ある教室の中、シルバーとデュースは二人きりでいる。シルバーの指先は耳の上にかかるデュースの髪を撫でつけ、逆側の手はデュースの背中を抱き寄せ、彼を腕の中に閉じ込めた。
「……もっと欲しい、と思ってしまう。あの頃の俺は、なんて無欲だったのかと」
シルバーは髪をさらったばかりのデュースの耳元に手を添え、ささやく。くちづけたい、かまわないか、と。
「……えっと……」
デュースの視線が上下に泳ぎ、それから覚悟を決めたようにギュッと強く瞑られる。シルバーはその頬に手を添え、ゆっくりと距離を近づけた。カチ、コチ、と時計の音が大きく聞こえる。雨音が響く中、二人が甘い時間を過ごすようになったのは、三週間ほど前のあの日が始まりだった。
――つい先日のこと。シルバーは無自覚に想いを寄せていた後輩であるデュースから告白され、自分の気持ちを自覚するに至り、無事に互いの想いを確かめられた。あれからというもの、すれ違いに会えば挨拶だけでなく近況の話をするようになり、さらには互いの都合が合えば昼食や勉強、鍛錬などを共にすることも増えた。それでも事情を知る周囲からは本当に恋仲なのか、ただの仲の良い先輩後輩ではないかと疑問の声が上がるほどささやかな接触だったが、シルバーにとってはそれだけでも十二分に満足のできる繋がりであった。
それから二、三週間ほどが経ったある日の昼休み。シルバーは中庭の日当たりの良い木の下で、デュースがぐっすりと眠っているところを発見した。手には見覚えのある書き込みがされた数学の参考書がある。筆跡から察するに、彼が所属するハーツラビュルの寮長であるリドルからのお下がりなのだろう。どうやらデュースは勉強しているうちに木漏れ日の暖かさに負けて寝落ちしてしまったようだ。シルバーはこれを珍しいと思った。自分はもっぱら起こされる側であることが多く、起こす側に回れるのは非常に稀なことであるからだ。勉強中に寝てしまったのなら、デュースにとっても起こした方が得だろう。シルバーはデュースに声をかけ、起こしてみることにした。
「デュース、起きてくれ」
「……」
どうやら軽く声をかけただけでは起きてくれそうにない。さらにデュースと呼びかけながら肩を叩いてみる。起きない。これはまずい、このままでは自分まで昼下がりのうららかさにつられて眠ってしまいそうだと考えたシルバーは、何か良い案はないものかと思考を巡らせる。手持ちの飴でも口の中に入れてみようか。いや、いきなり口に物を入れて喉に詰まらせたら危ない。それはやめておこう。……眠気覚ましの薬でも飲ませてみるか? 本人の同意なく薬を飲ませるのは良くない。考えながら意識が遠のきかけたとき、目の前からおずおずと聞きなれた声がして目が覚めた。
「あの……先輩、なんで僕の手を取ってるんですか?」
「ん?」
気が付くと、目の前には目を覚ました赤い顔の後輩と、その手を取る自分の手があったことにシルバーは気付いた。考え事に夢中になっているうちに、いつの間にかデュースの手を拾い上げてしまっていたようだ。
「お前が眠っていたから、どうやって起こそうかと考えて……どうやら俺の方が眠りかけていたようだ」
「はは、そうだったんですね。すいません、起こしてくれてありがとうございます」
デュースは芝生に落としていた参考書を拾おうとする。そのとき、シルバーの手に邪魔をされてしまい、身動きしづらいことに気付いた。
「あの……先輩、手、いいでしょうか」
「ああ、すまない」
お互いどこかぎこちなく手を離す。運動のための準備体操など、なんらかの理由により手を取ることなんて今まで何度でもあったことだが、恋仲になってから意識して接触するのは初めてのことであった。デュースが手のひらに残る温度を握りしめている一方、シルバーはあっさりと離されてしまった黒い手袋越しの体温を淋しく感じ、手のひらを眺める。
