、確かに今、好きだと言われた。聞き間違いではない。聞き漏らすはずがない、愛しいその声を。回された腕の熱さが、真実の言葉だと示している。シルバーは嬉しくなり、思わず笑みをこぼす。首元に回されたデュースの腕に手を添えた。
「ああ、俺も、お前のことが好きだ。……できたらこちらに来て、顔を見せてほしい」
「……もうちょい、待ってください……」
「駄目だ。このままでは、俺の心臓の方が持たない。さあ、こちらへ」
半ば強引に隣へ座らせたデュースは、熟れた木苺さえ負けるほどに真っ赤な顔をしていた。
それから二人は、様々なことを話した。いつから互いのことが好きだったのか。
「いつからだったのか正確には分からないが、自覚したのは少し前のことだ。お前が不良生徒に絡まれているとき、自らが弱音を吐くなと言ったくせに、俺には頼って欲しいと思い、なぜ、お前にだけはそんな矛盾したことを願うのかと考えて、出した結論が、お前のことが好きだということだった」
「そう、だったんですね。僕は、先輩が告られてるの見て、他の子と付き合ったらやだなって思って……って感じです」
これから二人で、どうしていくべきか。
「お付き合いとか、するんです、かね。僕たち」
「そうだな。想いが通じないのなら諦めようと思っていたが、せっかく気持ちが通じ合えた今、みすみす手放そうとは思えない。……だが、お前も俺も目指すところのある身なのはよくよく理解している。学業、鍛錬、護衛を優先して……逢瀬をするとしても、その合間の、ほんの僅かな時間になるだろう。……やはり、こういうのは淋しいだろうか?」
「どう、でしょう。きっと、淋しくなる日もあるって思いますけど……、一方で、自分だけじゃなくて、先輩とも二人で頑張ってるんだ、って思ったら、もっと気合い入る日もあるんじゃないかな、って思います。会えない時間があるから、もっと……とかいうわけじゃないんですけど、すいません、僕、なんか変なこと言ってますね」
少し、踏み入ったことまで。
「……ところで、性的な関係は……やはり学生の身、卒業するまではできるだけ同衾程度に留めておくべきだろうかと今は考えているのだが、お前の方はどうだろうか」
「そ、そこまで今考えるんですか!? 先輩僕にそういう興味あるんですか!? や、でも、僕もちょっと興味ある……、いやなんでもない! なんでもないです! 忘れてください!」
「俺をなんだと思ってるんだ。そういった興味もなければ、告白なんてしない。……お前の方にも興味があるということは、覚えておく。今後の参考にする」
「忘れてくださいって!」
やがて昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、シルバーが先に立ち上がる。デュースの頭をぽんと撫で、それじゃあ、またと告げると自分の教室へと去っていった。一人残されたデュースは、どんな顔をして教室に帰ればいいんだと、熱を冷ますため水道で顔を洗ってから教室に戻ることを決意した。
【9】
それからの二人の様子は、さほど変わっていないかのように見えた。……二人のことをよく知らないものからすれば、の話だが。
まず、肩書きが恋人になったばかりの二人が戻った教室では、それぞれのクラスメイトが異変に気付いた。
「お帰りシルバー! あれ、なんかいいことでもあったのか? すごく機嫌が良さそうに見えるぜ!」
「カリム。やはり、お前に隠しごとはできないな。とてもいいことがあった。今度お前にも話そうと思う」
学園に入ってできた親友とも呼べるカリムに、わずかな表情の機微を気付かれるシルバー。
「デュース、遅ーんだゾ! ……ん? オマエ、なんか、顔赤くないか?」
「どーせまた遅刻しそうで、走ってきたんだろ? あれ、それとももしかして……違うカンジ? もしかして、女子に告白でもされた!?」
「ん、んなわけないだろ、ここ男子校だぞ、エース!」
「それもそっか!」
当たらずとも遠からずといった予想をしてくるエースにタジタジのデュース。周囲の気づきは、まだそこまで大きなものではなかった。しかし、やがて二人のことは徐々に公然の秘密となっていく。
