ESPADA

「ははっ。やっぱり僕、先輩のことが好きです!」
 夏の日差しが照り付けるある日のこと。太陽の降り注ぐ運動場の隅で、その言葉は俺に向けられた。ざわざわと風の吹き抜ける木の陰で、走り終えたばかりの頬を赤くしたデュースに、俺は飲み物を差し入れに行った。木陰で大の字になって涼むデュースの頭越しに、冷えたペットボトルを差し出す。するとデュースは俺を目に映すなり、先の言葉を俺に向けた。
「知っている」
 コツン、と結露して濡れたペットボトルをデュースの額に軽く小突くようにぶつける。デュースはへへ、と笑って差し出されたそれを受け取った。デュースがなぜ今、俺に向けて告白してきたのかは分からない。分からないが、推測はできる。大方、走っているうちに気分が上がってしまい、その勢いで言ってしまったというところだろう。なぜなら、こうしたデュースの告白は、これが初めてのことではないからだ。
 数週間前のまだ夏が始まろうかという頃。その頃に、俺はデュースから初めての告白を受けた。それは、運動場の水飲み場で、デュースと偶然二人になったときのことだ。お互い、今日と同じように、休日の自主鍛錬中だったと思う。運動で火照った顔を洗って、喉を潤して、立ち去ろうとしたとき、デュースに呼び止められて、言われたんだ。
『先輩。僕、ずっと、シルバー先輩に憧れていました。目で追って、体で追いかけて、そのうち、心まで引っ張られるようになった。好きです、シルバー先輩。僕、今……どうしようもないくらい、シルバー先輩のことが大好きなんです!』
 赤い顔だった。真剣な目だった。握られた手が汗ばんでいて、言葉よりもずっと、緊張しているのが伝わってきた。本気なのだと思った。
 そのとき、俺はどういう返事をしたのかというと……正直なことを言えば、きちんとした返事はできていない。『そうか』と一言だけ受け取って、その場を去ってしまったのだ。俺は、デュースの言葉を肯定も否定もしなかった。だから、何事もなかったことになるんじゃないか、と思うこともあった。けれど、それは違った。
 それからというもの、たまにこうして、デュースは二人になったとき、俺に向けて隠さない好意を告げてくるようになった。俺は最初の告白のときと変わらず、それを肯定も否定もせずただ受け止めるだけだ。良くないことをしていると、自分でも思う。一つ年下の後輩相手に、都合の良いことをしていると思う。自分がその想いに応えられないのなら、より残酷なことをしているのだろうと思う。だけど俺は、デュースの想いを否定したいとは、初めから一度も思っていない。むしろ、肯定してやりたいと思うことさえある。
 ――こんな気持ちを持っていながら、一方的に好意を伝え続けさせるのは、どれほど狡いことなのだろう。そして俺は、デュースのことをきっと憎からず想っているのに、どうして、それをコイツに早く伝えてやれないのだろう?
「先輩? どうかしました?」
「あ、ああ……少し、考えごとをしていた。すまない、何か話していたか?」
「いえ、僕の方は大丈夫です。それよりも、先輩の方が具合とか悪いんじゃ……」
 デュースの手が俺の方へ伸ばされる。いけない。このままでは、デュースに触れられてしまう。そう思うと、身体がびくりと震えた気がした。デュースの手を制止して、身体を離す。
「……なんでもない、平気だ」
「そうですか……」
 デュースは気にした様子もなく、すぐに手を引っ込める。
「無理、しないでくださいね。倒れたら元も子もないですから!」
「ああ、気を付ける」
 デュースの真っ直ぐな目が、いつだって俺を射抜く。負けじと見つめ返してしまうが、いつも先に逸らすのは俺の方だ。意識している。間違いなく、俺はあの日からずっと、デュースのことを意識しているんだ。しかし、それを言い出せない理由がきっとある。それがなんなのかは分からないが、俺の中で何かが引っかかり続けているんだ。
「デュース、俺は……」
「はい」
「………………」
 困った。なんと言葉を続けていいか、分からない。俺は本当はお前のことが好きなんだ、と、今ここで言えてしまえたら、どんなに楽だろうか。きっとデュースも喜んでくれるだろうと思う。なのに、俺は、まだその言葉を口にできないでいる。心配そうな顔で、デュースは俺の言葉を待っている。
「先輩」
「……すまない、デュース。うまくまとまらず、言葉にすることができない」
 俺がそう告げると、デュースは身体を起こして、俺に向けてこう言った。
「先輩。ここにいるってことは、先輩も今日休日ってことですよね。ちょっと、今から一緒に出かけませんか」