「先輩、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。それより、次の授業に遅れてしまう」
シルバーの言葉を受け、時計を見たデュースは慌てて撤収の準備を始める。シルバーはそんなデュースのことを見守りながら、己の心に芽生えた一抹の淋しさに疑問を抱くのだった。
それから幾日かが過ぎた日のこと。いつものように食堂でマレウスやリリア、セベクと共に食事を摂っていたシルバーは、彼らによってその場を離れることを勧められた。というのも、彼らにも先日のデュースとの一件が顛末まで伝わっており、デュースと恋仲であることをからかいついでに問い詰められたからだ。恋人ができたというのに以前と変わらず我々といるようだが、ちゃんとデュースとの時間は特別に取れているのか、と。この質問に対し、特に意識して時間を取ったことはありません、予定が合えば過ごしますと正直に答えたシルバーは、笑顔のリリアと呆れ気味のマレウス、果てはセベクにまで護衛の人数が足りている昼休みくらいは自ら会いに行かんかと食堂を追い立てられてしまったのだった。
(しかし、件のデュースはどこにいるのだろうか)
自分たちが昼休みなのだから、同じ学校に通う彼らも昼休みだ。もしかしてデュースも同じように食堂にいたのではないだろうかとシルバーは考える。しかしそれならば目ざといリリアがとうの昔にデュースを見つけ、その目の前に自分を突き出していることだろう。
であれば、恐らく今日のデュースは食堂にはいなかったことになる。他にデュースのいそうな場所となると、自学自習のため図書室か、体力育成のため運動場か、あるいは級友たちとの親交を深めるため教室や廊下にいるのか。いずれにしろ、まずは会わないと始まらない。ある程度デュースの居場所に目星をつけたシルバーは、彼のいそうな場所を順番に巡っていくことにした。
それから図書室に姿がないことを確かめ、運動場へ行こうとしたときのことだ。ぽたりと冷たいものが頬に落ちる。空を見上げれば鈍色の雲が全体に幕をかけていた。雨だ。二年生ともなればとっさの雨くらい魔法で防ぐことはできる。しかしシルバーは己の魔力が周囲に比べ――と言っても比較対象は二年生の中でも優秀と名高いリドルやアズールなのだが――高い方ではないことを自覚していたため、できる限りはいざというときのために備えて普段から魔力を温存しておこうと考えていた。このため、シルバーはすぐ近くの空き教室の手前で雨宿りをする羽目になった。
灰色の空模様はいっこうに晴れない。普段ならこんなとき、リリアが迎えに来てくれたり、動物たちが傘の代わりになる大きな葉をどこからか持って来たりしてくれるのだが。ということは、今日はここにいても大丈夫ということだろうか? 曇り空を見上げながらそんなことを考えたとき、背後の空き教室からドアの開く音がする。
「あの、雨宿りなら中で――って、あれ、シルバー先輩?」
「デュース」
開いたドアから顔を出したのは、シルバーが目的として探し回っていた後輩だった。彼も自分と同じで、わずかに髪や肩が濡れている。とりあえず中にどうぞとデュースに招かれ、シルバーも教室の中へと入る。招かれた部屋の中は軽く掃除してあるくらいで最近使われた様子のない、何の変哲もない空き教室だ。
「ここは確か、空き教室だと思っていたんだが。こんなところに何か用事があったのか?」
「いえ。僕も雨宿りです。走りながら単語を覚えようと思って運動場に向かってたら雨が降り出してきたんで、急いでその辺の教室に駆け込んだんです。そしたら外に人影が見えたから、声かけました」
「そうか。俺も運動場へ向かっていたところだ」