ある日の昼休み、デュースとシルバーの二人は偶然時間の空いているときに会えたからと中庭のベンチで話していた。恋人になったあと、何度かこうして会っているうちにデュースの緊張も解れ、また自然と話すことができるようにもなっていた。
「それで、グリムとエースがまたケンカして壁を燃やして、ユウが……」
「一年生の教室は、いつも賑やかだな。俺の方も、カリムが……」
隣同士座って、お互いの近況を報告したり、他愛のない世間話をするだけ。それでも二人でいられることが、互いにとって嬉しい時間だった。そんなとき、コツン、と小さな音を立てて、デュースの指がベンチに置かれていたシルバーのものに当たった。
「あ、す、すいません……」
「……いや」
ふと、会話が途切れた。シルバーは横目にデュースの様子を見る。顔が赤いように見えた。デュースの指は、何かもじもじと動いている。シルバーは少し手と手の距離を縮めて、デュースの指に己のものを絡ませた。
「あ、の」
「………………」
シルバーがそのままデュースの手を握ろうとした瞬間、突然、ダンッ、と二人の真ん中にあるベンチの背を踏み込んでいく靴音がけたたましくその場を跳ねた。
「しししっ、近道近道~!! おっとそこのお二人さん、ちょいと真ん中失礼!」
突然現れ、そして瞬く間に見えなくなっていくラギーに、二人は茫然とする。繋ごうとした手も、その拍子に外れてしまった。
「……すまない。驚いた」
「いえ、僕も……びっくりしました」
再び、二人の間を沈黙が満たす。このままでは良くないとシルバーが重い口を開いた。
「……今度は、邪魔の入らない場所で」
「は、はい……」
そのあとの二人は、会話にならない会話をぎこちなく続けるのみだった。
また別の日の昼休み。デュースはエースやグリム、ユウなど普段からつるんでいるクラスメートと共に学食へ来ていた。好物のオムライスを注文し、席について、それからすぐに気付いた。少し離れた席だが、顔の見える位置にシルバーの姿があることを。
シルバーは普段行動を共にしているリリアやセベク、マレウスと共に食卓を囲んでいるようだ。デュースは姿を見つけたことが嬉しくなり、本当は恥も外聞も捨てて近くの席に行きたい気分でもあったが、先輩は護衛の仕事中なのだからと自分を律し、その姿をちらと眺めながらスプーンを口に運ぶことに専念していた。
一方、シルバーはといえば、たまには違うものを食べてみろとリリアにつつかれながらも好物であるきのこリゾットを淡々と食べ進めていた。しばらくはきのこのおいしさを堪能していたが、どこからか視線を感じ、その気配を辿る。すると視線の先には最近できた年下の恋人の姿があり、いくつかのテーブルと椅子越しにばちりと目が合った。
目が合った瞬間、デュースは顔をぱっと赤くしてなんでもないですよと言いたいかのように急いでオムライスを口へと運ぶ。分かりやすい奴だ、とシルバーも内心照れの気持ちを抱きながら、自身の食事を口に運んだ。誰にも気づかれない、ほんのささやかな逢瀬……だと思っていた。しかし、そのときシルバーの周りにいたのは、不幸にも自分の特性や表情をよく知る手練れのリリア、セベク、マレウスの三人だった。
「なんじゃ、急に照れてどうしたシルバー? なんぞ良いことでもあったか?」
「おや、そうなのか? 僕には普段通りに見えたが……どうなんだ、シルバー?」
「い、いえ、その……」
シルバーは思う。おかしい。今の俺は表情や態度には出していなかったはずだ。それでも自分のことを赤子の頃から知っているこの二人にかかれば、分かってしまうものなのだろうか。
「若様が気にするほどのことではありません! コイツに慕う人間が出来ただけのことです! 大方、思い出してでもいたのでしょう!」
「セベク、声が大きい!」
「おやおや、慕う人間が……。シルバーももうそんな年頃か」
「ほうほう、そうじゃったか~。シルバーが知らん間に大人の階段を登っておったとは、ちーっとも気付かんかったわい! 早う言ってくれれば、のう?」
わざとらしく知らなかったフリをするリリアに内心呆れながら、シルバーは残ったリゾットを飲み干した。
