蜜に堕ちる

*注意書き
・シルバー×デュース×シルバーです。リバ・逆CPが苦手な方は閲覧をお控えください。
・さらっと流されますがR15程度の性的描写があるためR18レーティングにしています。義務教育卒業未満・高校卒業以下・18歳以下の方の閲覧はお控えください。

 

以上大丈夫な方はどうぞ↓

 

 それはある日の昼休み、中庭でのこと。デュースからくちづけをされた。何故なのかは分からない。アイツは、何も言わなかったから。
 ゆっくりとつけられた唇の柔らかさと、わずかに照れを持ちながらも、うっとりするように蕩けて細められた至近距離の瞳、ん、と漏れだす吐息に、胸の鼓動がドキドキと高鳴る。そんなことを誰かにされたのは、初めてだったから。
 唇が離れてから、俺は一言だけ問うた。
「お前は、俺のことが好きなのか?」
 デュースは、その問いには答えなかった。
「どう、思います?」
 俺の頬を指先でなぞりながら、デュースはそう問いかけ返すだけだった。その問いを考えて、答えが出なくて、気が付いたときには、手を伸ばした瞬間消える夢のように、デュースは目の前から消えていた。

 あれから、どうしてか、デュースから目が離せない。何故なのか、欲しい、と思ってしまう。そのせいなのか、俺は、次にデュースと二人になる機会があったとき、するべき話をするよりも先に、つい、デュースに向けて、手を伸ばしてしまった。
 首筋に触れる俺の手が、指先でデュースの襟足をなぞる。しかし、デュースはそれを嫌がらずに受け入れ、心地良さそうに目を細める。……隙だらけだ。これでは、いつでも俺がコイツを欲せば、この首元をもっと深く撫でることも、あまつさえ、力を込めて締めてしまうことさえも、好きなようにできてしまう。そんなことを考えて、かぶりを振った。そんなことをしてはならない。頭によぎることさえ、おかしい。なのに、どうして。どうしてコイツは、俺の前で、そんな無防備な隙を見せるんだ? そんなことを考えている俺に向けて、デュースは甘えるように舌足らずな声音で、言った。
「せんぱい。僕が欲しい、ですか?」
「……っ!」
 何か、頭の中に警鐘のようなものが鳴った気がして、思わず飛び退き、急いでその空き教室を後にした。
 普段見ている、健康的で元気な表情と、俺と二人のときだけに見せてくる、どこか上気してうっとりしたように隙だらけの、いわば妖艶とも言えるその二つの顔の相違は、俺の心をひどく動揺させ、混乱させ、頬を赤く染める。
 何故だ? この、感情は。まるで、アイツのことを手に入れて、めちゃくちゃにしたいと思っているような。そうだ、まるで挑発されているような――。

 そこまで考えて、気付いた。挑発、されている? 俺の、何か、心の内にある、欲のようなものが。見透かされて、煽られている? デュースに? それを自覚した途端、さらにぶわりと顔が赤くなる。それは羞恥か、はたまたプライド故のものか。分からない、分からないが……。
 ともかく、その欲に真正面からぶつからないことには、話にならない。アイツと同じ土俵にも立てず、いいようにされてしまうだけだ。俺は、その欲を見据えた。