「そうだったんですね。先輩も鍛錬ですか?」
普段シルバーが運動場へ向かうときは鍛錬のためくらいでしか向かわないからそう思うのだろう。そんな後輩の素朴な疑問にシルバーは正直に答える。それが彼の心にどんな衝撃を与えるかは何一つ知らずに。
「お前に会いに行くところだった」
「え!? 僕に何か用事でした?」
「用事、というほどのものではないのだが……」
窓の外の雨は止まない。シルバーは、雨宿りにはちょうどいいかと、昼食の際リリアたちに叱られてしまったことをデュースに説明する。お前の忠誠心も時間の使い方も分かっているが、本当に想いを寄せる恋人ならば学生の間の昼休みくらいは時間を使って会いに行かんか、あまり煮え切らない態度ではそのうちフラれてしまうぞと言われてしまった。だから、会いに来た。シルバーが言葉を切ると、デュースはうっすらと染まっていた頬をますます赤くしてカチコチに固まった。
「え、あ、こい……っ、そ、そうですよね! ディアソムニア寮の先輩方だってそう思ってるんですよね……!?」
「ああ。少なくともマレウス様、リリア先輩、セベクからはそのように思われている」
「うわ~……。マジか……」
デュースは顔を黒い手袋に包まれた手で覆って座り込む。もしかして自分との関係が広まることは彼にとって不快だったのだろうか? ならば訂正した方がいいだろうとシルバーは尋ねる。
「不快だったろうか」
「え、何がです?」
「俺とお前の関係が広まることはお前にとって不快だったろうか、デュース」
シルバーの言葉にデュースは勢いよく立ち上がり、ぶんぶんと手を振って否定する。シルバーはそんなデュースを見て、身振り手振りが大きく、感情が分かりやすいな、などと場違いなことを頭のどこかで考えていた。
「いや、そんなことはないです! ただちょっと恥ずかしかっただけで……先輩とのことが嫌ってわけじゃ全然ないです!」
「そうか」
シルバーはデュースの瞳をじっと見つめる。清々しく澄んだ青空のような瞳だ。目の細さはあまり変わらないように感じるのに、大きく見開かれたり、小さく細められたり、自分と違って感情がとても分かりやすい。デュースに倣い、自分も感情を伝えるべく努力すべきだと考えたシルバーは、まずは言葉から口に出すべきだとそれを口にした。
「嫌がられていないのなら、良かった。俺はお前が好きだから」
どうせ顔に出ないだろうと踏んでいたシルバーは、小鳥を撫でる指先のように穏やかな声で語りかけ、デュースに微笑む。滅多に表情が顔に出ないシルバーだからこそ、その笑顔は恋する後輩の心を貫いた。
「不意打ちだ……!」
「何がだ?」
大きく高鳴った鼓動の早さが止まらないデュースとは裏腹に、シルバーは平然としている。なぜなら彼にとっては思ったことを率直に伝えただけで、他意はないからだ。だからずっと顔の赤い後輩を前に、シルバーは頓珍漢な疑問を持ち始めた。
「それよりも、デュース。先ほどからずっと顔が赤いが、雨に打たれて熱でも出したのか?」
「いや、これは……っ」
シルバーの手がデュースの頬に触れる。デュースは伸びてきたシルバーの手首をつかみ、拗ねたように口を尖らせた。
「……先輩がいるからですよ。好きな人と二人きりで、好きだとか言われて、赤くならないわけないでしょう!」
照れが半分、ヤケが半分といった様子で叫ばれたデュースの言葉に、シルバーはようやく自分の立場を自覚する。そうか、恋人同士で二人きりとは、こうして緊張するものなのか。
「あ、ああ。……そういうものなのか」
デュースの持つピーコックグリーンの双眼は、シルバーの頬がうっすらと赤く染まっていくのを見届ける。二人はお互いに気まずくなって、狭い教室の中でなんとなく目を逸らしあった。
「……あ! まずい、次、移動教室なのに!」