「午後の学業が開始いたしますので、俺はこれで失礼します」
「まあ待て待てシルバー、鐘が鳴るまでにはまだ時間があるじゃろ?」
「そうだ、相手はどこのどのような者だ? じっくり聞かせてもらわなくてはな」
「それは、そのうち……早ければ今日の晩にでもまた改めてお話ししますので……」
「そうかそうか。では今日の昼休みはあそこにいる下級生でもからかって時間を潰してくるとするか、のう?」
そう言って笑うリリアの目はバッチリとデュースを含めた一年生を獲物のように捉えている。ああ、完全にバレている。目上の、それも敬愛する二人に捕まってしまっては、シルバーは最早こう告げるしか道は残されてはいなかった。
「……せめて、もう少し人目につかないところでお願いします……」
【10】
そうして場所を移したシルバーはあらゆる馴れ初めやらどのくらい関係が進んでいるのかやらを根掘り葉掘り聞き出され、二人の関係はディアソムニア寮のシルバーに親しい者たちの知るところとなった。シルバーは正直、散々このことでからかわれることを覚悟したが、予想に反してリリアもマレウスも激しくからかう素振りは見せず、たまに彼らの関係を揶揄するに留める程度だった。むしろマレウスに至っては、たまには共に出かけてくるといいとシルバーに度々休日や街への遣いを与えるようになった。始めの頃は珍しいことだとばかり思っていたが、セベクに「阿呆。それはマレウス様からのお気遣いだ」と指摘され、ようやくデュースを誘ってもいいのだということに思い至った。
そんな周囲の協力の甲斐もあってか、いよいよシルバーは初めてのデートの約束をデュースにこぎつけられた。
「……俺が鈍くて、気付くのに時間がかかってしまったのだが、たまにはお前と過ごせということらしい。本当は自分の意思で誘うべきなのだろうが、せっかく作ってくださった機会を逃しても良くないと思う。俺と共に過ごしてくれるか?」
「は、はい、もちろん! むしろ、僕の方も……いえ、なんでもないです!」
「なんだ? 何か問題があるのなら、言ってくれ」
「いえ。むしろ僕の方から誘ってもいいんだぞ、って、ヴァンルージュ先輩やドラコニア先輩にたまにせっつかれてたので……」
シルバーは思う。俺の知らないところでデュースに接触していたのか、お二人とも。どうやら俺たちの関係は、あの二人にとって中々の目新しい娯楽のようだ。いい人たちではあるのだが、少しばかり……いや、かなり自由なところもある。俺はかまわないが、デュースの負担になっていないかが心配で仕方ない、と。
「それは……すまないな。お二人の気遣いは、お前の負担にはなっていないか?」
「大丈夫です! それこそ、気にかけてもらえてるっていうか、僕のことも受け入れてくれてんだなって感じがして、嫌じゃないですよ」
「そうか、なら、良かった」
こうして二人は、恋人になってから初めて休日を共に行動することとなった。しかし、デュースの方は早起きしてしっかりと準備を整えたが、ドアノブに服を引っかけて盛大に転ぶトラブルなどに見舞われ、シルバーの方は前日にいろいろ考えすぎて眠れず多少の時間を寝過ごし、二人が集合できたのは待ち合わせの30分後であったのだが。
「すいません、出がけに服が破れて……、本っ当にお待たせしました……!」
「気にするな。俺も寝過ごしてしまって……嘘でなく本当に、たった今着いたところだ。俺こそ待たせてしまいかねないことをした。すまない」
二人は顔を見合わせて笑う。せっかくのデートなのに、いや、せっかくのデートだから気合いが入り過ぎたんだな、と。それから二人は簡単な地図を広げ、街を歩きだす。
「買い物のメモとかありますか?」
「ああ。重いものはあとで買おうと思う」
「なら道順は、ええっと……。途中でお昼とかも食べなきゃいけないから……」
「こういう風に辿ればいいんじゃないか?」
「いいですね! それで行きましょう!」
デートの内容は、麓の街でリリアやマレウスに頼まれたものを含めた買い物をするだけの簡単なものだったが、それでも普段よりずっと長い時間一緒にいられることに二人は幸せを感じていた。買い物リストのチェックを埋めながら様々な店に立ち寄り、あれこれと物色をしているうちに、やがて空は茜色に染まっていく。