 デュースが、欲しい。

 単純かもしれないが、あのくちづけを与えられた日からずっと、俺は、アイツのことが欲しくてたまらないのだ。

『お前は、俺のことが好きなのか?』
『どう、思います?』
 シルバー先輩の問いかけにも正直に答えずに、そんなことばかり言ってる。本当に僕は、悪いことをするときばかり頭が回る。
 僕が考えているのは、こんなことだ。もっと、シルバー先輩に僕を気にしてほしい。惹かれてほしい。僕にハマって、抜け出せなくなってほしい。この人の瞳を釘付けにしていたい。そのためなら、なんだってできる。なんて、そんなこと。
『せんぱい。僕が欲しい、ですか?』
 考えてたんだ。シルバー先輩をどこにもやりたくない、そのためにはどうしたらいいのかって。エースは言った。
「ギャップでオトすとか? 自分だけしか知らない一面~、とか、王道でしょ。ま、お前はそういうことできるほど器用な気しないけど!」
 なるほどな。ギャップ、ギャップか。それなら僕にも、できなくもないかもしれない。挑発したり煽ったり、そういうことは正直、得意じゃないこともない。
 それで、何回か先輩を煽ってみた。自分から距離を縮めて、気持ちは曖昧にして。ただ単に嫌がられるようなら、脈ナシだ。でも、先輩は戸惑い、頬を染めて、飛び退いた。……これは結構、うまく行ってるんじゃないか、なんて思った。
 元々、完全に脈ナシって感じだったら、僕だってこんな無茶はしない。でも、シルバー先輩は、自覚があるのかないのか分からないけど、時々僕に特別な好意みたいなものを見せてくれるときがあるような気がしてたんだ。でも、何故なのか、けして境界線みたいな一歩を踏み出してはくれなくて。だから、僕から賭けに出ることにした。
 どうやら先輩の好意というのは僕の勘違いではなく、賭けにも勝てたようで、次に先輩と二人きりになったときには向こうから先手を取られた。
 話がある、と引っ張り込まれた空き教室の中。上半身を壁際まで追い詰められ、半分床に座らされるってか倒されるような形で、シルバー先輩に捕まる。
「話って」
 なんですか、と聞く前に、シルバー先輩の方からくちづけられた。そのくちづけは、ただのキスじゃなくて。口の中にぬるりとしたものが入ってきた。僕は迷ったが、向こうからその気になってくれたのなら、これもチャンスだとそのままシルバー先輩のやることを目を閉じて受け入れた。
 シルバー先輩は、僕に何も言わせまいかとするかのように、ずっと僕の口を塞いでいる。シルバー先輩の指先が僕のネクタイとシャツのボタンにかかったとき、リンゴンとチャイムの鳴る合図がした。その音に驚いたようで、ようやくシルバー先輩の唇は離れる。
「せん、ぱい」
 シルバー先輩は、どこか悔しそうに唇を手の甲でごし、と拭う。自分からやっといて、酷いな、もう。
 僕は解かれた自分の首元に手を添えて、シルバー先輩の耳元で言った。
「チャイム、鳴っちゃいましたね。……また、あとで」
 シルバー先輩はそれにかっと顔を赤くしたかと思うと、吐き捨てるように言った。
「……お前は、何を考えている」
「先輩のこと」
 口からつい、そんな言葉が漏れる。駆け引きとか関係ない、正直な気持ちだった。一度口に出すと、止まらなかった。
「もっと、僕を見て。気にして、ハマって欲しい、欲しがってほしい、って、思ってます。シルバー先輩に、僕の全部を……求めてほしい」
 シルバー先輩は、オーロラ色の瞳に、動揺と戸惑いの色を見せて、それから言った。
「……少し、考える時間をくれ」
 そうして、シルバー先輩は空き教室を立ち去った。

 ――お前は、何を考えている。
『先輩のこと』
 ――俺の、こと?
『もっと、僕を見て。気にして、ハマって欲しい、欲しがってほしい、って、思ってます。シルバー先輩に、僕の全部を……求めてほしい』
 ――ああ、うるさい、やめてくれ。うるさいんだ、俺の心臓の音が。バクバクと鳴って、お前が、お前の言う通り、欲しくてたまらないんだ。
 どうして、なんだ、こんな状態は知らない。惚れ薬でも飲まされたのか。魅了の魔法にでもかけられたのか。俺は、いつも通りの状態じゃない。おかしくなってしまっている。
 自分から先手を打って、デュースを黙らせてしまおうとくちづけたまでは良かった。いや、あるいは選択を間違えたのかもしれない。デュースは何も拒まなかった。デュースは、俺のやることを拒まない。ただ、いつも心地良さそうに受け入れている。
 それが、余計に俺の欲を煽る。あと一歩、もう少し深く手を伸ばしてしまえば、完全に目の前の獲物を俺のものにできる、とそんなある種の、男なら誰でも持つ支配欲と征服欲のようなものを。
 だけど、俺の頭はずっと警鐘を鳴らしている。このままではいけない、と。このままアイツに落ちて、恋人になるにしても、この関係ではいけない、と。このまま、欲のままに堕とされてはいけない、と。
 俺の目指す恋人の愛というものは、もっと神聖で穏やかな好意を持ち合う関係であり、欲にまみれ、煽りあうような関係ではないと。
 ……単に、デュースを選ばなければそれで済む話でもあるのだが、俺の心は、そうするにはあまりにも、最初の一手でアイツにかなりの部分を持っていかれてしまった。あの春の夜の夢のようなたった一度のくちづけ、それだけで、俺は心を奪われた。
 あのときに拒まなかった時点で、俺はもうこの勝負に負けているのかもしれない。それでも、もう既に負けている駆け引きだったとしても、より良い形で負ける必要はある。勝てないとしても、せめて引き分けに近い形に持って行きたいんだ。
 とはいえ、デュースを目の前にすると、俺はもう冷静ではいられない。いっそ、一度モノにしてしまうか。デュースはきっと、それを拒まない。完全に俺の物にしてしまってから、落ち着いた頃にあとから扱い方を考えるか――なんて、さすがにそれは乱暴な考え方だろう、と頭の隅にそれを追いやった。
 何故だ? 向こうから仕掛けてきたことだぞ。煽ったのはアイツだ。何をしたって、俺は悪くない。そんな情けない自己弁護が頭をもたげてくる。だが、それは頭の中だけで斬り捨て、ふう、と深い溜め息をついた。
 デュースと、話をしなくては。俺はきっと、向かい合えば冷静ではいられなくて、また、デュースへと手を伸ばしてしまうことだろう。それでも、その合間にでも、切れ切れにでも、どうにか話をしなくては。
 俺の思っていることを伝えれば、きっと、アイツも俺を煽るような無茶はやめてくれるはずだ。あるいは、俺はお前が思っているよりも危ないのだから、もっと警戒してくれと伝えるべきなのか……。
 ともかく、次の機会には必ずデュースと話をしようと決意し、そのためにはアイツの口を塞がない努力をしなくてはな、と思った。