逸らした先で時計を見たらしいデュースが声をあげる。どうやら今日はここで時間切れのようだ。
「そうか。ならば教室まで送って行こう」
「え? でも……」
先輩も雨宿りしていたんですよね、と聞きたがっているだろうデュースの言葉を先んじて遮る。
「防壁魔法を使えば、雨くらいは防ぐことができるだろう。いざというときのため、少しの通り雨ならば魔力を温存しておこうと雨宿りをしていたんだが……止みそうにないからな」
「そうだったんですか」
それじゃあお言葉に甘えて、と言いかけたデュースが言葉を打ち切る。
「……いえ、やっぱりいいです! 僕、このまま雨に打たれて戻ります!」
「なぜだ?」
「ちょっと、教室でクラスの奴らに会う前に頭から水を被っときたい気分なので!! それじゃ僕はこれで……」
教室のドアを開け、デュースは雨の中へ走り出そうとする。背後から見る彼の耳が赤く染まっているのを見つけたとき、シルバーはとっさにその手をつかんだ。
「……なら、俺も付き合おう。行くぞ、デュース」
「え、せんぱ……っ」
デュースの答えを聞く前に、彼の手を引いて走り出す。雨に濡れ始めた手を強く握ると、少しの間を置いて同じように握り返された。それから二人は降りしきる雨の中で手を繋ぎ、屋根のある教室まで走り抜けていく。お互いの赤く染まった耳や頬を、見て見ぬふりをし合いながら。
それからというもの、デュースと別れ、二年生の教室で濡れた服を乾かしている間も、一度日が落ちて昇った後も、シルバーはずっと考えていた。あの空き教室で、真っ赤になっていたデュースのことを思い浮かべながら。自分はデュースに比べ、愛情が薄いのではないか、と。二人きりの教室で、それだけを意識して頬を紅潮してみせられるほど、デュースのことを意識してはいなかったのではないか。つまり、自分には愛が足りていないのではないか、と――。
昼休み。窓の外を眺める。土砂降りの中を走った先日からずっと、雨は降り止まない。食事が済んだ後、リリアたちに一時の別れを告げたシルバーの足は自然にあの空き教室へと向かっていた。
「……何をやっているんだ、俺は」
デュースの姿はない。当然だろう。昨日は急な雨のため、雨宿りを目的とした滞在だったのだから。朝から雨の降っている今日に、濡れなければたどり着くことのできない教室まで来ることはない。
「………………」
シルバーは、昨日デュースのいた場所を眺める。ここにいたデュースはくるくると表情が変わり、己の一挙手一投足に混乱したり赤面したり、何かと反応を返してくれた。それは確かに愛おしくて、幸せな時間だった。だけど、それだけだ。昨日、雨の中で繋いだデュースの手からは、灼けそうなほど熱い温度と、早く脈打つ鼓動を感じた。彼は本当に自分のことが好きなのだと、繋いだ手から改めて思い知らされた気分だ。けれど、それに比べて己のものは、ずいぶん落ち着いていたように思う。
「……やはり俺は、デュースへの感情が足りていないのだろうか」
「そ、そんなことないと思います!」
呟いた途端、飛び出してきたのはやはりデュースだった。驚いた。一体いつからこの教室にいたのだろう。デュースの気配にさえ気づけないほど自分は考え事に熱中していたというのか。
「デュース? お前、一体いつからここに……」
「すいません! 最初からいたんですけど、その……気恥ずかしくて隠れてました!」
盗み聞きするつもりはなかったんです! と元気に告げる後輩に、シルバーは心配していた用事を尋ねる。
「そうか。昨日は風邪を引かなかったか?」
「あ、ハイ! ……クラスのみんなに見られてたみたいで、教室入った途端一斉に風と火の魔法かけられたんで、大丈夫でした……先輩こそ大丈夫でしたか?」
「心配ない、俺も似たようなものだった」