「そろそろ、お前を帰してやらなくてはならないな」
「もうそんな時間か……。名残惜しいですね」
「ああ。だが……また、このような時間を過ごそう。ほら」
シルバーはデュースの手に、ティーカップから紅茶を飲むウサギのついたキーホルダーを握らせる。
「これって?」
「先ほど見かけて、お前のようだと思った。だから、買っておいた。今日の記念だとでも思って、もらってくれると嬉しい」
「あ……ありがとうございます!」
デュースはぎゅっとウサギのキーホルダーを握りしめた。
「先輩、先輩も何か、欲しいものはないですか? 僕ばかりもらうのじゃ……嬉しすぎて、割に合いません!」
「俺? 俺は……」
シルバーは周囲を見渡す。すると、ひとつのキーホルダーが目に入った。シルバーはそれを手に取り、デュースに手渡す。
「なら、これを」
「これ……これですか!?」
それは、スペードのマークが描かれたトランプのキーホルダーだった。4つのスートごとにAからKまでのバリエーションがあり、好きな柄を選ぶことができる。その中でもスペードの2が描かれたものをシルバーは選んだ。
「これは確か、お前が寮の制服を着ているとき掲げられているものと同じマークだろう。見かける度にお前と今日のことを思い出せそうで、これがいいと思った」
「……わ、分かりました! 買ってきます!」
デュースはキーホルダーを握りしめ、店内に入る。やがて会計を済ませると、デュースは小さな紙袋を持ってそれをシルバーに手渡した。
「どうぞ!」
「ああ、ありがとう。大切にする」
「こちらこそ、なんていうか……ありがとうございます」
やっぱり僕ばかり嬉しいをもらってる気がする、とデュースは一人ごちた。シルバーはそれを聞いて、こう言った。
「なら、俺も少し嬉しいをもらおうか。帰りは行きと違う道を行くが、かまわないか? 少し遠回りだから、遅くなるが……」
「はい、それは全然大丈夫ですけど」
「良かった。なら、行こう」
デュースは言われるままシルバーの案内する道を進む。すると、道路などの舗装も弱くなり、人の気配が少なくなった。
「少し歩きにくい道だが、そのぶん、人通りも少ない。だから、こういうこともできるかと思った」
そう言ってシルバーはデュースの手を握る。握られた手の温度が熱いことに気付いて、デュースの胸はドキリと音を立てた。
「……迷惑、だったろうか?」
「いえ、そんなことは! ただ、ただ、えっと……」
デュースは強くシルバーの手を握り返す。シルバーの手には、デュースの手からドクドクと脈打つ感覚が伝わってくるのが分かった。ああ、そのただ、の続きは。ドキドキして何も言えなくなるんだな、と。
「嫌じゃないのなら、良かった。このまま帰ろう、デュース。……歩くのは、ゆっくりでいい」
「……はい」
夕焼けの太陽が沈み、一番星が登り始める帰り道を、二人はゆっくりと歩いて帰った。いつかの雨の日と同じように、言葉は少なく、ぽつりぽつりと話すばかりだったが、それでも、あの日よりもずっと、とても幸せだった。
【11】
それから二人は、幾度かのデートを重ねた。二度目のデートも、一度目と同じように街での買い物だった。
「へへ。実は、次はいつかなって楽しみにしてました! 誘ってもらって、ありがとうございます」
「……いや。俺も、いつ誘おうか、と考えていた。ちょうど機会をいただけたので誘ってみたが……喜んでもらえたのなら、嬉しい」
初めてのデートと同じように、買い物のメモを見て、二人であちこちの店を巡って、そして、同じように、人気のない道を手を繋いで歩いた。ただひとつだけ、一度目のデートと二度目のデートで違うことがあった。それは、二人の距離がより近づいたこと。
帰り道、やはり人気のなく薄暗い夜道を二人で帰っていく。ゆっくり、ゆっくりと、残り時間を名残惜しむように。休日に静かな雨音を楽しむように、ぽつりぽつりと話すお互いの言葉を聞き漏らさないように、言葉を交わしながら。