 シルバー先輩は、また、話がしたい、と空き教室に僕を呼び出した。前、深いキスをされた教室だ。僕は、話をするなんて言いながら、結局また僕の口を塞いで終わりなんじゃないかと思ったけど、それでもいいやと思って、OKした。
 そうしたら、やっぱり口を塞がれた。でも、すぐにそれは離されて、代わりに僕の身体がぎゅうと強く抱きしめられた。
「以前、俺はお前に聞いたな。『お前は俺のことが好きなのか』と」
「はい」
「そのとき、お前が何と答えたか、覚えているか?」
 覚えてる。僕は、そのとき、答えを曖昧にしたんだ。
「覚えてます。『どう思いますか』って、聞き返したんだ」
「そうだ。今こそ、その問いに答えを返そう」
 シルバー先輩が、抱きしめていた身体を少しだけ離し、睨みつけるように真っ赤な顔で、僕のことを見据えた。
「お前は、俺のことが好きだろう」
 まあ、図星だな。でも、先輩側からの興味がどれくらいあるのか分からない以上は、まだ素直に頷けない。
「どうして、そう思ったんですか?」
「どうして、か」
 ふっ、とシルバー先輩は笑った。僕とこうなってから、初めて僕の前で笑ってくれた気がする。
「……そうだといいと思ったんだ。俺は、お前のことが好きになったから」
 単純だが、お前の毒牙にかかってしまったとシルバー先輩は言った。僕はそれに、こう答えた。
「毒牙なんて、酷いな。でも、そういうことなら」
 僕はシルバー先輩の胸元に飛び込んで、抱き着いた。
「やっと素直になれます。シルバー先輩、好きです。大好き。ほんとはずっと、素直にたくさん言いたかったです」
 へへ、と笑うと、シルバー先輩は、赤い顔を手で押さえて言った。
「……これからは、妙に煽ったり、誘惑するような真似はやめてくれ。お前にそういうことをされると、落ち着かない」
「嫌でしたか?」
「嫌、というわけではないのだが……」
 シルバー先輩が言い淀むのを、僕は見上げていた。今はもう、駆け引きみたいな苦手なことをしなくても良くなったんだという安心感と、ちゃんと振り向いてもらえたんだという達成感でいっぱいだったから。