恐らくだが服を乾かされる際、級友からのからかいにでもあったのだろう。思い出して恥ずかしくなったのか、デュースはコホンと咳払いし話を戻す。
「それで、えっと……。僕の聞き間違いじゃなかったら、気持ちが足りてないみたいなこと言ってたと思うんですけど」
「ああ、言った」
「……なんで、そう思ったんですか?」
シルバーは言葉に詰まる。自分を慕ってくれている後輩に、お前への気持ちが足りていないのかもしれない、なんてことを相談してもいいのだろうか? シルバーが別の解決方法を探ろうとしたとき、デュースはその手を取った。やはりその手は、手袋越しでも分かるほどに熱い。
「先輩。もし、先輩が僕のことで何か悩んだり、不安になってるのなら、力になりたいです。っていうか僕のことで、先輩を煩わせるのも嫌なので……」
「デュース……。お前にそこまで言わせて黙っているのも、良くないだろうな」
シルバーは観念し、話すことにした。昨日手を繋いだとき、デュースの手から熱い気持ちが伝わってきたこと。だからこそ自分とデュースの温度と心拍数に、差があるように感じたことを。
「えっ、僕、そんなに熱っ……、いや、いいんですけど!」
「だからお前の熱に比べて、俺は同じものを持つことができているのだろうかと……そう、疑問を持った。お前のその熱に報いてやることができているのかと……」
「先輩……」
デュースは顎に手を当て、考え込む。やはり悩ませてしまっただろうか。というか、傷つけてはいないだろうか。自分への想いが足りていないように感じると恋人本人から相談されるなんて、関係から考えれば悲しまないことはないだろう。やはり別の人物に相談すべきだったかと後悔のような気持ちを持ち始めたとき、デュースは勢いよく顔をあげた。
「思い出した!」
「何をだ?」
「本ですよ! この間、トレイン先生から読むようにって勧められた本に、書いてあったんです。『自分が大切にしようと思って、それを決めて、手間暇をかけて大切にしたから、特別で大切なものになったんだ』って」
「そうか、良い教えだな」
「はい! だから、先輩」
「ああ」
「もし、先輩が今は気持ちが足りてないって思ってるんだとしても……そんな風に、これから時間をかけて、特別になっていければいいなって、そう思うんです。もしそういう、表に出る温度が違っても、別の行動や態度で示してくれたらいい。考えるより行動が先って、僕にもその方が合ってる気がしますし」
ダメですか? と眉を下げて笑うデュースに、敵わないな、とシルバーも同じく眉を下げて笑みを返す。熱量が足りていないのなら、これから追いついていけばいい。それはとても、分かりやすくて良い考えだ。
「考えるより行動、か。一理ある。……なら、さっそくひとつ頼みたいのだが」
「はい、なんでしょう」
「抱いてみてもいいだろうか?」
シルバーの爆弾発言に、デュースはあからさまに慌ててみせる。顔をさらに赤くして、身構えた様子だ。
「えっ、あ、今ここでですか!?」
「ああ。少しだけじっとしてくれていれば、それでかまわない」
「~~……っ、分かりました! どんと来てください!」
「ありがとう。では、さっそく」
シルバーは一歩進み、デュースの背に腕を回し、彼を包み込む。運動部に所属するだけあり、筋肉の造りはそれなりに鍛えられていて硬いが、まだ一年生ゆえのしなやかさが残っているように感じた。シルバーがデュースの筋肉に注目している頃、良からぬことを勘違いしていたデュースはまだ混乱の最中にいた。
(あ、こっちか。そうか、シルバー先輩だもんな、こっちだよな……。良かった、さすがに最後までは僕もまだ覚悟ってか、いきなりすぎて何の準備もできてないし……。……いや、待てよ。これも相当なんか、は、恥ずかしいぞ!?)