「……今からか?」
「はい、すぐ近くなんで!」
 そうして外出許可を貰い、連れてこられたのは辺り一面が黄色の絨毯で埋め尽くされたようなひまわりの畑だった。学園の近所に、このような景色があったとは。親父殿は夏らしいものが好きだから、喜ぶかもしれない。マレウス様にも、この美しい景色をお見せしたい。セベクはひまわりの種もたくさん食べるのだろうか? 俺の心にはそのような感情が浮かんだ。
「先輩、帽子です。管理小屋で借りてきました!」
「すまない、助かる」
 デュースは二つの麦わら帽子を持って、片方を俺に渡してきた。帽子をかぶると、その上にかわるがわる蝶が止まった。足元をよく見れば、モグラやネズミなども集まってきている。
「はは、相変わらず小動物に好かれるんですね。中も歩いてみませんか?」
「ああ、今行く」
 動物たちに別れを告げ、ひまわり畑の中の小道を歩いていく。暑いせいなのか、辺りに人はおらず、広いひまわり畑の中、デュースと二人きりだ。中央の交差路に差し掛かったとき、デュースは立ち止まり、俺を振り向かずにこう言った。
「先輩、この前から僕に、何か……言いたげにしてますよね。ここなら、誰にも聞かれないと思うんで……」
 なんでもどうぞ、とデュースは拳を握りしめている。……ああ。きっと、コイツは思っているんだ。俺の告げる言葉が、デュースの想いを拒む言葉だと。だけど、それは違う。それは違うんだと、示したかった。デュース。俺は、俺はただ――
「デュース」
 デュースの腕を掴み、引く。まだ、デュースは振り向かない。そのとき強い風が吹いて、それはデュースの麦わら帽子をさらった。デュースは麦わら帽子を掴もうとして、振り向いた。デュースの手は空を切った。俺は、そのまま風で飛んできた麦わら帽子を手に掴む。左手には麦わら帽子を持って、右手ではデュースの腕を引いて、俺は帽子で隠すように、デュースに口づけた。
「……っ!」
 デュースの目が大きく見開かれる。それはそうだろう、向こうは俺に拒まれると思っていたのだから。唇が離れると、デュースは驚いたまま顔を赤くした。
「え、なんで、先輩」
「……」
 デュースを、地面に押し倒す。やましい気持ちがあってのことではない。ただ、身体が勝手にそう動いていた。一度あふれた想いは、もうせき止められなかった。
「デュース。好きだ。本当は、きっともっと前から、俺もお前のことが好きだった。今日ここに至るまで、言えなかったのは……俺が、弱いせいだ」
「弱い、って?」
 デュースは身体を起こし、俺に手を伸ばす。今度は、俺は、この手を拒まなかった。拒めなかった。拒みたくなかった。愛しいその手を。その手を握りしめて、懺悔するように吐き散らした。
「ここへ連れてこられたとき、真っ先に俺は、マレウス様のことを考えた。親父殿のことを考えた。セベクのことを考えた。お前に好きだと言われた日、あのときあの瞬間、お前との未来を思い描いた。そのときに、怖くなった。俺は、お前の過去をもう知っているから」
 過去。その言葉を口にしたとき、デュースの身体が一瞬びくりと震えた。デュースには、昔、悪行を働いていた過去がある。だが、今は改心していて、良い人になろうと日々努力をしている姿を俺は知っている。俺自身は、デュースの努力を、今の姿を、受け入れている。だけど、俺の大切な人たちは――どう思うだろうか? ああ、初めから俺は、ずっと、このことが怖かったんだ。
「俺の大切な人たち……マレウス様や、リリア先輩や、セベク。お前を受け入れることが、家族に拒まれるんじゃないかと思うと、怖くて仕方なかったんだ……! 俺は、お前が好きだ。大切な人の一人だ。だから、好きだが、好きだからこそ、大切な人たちの間で、拒み合いが生まれるんじゃないかと思って……それが、何よりも怖かった……!!」
「……先輩……そう、だったんですね」
「……それだけじゃない。いつか、どこかで、遠く離れる日が来るのではないかと。いいや、必ず来るだろうと。俺とお前の夢は、目標は、違っているから。今が穏やかな幸せに満ちていればいるほど、それが壊れる日を、俺はずっと恐れていた。だから、今まで……ずっと、お前の想いを分かっていたのに。知っていたのに! ……ずっと、応えてやれなかった。すべて、俺の弱さが招いたことだ。すまない、デュース。すまない……」
「……先輩」
 デュースは、また腕を伸ばして、俺の身体を抱きしめた。