『やっと、素直になれます。シルバー先輩、好きです。大好き。ほんとはずっと、素直にたくさん言いたかったです』
 尻尾を振った犬のように、デュースは俺の胸に抱き着き、赤く染まった嬉しそうな笑顔で照れくさそうにしている。……今まで見せられていた妖艶な姿とのギャップもあって、なんというか、一段と可愛く見えて、余計に誘惑されているような気がして、クラクラした。
 だから、これ以上俺をおかしくしないでくれという意味を込めて、言った。
「……これからは、妙に煽ったり、誘惑するような真似はやめてくれ。お前にそういうことをされると、落ち着かない」
 そうすると、デュースは嫌だったか、と聞いてきた。……嫌だったというか、その……。
「嫌、というわけではないのだが……」
 デュースが、きょとんとした上目遣いでこちらを見上げてくる。……くっ、無防備で可愛い。完全に俺に気を許している。今すぐにでも、この唇を奪いたい。あの日と同じように、柔らかなくちづけを楽しみたい。そんな欲が俺の中に芽生えるのを自覚して、大人しくしていろと制する。いくら心を奪われたからと、それを認めたからと、そんな欲ばかりの男に成り下がる気は毛頭ないんだ。
「じゃあ、なんでですか?」
 デュースは尋ねてくる。俺は、この話題からの戦略的撤退を決めた。デュースが先手になっては、また俺はいいようになってしまうだろう。
「それより、デュース。これからのことについてだが」
「……はい」
 少し不満そうにむくれて、でもデュースは俺の話を聞いてくれる。その顔さえも可愛らしいと思うのは、俺が恋を自覚したばかりだからなのだろうか。
「ハッキリ言おう。俺は、恋人としてお前と交際したい」
「えっ……、あ、う、嬉しいです!」
「ああ。きっとそう言ってくれると思った」
「……ほ、本当に?」
「嘘でこんなことを言ってどうするんだ」
 そう言ってやると、先ほどまでのむくれ顔はどうしたのか、デュースはなぜか柔らかそうな頬をつぶすように両手で押し込めていた。……ああ、顔が崩れてしまいそうなのか。ふっ、別にそんな顔を見せてくれてもかまわないというのに。こうしたほほ笑ましい気持ちになれる、穏やかな心地の戯れが増えていくのなら、それに越したこともない。
「だが、それにあたって、ひとつ……言っておくことがある」
 ごくり、とデュースが唾を飲んだ音が聞こえた。デュースにとっては、そう緊張してもらう話でもないのだが。
「先ほども言ったが、俺を妙に煽ったり、誘惑したり……そういうことは、控えてもらうと助かる。何故ならそれは、俺の望む恋人の形とは、異なるからだ」
「望む恋人のカタチ?」
「ああ。恋人というのは、ある種、神聖で穏やかな好意を持ち寄る関係であり、欲のままに煽りあうことばかりをしてはならないと俺は考えている」
 デュースは首をかしげる。
「……でも、そういうことをするときもあるから、恋人って言うんじゃないんですか?」
「何も、すべてを制しろという意味ではない。四六時中所かまわず、というのは、自制心がなく、他の生徒たちにも示しがつかないということだ」
「なるほど……分かりました! でも、それなら心配しなくて大丈夫ですよ!」
「そう、なのか?」
 デュースは嬉しそうに、無邪気な笑顔で言う。
「はいっ! 今までのはぜんぶ、シルバー先輩が僕に夢中になってくれたらいいのにな、って思ってやってたので! 僕も、本来得意じゃないですし! 先輩が好きって言って、こうやって抱きしめてくれるなら、もうしなくても大丈夫なんだ、って、ちょっとホッとしてたくらいです!」
 俺は、デュースの唇を奪った。咄嗟のことだった。ちゅう、とくちづけて、唇を吸い、食み、舌を入れかけたところで、我に返った。デュースのとろけた目が、俺を見上げる。
「……せんぱい?」
「すまない。理性が飛んだ」
「な、なんで今ので……?」
 ……本当に困った。俺はどうやら、本人は誘惑している気がないまま、素直に好意を見せてくるデュースにも、相当弱いらしい。
「ともかく、俺の欲を煽るようなことは……時と場合を考えてすることにしてくれ」
「分かりました」
 でも、とデュースが言う。
「なんだ? 懸念があるのなら、言っておいてくれ」
「……先輩も、さっきみたいに……いきなりキスしてきたりしますよね? 僕だって、そういうことされるとその気になるんですけど……」
「……互いに気を付けることにしよう」
 心当たりしかないデュースの台詞に、俺はそう言う他なかった。