良からぬ予想が外れ安堵したところで自分の置かれた立場を自覚し始めたデュースの顔が赤く染まり、触れあった場所から体温が上がり始める。
(うわ……)
動悸が大きくなり、鼓動が早くなる。吐息が耳にかかる。距離が近い。デュースの緊張が、シルバーへ残らず伝わるほどに。シルバーは後輩から移されていく温度に、鼓動が大きく脈打っていくのを感じた。自分が今、恋の動悸を感じている。それを自覚すると、顔が熱くなるように思った。
「なるほど、確かに。……これは、お前のように鼓動を打ち、顔が熱くなるな、デュース」
「先輩、それ、言うともっと恥ずかしくなると思います……」
それから二人は予鈴のチャイムが鳴ってお互いに飛び退くまで身体を離すタイミングをつかむことができず抱き合っていた。
それからというもの、昼休みは空き教室に集まることが二人の間に定着しつつあった。シルバーもデュースも、この際だからと各々勉強道具や運動靴、着替えなどを持ち込み始める。しかしそれらが昼休みに活躍することはあまりなく、ほんの少しの休み時間は二人で甘いひとときを過ごすものとなっていた。
「優等生を目指す身として、これはいいんでしょうか……」
「優等生でも休憩くらいは必要だろう。……と、リリア先輩は言っていたが……もしや、俺との時間は休憩にはなっていないのだろうか。ならば、善処する」
「や、頭は休まってると思います……心臓は破裂しそうですけど」
「ならば良い」
「はは、意外と強引なんですね」
「本当に困っているならば、この教室へ来なければいいだけの話だからな。ここへ来たということは、お前もそれを望んでいるんだろう」
「なんか物言いがドラコニア先輩に似てますね」
「やはり分かるか。俺もお前の邪魔をしていないかと心配していたのだが、そのときマレウス様がこのように仰ったんだ」
「本当にドラコニア先輩の言葉だったんすね!? っていうか僕たちの事情はディアソムニア寮の先輩方に筒抜けなんですね!?」
空き教室に集まり、他愛ない話をする。以前、廊下ですれ違ったときとしていることは変わらない。少しだけ以前と違うのは、二人の距離が近くなったこと。二人の間にあった一歩分の距離が、今は手を伸ばせばいつでも触れられるほど近くなったこと。ひとしきり近況や雑談を報告しきり、笑いあったあとで、シルバーは改めて口を開いた。
「デュース。あれからお前の言った通り、こうして先に態度から変えてみたんだが……お前の言う通りだった。大切にしようと思って、手間や時間、愛情をかけてみるほど、想いが強くなる」
「先輩?」
シルバーの指先は耳の上にかかるデュースの髪を撫でつけ、逆側の手はデュースの背中を抱き寄せ、彼を腕の中に閉じ込めた。
「……もっと欲しい、と思ってしまう。あの頃の俺は、なんて無欲だったのかと」
シルバーは髪をさらったばかりのデュースの耳元に手を添え、ささやく。くちづけたい、かまわないか、と。
「……えっと……」
デュースの視線が上下に泳ぎ、それから覚悟を決めたようにギュッと強く瞑られる。シルバーはその頬に手を添え、ゆっくりと距離を近づけた。カチ、コチ、と時計の音が大きく聞こえる。やがてお互いの唇が触れあった感触に、そっと口を離した。おずおずと目を開けたデュースは黙ってシルバーの肩にもたれかかる。
「……今度は僕の方が足りてないかもしれません、先輩。熱くて、ドキドキして、こんなの、心臓が持ちそうにない……」
後輩の想いの熱量に追いつけないと悩んでいたシルバーだったが、どうやら知らぬ間にその後輩の熱量を追い越してしまっていたらしい。
「なら、今度はお前の方が追いついてきてくれ」
次はお前からしてくれてもいいとシルバーが唇を指さすと、照れ屋な後輩はあからさまに困ってしまう。土砂降りの雨は上がり始めていたが、二人きりの雨宿りは終わりそうになかった。
*終わり
※コメントは最大1500文字、10回まで送信できます