「謝らないでください。大切な人を守りたいって気持ち、分かります。僕にも、母さんがいるから。昔の僕みたいな奴が母さんに近づこうとしたら、僕だって黙っちゃいられない。不安にだってなる。先輩は、弱くなんかない。いつどんなときだって、大切な人を守ろうとする、強い人です。そういう先輩だから、僕は好きです」
「デュース……」
「弱いのは、むしろ僕の方だ。先輩を安心させられるような奴に、まだなれてないってことだから。でも、先輩。先輩がそういう気持ちなら、今まで通りだって、僕はいいんです。これだけ分かっていてくれたら」
「……なんだ?」
「俺はもう、向き合うって決めたんだ。過去の馬鹿も、やらかしも、それで今苦しむことになることも、全部。もちろん、やり直せるならやり直したい。だけど、そうじゃなきゃ今日まで歩いてこられなかったのも、今、それを馬鹿だなって思うのも、結局どっちも僕なんだって思うから」
 デュースは立ち上がり、土埃を払うと、俺に手を差し伸べた。
「もし。もし、まだ先輩が僕のことを好きでいてくれるなら……見守っててくれませんか。先輩が安心して家族に紹介できるくらいの、優等生になります。立派な人になります。必ず、目指します。今まで通り、ただ、受け止めてくれているだけでいい。傍で、見守っていてほしいです」
「俺は……」
 デュースの手を取り、立ち上がる。
「……嫌だ。見守るだけなのは、もう終わりにしよう。本音を吐いて、頭がスッキリした。改めて考えてみれば、怯えてばかりいないで、俺も努力すべきだ。お前のことが、家族に、大切な人たちに受け入れてもらえるように。……少しずつ、伝えていきたいと思う。お前の良さや、努力のことを。そして、今まで伝えられなかった分、お前に……返したい。受け取った好意を、愛情を」
「先輩……本当に、いいんですか」
「ああ、かまわない。……デュース。ここへ連れてきてくれて、ありがとう。なんだか色々と、吹っ切れた気がする」
「なら、良かったです! ……あの。じゃあ、少しだけ。手繋いで帰りませんか。ひまわりが隠してくれる間だけでいいので……」
「……ああ。そうしよう」
 こうして俺たちは、互いを想い合うところとなった。以前よりもデュースは、想いを伝えてくる頻度が控えめになった。代わりに、俺から想いを伝えることも多くなったからだ。言われてみると照れますね、なんてデュースは恥ずかしそうに顔をかいていた。
 俺は、その後少ししてから、大切な人が増えました、とディアソムニアの談話室で、マレウス様、親父殿、セベクの三人に告げた。受け入れてもらえるかどうか、とても不安だった。デュースは、過去に傷を持つ男だ。男同士ということから受け入れてもらえるかどうか分からないのに、と、家族の反応はとても怖かった。だけれど、三人の反応は、俺の思っていたものとは全然違った。
「やっと紹介してくれるのか」と言って、溜め息をついたんだ。どうやら俺の心配はすべて杞憂だったようで、三人には俺が誰を想っているか、とっくの昔にバレていたのだという。
 俺は、家族にも、恐れていたことを聞いてみた。恐る恐る告げた。デュースには罪を犯した過去があって、それでも良いのですか、と。セベクは難しい顔で黙っていた。マレウス様はふむ、と考えた。親父殿は言った。それはわしらが決めることではない、お前がそれを受け入れると決めたのなら、それでも相手を好きだと思うのなら、我らもお前のその気持ちを受け入れる努力をすべきことじゃ、と。セベクとマレウス様は、親父殿の言葉に頷いた。
 嬉しかった。暖かな想いに、暖かな人たちに囲まれていることが。ただ、とても、嬉しかった。今度寮に連れてきます、と言った。歓迎しよう、とマレウス様が応えてくださった。仰々しいな、もっと気軽に連れてこい、とセベクが文句を言った。どの言葉も、とても嬉しかった。
 後日、寮へ連れてきたデュースは、未熟なところもあるものの、宣言通り立派になれる未来を思わせる振る舞いをしてくれた。マレウス様とも、親父殿とも、セベクともそれぞれ仲が良さそうで、安心した。これならきっと、俺は共に歩んでいける。
 また後日、教室の窓を開けると、夏の終わりを告げる涼やかな風が窓から入り込んだ。運動場からこちらを見つけて手を振るデュースに、手を振り返す。するとデュースは嬉しそうに、歯を見せて笑う。そしてまた、風を切り走り出していく。
 俺はそれを見つめ、夏に吹く嵐のような強い芯を持つ、一陣の風のような恋人を想い、これからの未来を楽しみにするばかりだった。
*おしまい

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