 それから、俺とデュースの交際は始まった。デュースはもう煽ったりしなくていい、という宣言通り、のびのびと元気そうに俺への好意を伝えてくれるようになった。元より、駆け引きや誘惑など得意ではなかったのだろう。なのに俺のために、俺をモノにするためにそこまでしてくれたのかと、今さらながらに噛み締めてすぐにでも抱きしめてキスして俺はお前のものでお前も俺のものだと叩き込んでやりたくなる。
 ……いけない、始まりが始まりだったせいで、どうにもすぐ考えが欲に走ってしまうな。ひとときの欲望に振り回されて、大切なものを大事にできないようでは、立派な騎士とは程遠いと自分を宥める。
 そうだ、大切なものだ。大切なものになったんだ。半ばデュースの手中に収められる形だったとはいえ…… そういえば、そうだ。俺はデュースの誘惑にまんまと引っかかって、そのまま心を奪われている。……俺はひょっとして単純なのか?
 そんなことを考えて、心を落ち着けようと木陰で瞑想していると、冷たいものが頬に触れた。
「先輩、差し入れです!」
「デュース……、ありがとう」
 冷えたペットボトルを受け取る。まだ朝と夜は肌寒いとはいえ、昼間の日差しは時に暑いくらいのこともある、春に近付いた日和には、喉を潤すのにちょうどいい。
「昼寝してたんですか?」
「いや、瞑想を少々……。あまり集中できてはいなかったが」
「そうなんですね」
 お前のせいなんだが、なんて言葉はペットボトルの中の液体と共に飲み下す。デュースはもう、俺を誘ってはいないのだから、あとは俺の精神力の問題だ。それだのに都合よくデュースのせいにするなど、論外もいいところだ。
 デュースは、周囲を警戒する兎のようにあたりをきょろきょろと見回している。どうしたんだ、と尋ねようとして顔をあげると、デュースの方からくちづけられた。ああ、なるほど。周囲に人がいないかを確認していたのか。
「……へへっ。また、しましょうね!」
 跳ねるように逃げ出そうとするデュースの腕を、俺は思わず捕まえて、どこかで誰かが見ているかもしれないのもかまわず、胸の中に抱きしめた。
「せ、せんぱい?」
「だから、煽るなと言ったのに」
 ドキドキと鳴る鼓動が、治まらない。汗ばんだ首筋の香りが俺の鼻腔を掠めて、腕の中のデュースを、手放したくない。どこか秘密の場所へ連れていって、俺のものにしてしまいたい。そんなことを考えつつも、ダメだろう、良くないぞと告げる理性の警鐘に従おうと耐えていると、デュースが俺の耳元で言った。
「せんぱい。僕、いいですよ。初めからずっと、嫌だったこと、ないです」
「……っ!」
「でも、いろいろ準備、ありますよね? だから……」
 先輩の準備ができたら、呼んでください。そう言うとデュースは、ゆっくりと俺の抱きしめる腕と手をほどき、今度こそ跳ねるように逃げていってしまった。逃げたのはデュースの方なのに、一人残された俺は、もう、逃げられはしないのだと悟った。あの甘い蜜の誘惑に、堕ちてしまうことから。

 