「あの、えっと……いきなりなんですけど、変なこと言ってもいいですか?」
「ああ……なんだ?」
「……好き、だなあって、思います。こうして、先輩と、この道で手を繋いで、星を見てると……」
不意に、シルバーが立ち止まった。シルバーはデュースを振り向き、きゅ、と唇を固く結んだ。そうして、繋いだ手を引き、デュースを自身の腕の中に閉じ込めた。
「シルバー、先輩?」
「……すまない。少しだけ、こうしていてもかまわないだろうか」
「それは、もちろん、いい、ですけど……」
バクバク鳴ってる心臓の音が聴こえてしまいそうだ、とデュースは心の中で呟く。そんなこともお構いなしに、シルバーは静かにささやいた。
「俺の方こそ、お前のことを……好きだ、と思う。この星の見守る夜道で、お前に好きだと呟かれれば、それだけで、こうして、腕に閉じ込めて、帰してしまいたくなくなる……」
「せん、ぱい……」
今度は、デュースの方がきゅっと唇を固く結んだ。大好きな先輩が、ここまで言ってくれてるのに……何も返せないままの自分じゃ、嫌だ。俺も、僕も。何か、好きだ、大好きだって、溢れる気持ちを伝えたい。
「……シルバー先輩」
「ああ」
デュースは、シルバーの頬に手を添えた。そして、そのまま、シルバーの頬に向けて、静かにキスをした。
「好き、です。僕も……」
「……困った。どうやって、返していいか、わからない」
シルバーは、また、抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。永遠に感じるほど長いようで、ほんの短い時間、二人はそうしていたが、じきに帰りの遅い二人を心配したスマートフォンの通知音で、別れの時間に引き戻された。
「すまない、引き留めてしまったな。……帰るか」
「いえ……あの!」
「なんだ?」
先を歩き出したシルバーに追いついて、デュースはその手を握りながら、言う。ほんのり赤くなった頬のままで、恥ずかしそうに笑って。
「……次のデートでは、口にしましょう、ね」
シルバーは一瞬驚いたあと、瞬いて、柔らかく不器用な笑みを浮かべた。
「……ああ」
三回目のデートは、デュースから誘った。リリアやマレウスにお前からも誘ってみろとせっつかれていることもあったし、何より放っておくと彼らにすべてをセッティングされてしまいかねない勢いだったからだ。デュースがシルバーを誘った瞬間、彼が予定を確認しようとするよりも先に背後というか頭上からリリアが現われ「たった今マレウスに伝えた! その日のお前は休日じゃ!」と告げて去って行った。
あまりの勢いに呆気に取られながらも、それじゃあご厚意に甘えようか、と互いに笑い合うくらいには、振り舞わされながらの逢瀬に慣れてきていた。
今回の行き先は、せっかくならば少し遠出をしようと二人は海沿いの街を歩いた。デュースがマジカルホイールで連れていくことも提案してはみたが、寝てしまっては危ないからと却下になり、箒で行こうかという話も出たが、僕はまだ街中で箒に乗れるほど上手くないのでとデュースが遠慮したことから、電車やバスの旅になった。必ずと言っていいほど車内で眠るシルバーの肩をもたれかからせるように引き寄せたり、起こすときに「着きましたよ」と傍でささやけることに嬉しさを感じたのは、デュースだけが持つささやかな秘密だ。
海沿いなだけあって、海産物を並べている店や、海のものをモチーフとした店が様々に並んでいた。その中でも二人の目を引いたのは、小さな水族館だった。水族館というには規模は小さいが、そこには賢者の島の周辺に棲む魚たちがいくらか水槽に入って展示されていた。中にはクラゲやサバもいて、リーチ先輩を思い出しますね、と言う言葉と、フロイドを思い出すな、という言葉が被ったりもした。
水族館の中は、人がいなく、静かなものだった。今までのデートで、手を繋いで帰った綺麗な星空の道を思い出すなあ、とデュースは独り言のように呟いた。シルバーも、隣に立つデュースの瞳や髪に水面の揺らぎが反射するのを綺麗だと眺めながら、ああ、そうだな、と呟き返した。シルバーの瞳を横目に見つめるデュースにも同じことを思われているとは、露ほども思わずに。