 心を決めてしまえば早いもので、俺の準備や根回しはすぐに済んだ。次の休日までにやるべきことをすべて済ませ、必要なものを準備して、恥を忍んで知識を仕入れ、デュースのための時間を設け、彼を自室へと呼び出した。
「デュース、いいか?」
「……はい」
 この日、俺はデュースを、己のものにしてしまった。と同時に、俺はデュースのものになった。デュースを抱く中で、俺がアイツのものになっていくのが分かった。眼前に広がる蠱惑的な光景の魅力に、もうこの甘さの誘惑から逃げることはできず、俺の恋心は抗えないまま堕ちていく運命なのだと悟った。
 完全にデュースをモノにしてしまい、すべてを手に入れたような満足感と、本当にやってしまったんだなという気持ちにまみれていると、デュースはベッド脇に座る俺にある提案をした。
「もし、良ければ、なんですけど」
 先輩も僕のものになってみませんか、なんてデュースは言った。俺は、その必要はないと言った。もう既に、俺はデュースを抱いただけでも、デュースのものになっているような心地がしていたからだ。だけど、デュースはその答えにかまわず俺のことを押し倒した。
「先輩。僕はまだ、不安なんです。先輩は、とても魅力的な人だから」
 つ、とデュースの指先が、俺の胸板を撫でた。
「……前も、後ろも、その初めても。やらしい心も、綺麗なとこも。どれ一つだって、他のやつには渡したくないんだよ」
 ドキリと心臓が音を立てて跳ねた。それは、デュースの艶やかさにばかりではない。『一つだって、他の奴に渡したくない』その言葉に共感を覚えたからだ。俺も。目の前のデュースのことを、一つだって、これから先他の誰かになんて渡してやりたくはない。
 だが、そんなことをしては、本当に、俺たちは欲に溺れていないなどと言えるのか――
「先輩。先輩がしてくれたこと、嬉しかったのも、恥ずかしかったのも、全部……お返ししますね」
 そんなことを考える暇も与えられないまま、俺は本当にデュースのものにされてしまった。デュースを愛してやったぶん、愛し返された。焦らした分だけ、焦らし返された。何かしらやめさせようとしても、自分は既にやったことである手前、やめろ、やめてくれとは、公平性の面からも、プライドの面からも、言えなかった。デュースは耐え、受け入れたことを、俺が耐えられないなど、情けないと思ったから。与えたものをすべて、そっくりそのまま返されるような、逃げ出したくなるほど恥ずかしい睦事だった。
 デュースはずっと、この一度を狙っていたのだろうか? だとしたら……いや、やめておこう。恐らく、デュースはありのままで、身体一つで俺に向き合い続けてくれただけ、素直に、俺が欲しいと求め続けただけなのだろう。こうなった以上、それでいいんだ。
 ……俺は、欲に堕ちたことを認めた。本気で嫌なのなら、いつでも振り払えたはずだが、俺の身体も心も、デュースに向けてそうしなかったからだ。デュースが俺の身を望んでいるのなら、それでもいいだとか、俺ばかり求めるのは公平ではないからとか、そんな言い訳ばかりを考えて、デュースのことを受け入れた。本当はただ、デュースのことを、一つでも多く俺のものにしてしまいたかっただけだったのに。
 素直にそれを言ってしまえる分、その点についてはデュースの方が上手だと感じた。俺は、この恋に負けを認めた。
 ……というよりも、きっと、デュースに始まりのくちづけを与えられる前から、きっとずっと俺は負けていたのだろうと、遅すぎる自覚をした。
 恋愛ごとは惚れたら負け、とはよく言ったものだ……。

 翌日。小鳥たちの声で目覚めたとき、何か取り返しのつかないことをしてしまったような感覚と、半ば諦めのような気持ちが、心に浮かんでいた。
「起きたんですね」
「ああ」
 先に起きていたのだろう、シャツやらズボンやらを身に着けたラフな恰好のデュースが俺の傍に寄った。
「おはようございます」
 デュースの唇が頬に触れてくる。昨夜の絡み合った情事が嘘かと思えるくらい、穏やかな戯れだ。だが、もはやこれでいいのだろうな、とも思った。俺の欲は、昨夜ぶつけあったお陰で、いくらか落ち着いてくれていたから。きっと、デュースの方もそうなのだろう。
「おはよう」
 デュースの頬にキスをし返す。それから、俺は溜め息をつき、デュースの身体を抱きしめた。……ああ、もうこれは俺のものだ。そして、俺もコイツのものだ。そのことに、責任を持たなくてはいけないから。
「お前は俺のもので、俺はお前のものになった。デュース」
「はい」
 デュースは嬉しそうに返事をする。
「もう、逃げられると思うなよ。お前が始めたことだ」
「逃げる気なんかありませんよ」
 なら、と俺はデュースの首筋にキスをし、痕をつけた。
「……俺を堕とした責任を、取ってもらおうか」
 デュースは俺の真似事をするように俺の首筋に痕をつけ、そして笑った。
「望むところです」
 ――もしも俺が恋をするのなら、それはきっと、もっと神聖で、穏やかで、愛おしい慈しみの愛情を持つようなものなのだと思っていた。まるでそれとはかけ離れた、欲にまみれて、何ひとつままならなくて、耐えてばかりで、耐えきれないことばかりの、こんなぐちゃぐちゃな恋をするとは思っていなかった。それでも。
「シルバー先輩、好きです」
「……ああ。観念しよう。お前が、好きだ」
 デュースと往くのならば、ぐしゃぐしゃの泥道でさえも悪くはないと思ってしまう時点で、俺はやはり落とされてしまっているのだろう。

*おしまい

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