それから二人は、帰る前にせっかくだから、と少しだけ浜辺に降りた。時期外れの海辺には人影はほとんどなく、二人だけだった。トンネルのようになっている岩陰をくぐったデュースが、こっちこっちとシルバーを呼んだ。はしゃいでいるのか、楽しそうだなとシルバーがそれを追いかけると、岩陰を潜り抜けた瞬間、デュースに抱き着かれた。
「デュース?」
「……先輩!」
デュースは照れくさそうに、けれど、とても楽しそうに、期待した目でシルバーを見上げた。もう待てない、というような顔をしていた。
「約束、覚えてますか?」
「……ああ、もちろん」
シルバーは、すぐに思い至った。二度目のデートの最後にした約束。今度は、口に――。シルバーはデュースの顔を引き寄せ、瞳を閉じた。それを見たデュースも、目を閉じた。寄せては帰す波の音が聞こえているのに、二人は、世界の時間が止まったように感じた。ちゅ、と柔らかな感触がして、距離が離れた。お互いの唇にほう、と吐息がかかるのを感じて、二人は、それほど互いの距離が近づいてしまったことを自覚し、頬や耳を赤くした。
「あ、はは。なんか、照れます、ね」
デュースはパタパタと頬を手で扇ぎながら、ぎこちなく笑う。
「そう、だな」
シルバーもそれにつられ、どことなくギクシャクしてしまう。それでも、シルバーは、もう一度デュースの腕に手を伸ばした。
「……もう一度」
「あ……」
白く泡立つ波だけが、二人の時間を知っていた。
四回目のデートは、なんとシルバーの部屋で行われた。ルームメイトがしばらく帰省することになったから、遠慮なく勉強を教わりに来るといいという建前で。もちろん真面目な二人は建前だけでなく本当に勉強もしたのだが、恋人である以上それ以外の目的もあった。勉強に一区切りがついたところで、デュースはシルバーからそろそろご褒美の時間にするか、と提案された。この頃になると、シルバーもかなりデュースに軽口を叩くようになっていた。気安い感じが嬉しくなって、デュースは、もちろんもらいます、とベッド脇に座るシルバーに飛びついた。シルバーは、困ったやつだな、とそれでも嬉しそうに笑って、飛びついたデュースの頭を撫でて受け入れた。
しばらくは抱きしめ合って、頬を撫でたり、見つめ合ったり、くすぐってみたりと、ちょっとしたことを喋りながらささやかなじゃれあいを繰り返していたが、どちらからともなく、好きだという言葉を口にしたのをきっかけに、唇を触れ合わせた。
ここには他に誰もいない。誰にも見られない。今は邪魔する人もいない。だから、もっと近づきたい。そんな気持ちが、二人をそうさせたのか、何度も繰り返したキスのあと、シルバーは鋭い目線をこぼすと、デュースに深く口づけ、その口の中へと舌を差し込んだ。デュースはこれを自然と当たり前に受け入れ、吐息をこぼした。
「ん……は、あ」
「……デュース」
二、三度、同じキスを繰り返した。二人は見つめ合い、そして、デュースは、シルバーの肩に顔をうずめた。シルバーは、くすぐったさと、デュースの髪が触れた素肌が温度を持つのを感じた。
「先輩、前、『学生の身だから』って、言ってましたけど……」
「……あ、ああ」
シルバーの心臓が、ドキリと音を立てた。もしや、この流れは、その先を求められるときが来たのだろうか、と。
「僕も、優等生らしくないことはしちゃダメだって思います……。でも、同衾って、同じベッドで、一緒に寝る、ってこと、なんです……よね。それくらいは、期待してても、いいってことなんですか……?」
デュースは熱を持つ潤んだ瞳で、シルバーを見つめた。シルバーはその熱望に耐えきれず、デュースを抱き込むことで視線を外した。それから、ようやくのことでこう呟いた。
「……次の誘いは、外泊届を出してくるといい」
「……は、い」
夕方を知らせる鐘が鳴るまで、しばらくの間、二人はそのまま動けず抱き合っていた。互いの熱が重なり合って、増えていくような気さえしていた。
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